宿場町の出会い 三

 雷韋らい陸王りくおうが言った呟きよりも、さっき男と陸王の間で通じていた何事かの話の方が気になっていた。


「なぁ、陸王」

「ん?」


 低く答えると、雷韋が不審そうに陸王を見上げている。


「どうした」

「さっきさ、あの親父と何話してたんだ?」

「どの話だ」

「ん~、よく分かんないけど、俺がいちゃ出来ない仕事かなんか?」


 それを聞いて、陸王は思わずといった風に鼻で笑った。


「実入りはいいが、ちっとばかし拘束される仕事だ」

「どんな?」

「お前にゃまだまだ早い。今そんな仕事を請けたら、取って食われちまうからな」


 お前が、と最後に付け加える。


 雷韋は更に不審そうな顔になって問う。


「俺が食われる? それって、魔族狩りかなんかか?」


 魔族はこの世で最も恐れられている生き物だ。いや、化け物と言った方がいい。魔物など足下にも及ばぬ凶暴性、凶悪性を秘めている。理性など欠片もなく、ただ血肉を啜る化け物だ。この地上に生きている者全てが魔族にとって生きる糧だ。怨嗟も憎悪も恐怖も、そんな感情すらが奴らにとっての馳走となる。ただただ、本能のままにひたむきに生きる生物だ。どんな種族にとっても恐怖の対象。絶対なる天敵だ。


 その中でも、鬼族は魔族にとって最上の餌になる。鬼族も魔族を最大の天敵としている。


 つまり、雷韋だ。


 魔族は全体数が少なく現れることは本当に稀だが、血が流れる戦場に湧くことがある。陸王は一度それを体験してもいるのだ。


 だから『食われる』という言葉から、雷韋は魔族狩りを想像したようだが、陸王は純粋な雷韋の疑問に苦笑を零した。


 陸王は苦笑したまま、違う違うと片手をぞんざいに振ってみせる。


「魔族なら、まだよかったんだがな。今のお前にはもっとたちの悪いもんだ」

「魔族じゃないなら何さ?」

「女だ」


 意味深長に少年に目を遣って言う。


「女?」


 言われた雷韋は鸚鵡返して、きょとんとしている。


 そのきょとんとした琥珀の瞳を陸王はじっと覗き込んだ。それも存外、真面目に。


 じっと見つめられているうちに、雷韋ははっとした顔になる。それから頬が徐々に上気して、最後には首筋まで真っ赤になった。


「嫌だ!」

「だから断っただろう」


 陸王は面白そうに、真っ赤になった雷韋を眺めている。


 陸王と男が以心伝心のように話していた仕事の内容は、娼婦の送り迎えだ。


 町にいる娼婦達は娼館に囲われてはいるが、監禁や軟禁されているわけではない。仕事場所として娼館に足を運ぶのだ。勿論中には売られてきた女もいる。そういう女達は娼館に一日中いることになるが、大抵は私娼をやるより公娼をやって、商業組織ギルドから保護された方が金の廻りもよくなるし、保護されれば送り迎えの男がついたりして、色々な恩恵がつく。しつこい客からも保護されるし、病気になっても医者に通わせて貰える。ただし、公娼は商業組織に金を払わねばならないが、それを補ってあまりある恩恵がつくのは魅力的だ。中でも、病気になっても医者に診て貰えるというのが一番大きな恩恵だろう。商業組織とて、公娼達が稼ぐ金の一部でも入らなくなれば儲けが少なくなるから保護もするし、護衛もする。勿論、医者にかかるときの料金は商業組織が支払う。彼女らが身体を壊したのでは元も子もないからだ。その点、私娼は自由に自宅を仕事場に出来るが、なんの保証もない。しつこい客との間で刃傷沙汰になることもあるのだ。やり逃げという事もままある。だが、娼館に通って客を取っていれば、店が料金を取り、歩合制で給料が支払われるのだ。商業組織と繋がっていれば、身売りも悪いことばかりではない。もし客の中に対でも現れれば、引退することもある。


 しかし、そんな女達の護衛兼、送迎の仕事は雷韋にはまだまだ早かった。護衛や送迎は一人で複数人の面倒を見る。そんな仕事を雷韋のような声変わりもすんでいない少年がやれば、女達の方が放っておかないだろう。何かしらされるはずだ。それでは護衛も送迎もあったものではない。


「お、俺、そういう女の人には近づかないようにしてんだ」

「お前にゃ早ぇしな」

「違う! もっと大人になっても、そういう人には近づきたくない。好きでもない人となんて……」


 そのあとをもごもごと言い繕っているのを見て、陸王はおかしくて堪らなかった。


「ま、時期が来りゃ分別もつくわな」

「違うってば! 俺は好きな子と結婚して、俺だけの家庭を持ちたいんだ。俺には本当の家族がもういないから、ちゃんと俺を好きになってくれた子と結婚して、子供作ってって。浮気はしたくない」

