宿場町の出会い 二

 外で酒を飲んでいる中の傭兵風の一人が遠目から雷韋らいを見つけたのか、手招きしていた。


 雷韋も近寄りたくはなかったが、その中年の男は建物の入り口傍にいるために、どうしても傍を通り過ぎなければならない。


 そしてどんどん自分に近づいてくる雷韋に男は「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」と腕全体で手招きしてくる。入り口近くまで来たとき、


「なんだよ」


 雷韋が邪険に問うと、


「お嬢ちゃん、可愛いねぇ。酌してくれねぇか?」


 そんなことを言ってきた。


 言う男の言葉に雷韋は目を据わらせて、


「俺はお嬢ちゃんじゃねぇし、おっさん、瓶から直接酒飲んでるじゃんか。酌も何もないだろ」


 そう言うと、男は一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに破顔して額に手を当てると「確かにそうだ」と言って、一人で大笑いし始める。


「雷韋、相手にするな。行くぞ」

「おう」


 返事を返して陸王りくおうのあとから扉を潜ろうとしたとき、大笑いしていた男に腕を取られた。


「お嬢ちゃん、本当に可愛いねぇ。おじさんと一緒に酒飲もう」

「ちょ、何すんだよ。放せよ」


 声変わりもすんでいない声がそう言い終わらないうちにぐいっと腕を引かれて、無精髭の生えた頬を雷韋の頬に擦り付けてくる。


「うわ、気持ち悪い!」


 反射的に言葉を放ち、目を瞑った瞬間、雷韋の喉奥から獣のような唸りが短く上がった。


 それを耳にした陸王の背が揺れる。陸王は、振り向きざまに男の眼前に吉宗の切っ先を突きつけた。


「放せ。そいつは女じゃねぇ。本物の女が欲しけりゃ、盛り場にでも行くんだな」


 いきなり切っ先を突きつけられて、酔っ払いは雷韋を放して、あっさりと逃げだしてしまった。多少たちの悪い酔っ払いではあったが、雷韋を放り出してさっさと逃げてしまったところから察するに、質の悪い人間ではなかったらしい。


「何してやがるんだ」


 陸王が無表情に問うと、


「いきなり捕まっちゃったんだからしょうがないじゃんよ」


 そういう雷韋に吐息をついてから、改めて言う。


「行くぞ」

「分かってる。行くよ」


 面白くもなさげに返して、今度こそ陸王に続いて扉を潜った。


 途端、鼻と気管につんとくるようないがいがを感じて雷韋は咳き込んだ。


 安葉巻の煙と臭いだ。それが広い室内に充満している。


 げほげほと咳き込んでいる雷韋を肩越しに振り返って、


「大丈夫か、お前」


 陸王が聞くも、雷韋は荒く息を整えながら首を縦に振って見せた。それを確認し、陸王はカウンターへと真っ直ぐに歩いて行く。


 カウンターにはまばらに数人の男達が向かっていて、それぞれが仕事の話をしているようだった。その中に陸王も混ざっていく。


 カウンターに向かうと、向こうには肥えた男が椅子に腰掛けていて、陸王の存在に気付くとのっそりと立ち上がってこちらへやって来た。


「仕事かい?」


 肥えた男はなんの前触れもなく、がさついた声で尋ねてくる。


「何か手っ取り早く稼げる仕事はないか?」


 陸王の方も前触れなく、単刀直入に問う。


「一人かい?」

「いや、もう一人いる」


 陸王は背後を見て、まだ店内の中央辺りできょろきょろしながら咳をしている雷韋に声をかけた。


「雷韋」


 喧しくざわつく店内に陸王の鋭い声が少年のもとまで真っ直ぐに飛んだ。


「げほっ……、お、おう」


 カウンターに向かってやってくる雷韋を見て、男は「なんだ。子供か」と呟く。それを耳にしても陸王は特に表情を変えることなく、


「見てくれはただのガキだが、あれは異種族だ。魔術が使える」


 魔術が使えるという言葉を発し終わったとき、雷韋が到着して、うんうんと首を縦に振った。そして続ける。


「それだけじゃないぜ。盗賊組織ギルドで育ったから、ちゃんと剣も使える。罠の設置、解除も出来るしさ。お宝の鑑定も出来るぜ」


 カウンターの上で腕組みをして、雷韋は得意げに言う。


 それをカウンター内の男は胡散臭げに見遣った。獣の眷属だという事が引っかかっているのだろう。それを示すように、男の目は雷韋の獣の眷属特有の尖った耳に目を向けている。


