第四章
紫雲 一
翌日の
煮豆、酢キャベツ、
「ヌガーくらい食わせてくれたっていいじゃんか」
不満たっぷりに言うと、陸王はエールを飲みながら小さく首を振る。
「今食った分で昼まで保つだろうが」
「そんなことない。腹減る。食い盛りなんだぞ」
「なら、道中でどうして干し肉だけで我慢出来るんだ」
杯を置きながらの呆れた言葉が雷韋にかけられる。
「あれは、だって……、村か街に着けば宿で食えるからさ」
ぼそぼそと言い訳を返す。
「野宿の時はどうなんだ? 干し肉一、二枚で済ませてるが、別に腹が減ったなんて言葉は聞いた覚えがないんだがな」
「そりゃ、我慢するしかねぇじゃん」
さっきよりも、もっと小さい声でぶつぶつと返してくる。
陸王はエールを一口飲んでから断言するように言った。
「要は、目先が卑しいだけだろうが」
「そんなこと言っても、注文したもんは全部食ってるじゃん。残したことあるか?」
「まぁ、確かに食っちゃいるがな。だが、普通の量でも事足りる腹なわけだろう」
「足りるって言うか、足らせてるって言うか」
今度は雷韋がミルクを一口飲んで、文句たらしく言う番だった。
「大体さぁ、食うの我慢して、背が伸びなかったり痩せたりしたらどうすんだよ?」
「食っててもチビでガリだろうが。多少節制しても変わらん」
それは完全な断言だった。
「酷ぇ!」
「事実だろうが。あれだけ食っておいて、その栄養はどこに回ってるってんだ。背が伸びてるわけでもねぇ、太るわけでもねぇ。お前の腹は異次元にでも繋がってるのか」
「そんなの知んねぇよ」
陸王に散々言われても、何がどうなっているのかなど、雷韋にも分かるわけがなかった。
それでも実際問題として、陸王の言うとおり身長が伸びている気配もなければ太る気配もない。食べるだけ食べてそのまま寝てしまっても、翌日の朝には空腹になっているのだ。かと言って、正直に言えば、保存食ですまさなければならないときにも特に空腹感を感じるわけでもなかった。干し肉の一枚か二枚を食べて、それで満足しているのだ。陸王の言うとおり、目が卑しいのも事実なのかも知れない。
一体全体、何がどうなっているやらだ。
そんなくだらない言い合いをしていると、
「俺、そろそろ
言って、杯に残っているミルクを一気に飲み干してから立ち上がった。
「ま、どこ行こうが勝手だが、坊主共には気をつけろ。何を言われるか分からんぞ」
「別に何言われるって言ったって、異種族とか下賤の者とか言われる程度だろ。決まってら」
と、言ってからふと気付いた。
「あんた、教会嫌いだよな。坊主も」
言われた陸王は鼻を鳴らすとエールを一口、二口飲み込んでから返してきた。
「当たり前だ。どこに好きになれる要素があるってんだ。第一、
「あんただって人間族だろ? 前から思ってたけど、変わってるよな」
雷韋がいかにも不思議そうに言うと、陸王は
「俺はそもそも、天慧が嫌いだ。
「なんでさ。両方とも人間族の創造主じゃんか」
「
「え?」
何か引っかかりを感じたが、雷韋は思ったとおりのことを口にした。
「この世界に光と闇をもたらして、昼と夜を創ったじゃんか」
「お前は天慧と羅睺が好きなのか?」
「別に嫌いじゃないよ。この世界には必要な神様だと思ってる。俺、神義教は嫌いだけど、教会の建物自体は好きだし」
「なら聞くが、堕天使を作ってるのは誰だ」
その言い口は、挑発的だった。
そのせいか、雷韋は口を開くことが出来なかった。
「この世に魔族がいるのは堕天使が生まれるせいだ。天使族が天慧や羅睺の呪いを受けて堕天使になり、堕天使が転化して魔族になるんだからな。つまり、魔族の創造主でもある。そんなもの、好きになれるわけがねぇだろう」
反吐でも吐く勢いで陸王は言葉を吐き出した。それは心底、毛嫌いしているのが分かる口調だった。
今の陸王の理屈で言えば、魔族を嫌う陸王は、魔族を作り出している天慧を崇めている人間族も嫌悪の対象になるのだと、なんとなくだがそんな事を教えられたような気がした。
かなり
「じゃあ、天慧や羅睺が創った種族はみんな嫌いなのか? あんたの言い方だと、そう取れるけど」
「あぁ、まぁな。お前ら獣の眷属は純粋だ。それに引き換え、天使族ですら『欲』を持っているのか、間違いを犯して天界を追放されて、挙げ句、魔族になるんだからな。最悪だ」
「俺達にだって欲はあるよ。完璧な種族なんていない」
「だが、獣の眷属の方がましだと言っているんだ。人間族は人間族で、戦争という『
「それで飯食ってる人が何言ってんだよ。そりゃ、俺は戦争なんて嫌いだけどさ」
陸王はそれに対して何も言わなかった。何も言わずに、ただ皮肉げに口端を吊り上げるだけだった。
その様子が、雷韋には自嘲しているように映った。陸王は戦争を嫌いながら、それでも戦場を渡り歩いている自分を皮肉っているような、そんな感じだ。そして、自分を含め、人間族も天使族も魔族も嫌っている。
その大元が、そもそも気に入らないと言っているのだ。
自分の創造主である、天慧も羅睺も。
雷韋にはその気持ちはよく分からなかった。雷韋は人間族の中で育ってきたが、なんだかんだ言っても獣の眷属なのだ。その大元になる光竜を嫌ったことなどない。光竜を否定したら、自分がなんなのか分からなくなってしまう。
「俺、陸王の言ってること、よく分かんないよ」
「分からなくていいさ」
小さく呟くように言って、陸王はエールをまた一口飲んだ。そして続ける。黒い瞳でじっと雷韋を見つめて。
「分かったら、終わりだろうからな」
「終わり……?」
「そんなことよりも、あの男のところに行くんだろうが。さっさと行ってこい。気になってるんだろう」
「あ、うん」
反射的に返事を返して足を踏み出そうとしたが、雷韋はそこで一瞬止まった。
「陸王はこれからどうすんだ?」
「少し酒を飲んでから、部屋に戻ってゆっくりするつもりだ」
「そっか。んじゃ、ちょっと行ってくる」
「行きがけの駄賃に、財布なんざくすねるなよ」
「しねぇよ!」
余計な一言に、大きな声で返してから雷韋は宿屋を飛び出して、街の中心へ向かった。大抵、教会は街の中心部、西向きに東を背に建っている。それは教会の薔薇窓に、東から昇る太陽の光が当たるように設計されているためだ。薔薇窓は教会の中を神秘的に美しく照らすべく、ステンドグラスになっている。
まだ店が開く三時課になったばかりだったが、宿屋の近辺の店は皆開いていて、もう商売を始めていた。人通りもそれなりにある。三時課に城門が開いたはずなので、これからもっと人が増えるはずだ。出ていく者、入ってくる者、それぞれに分かれて。
陸王と雷韋がこの街に入ったのは南の方だったので、取り敢えず雷韋は北上して、町の中央にあるだろう大広場へ出ようと思っていた。
軽く走っていると、あちこちの店から呼び込みの声がかけられたが、雷韋はそれを無視して人波を縫うように走った。
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