「ほう」


 意外な雷韋の願望に、陸王は目を丸くした。


「お前みたいなガキに結婚願望があるなんてな。しかも、遊びは嫌だと」

「悪いかよ」


 雷韋が頬を膨らませて唇を尖らせながら言うと陸王は、


「別に」


 そう言って、目を瞑って小さく鼻で笑った。だからと言って、別に馬鹿にしたわけではなかった。雷韋の考えは、それはそれでいいのではないかと思ったのだ。少々青臭くはあるが。そこだけがほんの少しおかしかっただけだ。


 陸王と雷韋は対だが、対が必ずつがいになるわけではない。ほかに番の相手を探すことも多くある。対である対極の魂は、己の魂を安定させる効果があるだけだからだ。だから魂が惹かれ合っても、それは『惚れる』という事と同義ではない。人間族だろうが、獣の眷属だろうが、ほかに番を探すことはあり得る。


 だから雷韋が結婚願望を持っていても、なんら不思議なことではないのだ。


 そんなことを話しながら待っていると、やがて男が一枚の書類を持って戻ってきた。


 カウンターまで戻ってきた男は長嘆息を零しながら、


「三日後、三時課さんじか|(午前九時)前にここに集まって欲しいって話があった。護衛の人数は四人。あんたら二人で取り敢えず半分は埋まったな」

「いくらだ」


 陸王が問うと男は事務的に答えた。


「一人頭、銅貨二〇枚」

「安いな」

「こっちの取り分もあるし、隣街までだ。街道自体整備されてて野盗もほとんど出ない。安全な旅だ、しょうがないだろう。みんな同じようなもんだ」

「仕方ねぇ。暫く腰を据えて、地道に稼ぐしかねぇか」


 最後の言葉のところで、陸王は雷韋を見た。


「んな、俺を見なくったって分かってるよ。金は節約するってば」


 雷韋の文句を耳にしてから、陸王は男に頷いてみせた。その仕事を請けると。


 それを受けて、


「それじゃあ、この書類のここに名前を書いてくれ。書けなければバッテンでいい」


 言いながら名前を書くらしい場所を指し示してくる。それと同時に羽ペンとインクもカウンターに引っ張り出してきた。


「なんだよ。文字くらいいくらでも書けらぁ」


 そう雷韋が言う横で、陸王は無言で名前を書いていった。


「で、三日後、三時課前にここに来ればいいんだな?」


 名前を書き終わり、雷韋に羽ペンを渡しながら陸王は確認のために問うた。


「そうだ。三日後、三時課前にここに来ればいい」

「わかった。明明後日しあさってだな」

「そう、明明後日だ」


 それに頷きつつ、雷韋を見る。


「終わったか、雷韋」

「終わった。はい、これでいいんだろ?」


 そう言って、書類を男に渡した。男もそれを受け取って確認すると頷いて返してきた。


「それじゃ、三日後だからな。忘れるな」

「こっちも金が欲しいんだ。忘れるわけねぇだろう。ついでに、すっぽかすつもりもねぇ」

「ならいいんだが。じゃあな」


 男が言うのに、陸王は片手を上げてからカウンターを離れた。そのあとに雷韋もついていく。


 そうして外に出た途端、雷韋は大きく息を吸い込んだ。


「ぷっわー、外の空気が新鮮だぁ。葉巻の煙のせいで、視界まで悪かったもんなぁ」

「そこまで酷くはあるまい」


 陸王が後ろを見るでもなく言うと、雷韋は大げさなほど大きな声を出した。


「い~や。絶対、視界が悪かったね。喉もいがいがするし~。それに安葉巻ばっかでくっせぇし!」

「大げさな」

「大げさにもなるさ。空気、思いっきり悪かったじゃん」

「ま、多少ってところだな」


 雑踏の中を歩きながら答える陸王の隣に並ぶと、雷韋は大きく伸びをした。何やらその様は、大きな仕事を遣り遂げたような姿だった。心持ち、雷韋が胸を張って歩いているようにも見える。


「でも、まぁさ、仕事が見つかってよかったよ。俺一人じゃ全然相手にされないからなぁ。一人だったらとっくに追い返されてたよ」

「そりゃよかったな。一食分も稼げるぞ」

「でも明明後日で、送って帰ってくるまで四日かかるじゃん。その間の生活費、どうしようかな?」


 斡旋所で請けた仕事は、商人の護衛だ。次の街までと言っていたから護衛が終わるのが明明後日の三日後。護衛が終わったあとに、護衛終了の証書を受け取り、この町まで戻ってこなくてはならない。証書を斡旋所に持って行ってから換金することになるのだ。行ったり来たりだ。上手くいけば、護衛が終わった街で、ここまでの護衛役があればそれに乗れる。そうして行き来して稼ぐことも可能だった。次に当たる仕事まで、時間が短ければ短いほどいい。


 それを頭の中で思い描いて、雷韋は陽の暮れゆく空を見上げた。

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