紫雲 二

 道を走っている間、陸王りくおうの言っていたことを頭の中で反芻していたが、陸王の理屈は雷韋らいには難しすぎた。だから途中でそれを頭から放り出して、紫雲しうんのことを考え出した。教会に着いたら、本当に厩に寝泊まりしていたらどうしようかと。修行モンク僧が僧侶達から『下僧げそう』と蔑まれているというのは昨日初めて知ったし、雷韋にはそれは衝撃的な事実だった。僧侶と修行僧の役割が違うのは知ってはいたが、蔑まれているとは思ってもみなかった。血を流し、人々に教義を説かないから見下されるのは違うと思ったのだ。そのせいで最悪、厩で寝泊まり。それはあまりにも酷いと思う。


 実際にはどうなっているか分からないから今は教会に向かうことしか出来ないが、それもなんだかまだるっこしい。


 雷韋は走りながら胸の中で、どうか宿舎にいますようにと念じ続けた。


 そうして道を走り続け、遂に大広場へ出た。大広場の東側が少し引っ込んでいて、そこに教会を発見する。尖塔が両端に一棟ずつ建っている。街の大きさに比して少し小さな印象を受けたが、塀に隠された建物の奥行きは見目よりありそうだった。


 教会に辿り着き、すぐに雷韋は教会の裏側に回った。教会の正面には教会の建物そのものが建っているので、塀に囲まれた裏側に宿舎などの出入り口があるのだ。


 裏側に回ると、鉄柵状の門扉が見えた。


 ここまで走ってきて、それなりに息が乱れている。息を整えるのと心を落ち着かせるのを同時になそうと、雷韋は途中から歩き始めた。大きく、何度も深呼吸する。


 果たして紫雲は無事か否か。


 半ば不安が心を塞ぐが、もう半分は部屋を借りられたのではないかという期待に明け渡している。そんな半々の気持ちで門扉の前に立った。そこからは、上部に薔薇窓のある教会の建物の裏側が見え、両脇に宿舎と覚しき建物と、小屋がいくつか、中央には整った庭が見えた。中は、なかなかに広い。


 鉄柵の中央には鍵がしつらえられていたが、片側の門を手前に引くと、あっさりと門は開いた。


 ただし、甲高い軋みを立てて。


 その音に誘われたように、傍にあった小屋から槍を持った男が二人飛び出してきた。骨張った男と四角い顔の男だ。


「おい、小僧! 勝手に中に入っちゃいかん」


 一人が慌てたように声を上げる。どうやら彼らは門番らしい。


「ごめん。開いたら鍵かかってなかったからさ」


 駆け寄ってきた男達に、雷韋はいつも通りの調子で話しかけた。


「町の者か? 見掛けない顔だが」

「なんの用で来たんだ。こっちは宿舎への出入り口だが」


 外套を羽織っていないことで町の者と思った二人は次々に声をかけてきたが、すぐにその顔つきは変わった。その目は雷韋の尖った耳に向けられている。


「おい、小僧。お前、異種族か?」


 当然、言われるだろう言葉が飛び出してきたので、雷韋は素直に頷いた。


「そうだけどさ、ここに用があってきたんだ。別に教会を荒らしに来たわけじゃないよ」

「異種族なら出て行け。ここにはお前らに貸すような部屋はない。宿があるだろう」

「だから、用があってきたんだってば。部屋を借りに来たわけじゃないよ」

「一体なんの用だ」


 四角い顔の門番が突っ慳貪に問うてくる。


「うん、昨日ここにさ、修行僧が宿借りに来たろ? 紫雲って言う修行僧が」

「しう……」


 もう一人の、骨張った門番が驚いたように言葉を飲み込んだ。四角い顔の門番も顔色を変えている。


「昨日の夜、来たろ?」

「どうしてその名前を知っているんだ? 異種族風情が」


 酷い言われようにもかかわらず、雷韋はなんのこともなしに答えた。


「だって昨日、一緒に飯食ったもん」

「なんだと?」


 驚いた顔の門番二人は目を見交わし、骨張った方が雷韋の腕を掴んだ。


「お前のような異種族に目通りは叶わん。帰れ、帰れ」


 腕を掴んだまま門の外へと引き摺り出し、そのまま門扉に鍵をかけられてしまった。


「ちょっと! おい、なんだよ? 鍵かけることないだろ?」

「煩い。あのお方に会わせることは出来ん! そもそも異種族が教会に来ること自体が間違っているのだ。さぁ、帰れ」


 今度は四角い顔の門番が、門扉の間から槍を突きつけて邪険に言い遣る。

 その時の門番のいい口が気になり、言い返した。


「『あのお方』って、紫雲だろ? ただの修行僧だよな? 『あのお方』って、どういうことだってばさ」

「煩い、煩い。帰れ!」


 槍につつかれて、雷韋は数歩後退あとじさったが、ただで帰るわけにはいかない。門番は『あのお方』と特別な言い回しをしたのだ。陸王から聞いた話では、修行僧は蔑まれているはずなのに、『あのお方』呼ばわりだ。何がなんだか分からなかったが、こうなったら門番をどうにでもして絶対に会いたいと思った。


 会うまで帰れないと思う。


 雷韋は突きつけられている槍をいきなり掴んで、そのまま引っ張った。相手もそんなことをされると思っていなかったのか、引っ張られて体勢を崩し、槍を手放してしまう。


「あ、おい、こら! 返せ!」

「やだよ!」


 言い放って槍を放り出し、雷韋は柵状の門扉に飛びついた。そして、するすると登っていく。下からは二人の慌てた声が聞こえてきたが、そんなものには構わなかった。門扉の天辺まで登ると、雷韋は門扉そこを足場にして一気に飛んだ。


 門番二人の頭上を軽々と越え、身軽に着地すると同時に庭へと走り出す。後ろからは大騒ぎした様子の門番達が追ってきたが、構わず庭に駆け込み、左右の宿舎のうちの左側の建物目指した。その際、紫雲の名を叫ぶのも忘れない。


 三階建ての宿舎の前で門番と追いかけっこをしながら、少しの間、騒いだ。騒げば紫雲の耳に入るかも知れないと思ったのだ。一階は手前が回廊になっていて、その奥が厩舎になっている。


 騒ぎを聞きつけて、二階、三階の窓から人々が顔を出した。現れた人々の姿は僧侶のものではない。どう見ても一般人。おそらく巡礼者達だ。だが、その中に紫雲の顔はどこにもなかった。


 昨日、紫雲は巡礼者用の宿舎に部屋を借りると言っていたが、どうもいないらしい。一応、一階の厩舎の中も走り回って覗いてみたが、驢馬ろば騾馬らばが何頭かいるだけで人の気配はない。それだけでも雷韋は安堵していた。


 紫雲が厩舎に押し込められてはいないようだから。


 雷韋はもう一度宿舎の前で門番から逃げ回りながら顔を現した人々を見渡したが、やはり見える限りでは紫雲の顔はない。


 だとしたら、もう一棟の方だ。けれど、こちらが巡礼者用の宿舎であるなら、もう一棟は僧侶達の宿舎になっているだろうから、紫雲のいる確率は低くなる。それでも一縷の希望を捨てはしなかった。


 広い庭を横切り、紫雲の名を叫びながら駆け寄る。そちらの方でもすぐに騒ぎを聞きつけて、数人の僧侶達が顔を現した。頭上から、「何を騒いでいる」と叱責が飛ばされ、門番達が「異種族が紛れ込みました」と返答しながら、雷韋を追いかけ続ける。「異種族などつまみ出せ」と激しい声がいくつか飛ぶが、雷韋は捕まらず、紫雲の名を叫び続けた。

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