 何しろ、人間族の中には不文律がある。教会の教えだ。


 ──主は唯一であり、神の生み出しし子は人間族だけである。他の人族は混沌から生まれでた種であり、交わる事を禁じる──


 光の神、天慧てんけいを崇める宗教『天主神神義教てんしゅしんしんぎきょう』の基本的な教えがこれだ。世界の創造主は光竜こうりゅうであり、光竜に作られた種が獣の眷属であるのに、人間族が興した宗教のこの教えのせいで獣の眷属は人間族からは蔑まされている。


 だが、人間族もこの世界の開闢神かいびゃくしんが光竜であることは認めているのだ。それでも人間族を創造した神は天慧だ。いや、その弟神の羅睺らごうと天慧、両神だった。羅睺を祀る宗教はないが、闇を司る羅睺は月として認識されている。決して忘れられた神ではない。しかし、いつの間にか羅睺はその存在そのもののように、天慧の影に隠れてしまった。今では天慧だけが人間族の創造主のように言われている。


 その宗教が人間族を絶対上位と教えるから、今、雷韋も訝しんで見られているのだ。


 とは言え、雷韋はそんなことを気にすることもなかったが。人間族は獣の眷属を下に見るが、皆が皆、雷韋を蔑んでくるわけではない。


 獣の眷属は自分達の縄張りの中で生きていることが多いため、滅多に人間族と接しない。人間族と接触する種もあるが、限られてくる。だから珍しがられて、逆によくして貰えることも多いのだ。


 けれどカウンターから雷韋を見る男は後者ではないようだ。典型的な前者。蔑んでくる者だった。


「異種族の魔導士ねぇ」


 そう言って、じろじろと見られる。


 そもそも『異種族』という言葉自体が差別用語だった。正しくは『獣の眷属』という。だが、人間族の中では『異種族』といった方がよく通る。だから陸王もわざと『異種族』と言う言葉を使ったのだ。


「異種族でもなんでもいいだろう。見かけよりは使える。何か仕事はないか」


 陸王が雷韋を見たまま考え込む男を催促した。


 催促されて、今度は陸王を見た。


「あんたは傭兵かい?」

「似たようなもんだが、侍だ」


 言って、腰の刀を掴んで示す。


「侍? だったら、ここから西に向かえば紛争している国がある。そこまで行けばいい。ここからだとかなりかかるが」


 男は驚いたように吉宗を見て言うが、陸王は首を振った。


「いいや。こんなガキを連れて戦に乗り込もうとは思わん。少なくとも今はな」

「戦争になんか手は貸さねぇぞ!」


 大声で言ったのは雷韋だった。


「戦争になんか絶対行かない! 戦争なんて、みんな不幸になるだけだ」

「お前を戦に引き摺り込もうとは思っていない。黙ってろ」


 陸王が厳しくものを言い、雷韋を不満顔にさせたが気にしなかった。


「兎に角、どんな仕事でもいい。早急に金が欲しい」

「そうは言われてもね」


 男は渋る顔を見せた。雷韋をちらちら見ているところからして、この少年のことが気になるようだった。そして、ぽつりと呟いた。


「子供、ねぇ」

「ガキの出入りできねぇところは無理だぞ」


 陸王は男が何を斡旋してこようとしているのか勘付いて、先に言い遣った。


「そりゃあ、まぁ」


 男も心得ているとばかりに、にやりと意地悪く笑む。


 それが何を意味しているのか分からないのは雷韋一人だった。


「何? 何さ」

「いいから黙っとけ」


 言いつつ、陸王は雷韋の顔面を片手で追いやった。


「ぶっは! 何すんだよ!」


 癇癪でも起こしたように怒るが、陸王も男も、もう見向きもしなかった。


「片方がこんな子供じゃ、魔術を使えると言ったって商人の護衛くらいしかないよ? しかも異種族だ。雇い手が嫌がるかも知れない。あんたは侍だから大喜びかも知れないが。あるいはどこかで皿洗いや芋の皮むきでもするかい?」

「冗談だろう」


 それは話にもならない仕事だった。陸王は反射的に鼻を鳴らす。


「なら、護衛でいいかい?」

「この際、仕方ないか。……相手方が異種族を嫌がらないのであればな」

「そうか。じゃあ、ちょっと待っててくれ。奥で書類を確認してくる」


 それだけ言って男は、カウンターの奥の部屋へと引っ込んで行ってしまった。


 それを見届けて、陸王はカウンターを背中にするようにして両肘をかけて店内を見渡した。


 店内ではカードに興じている者、酒を飲んで壁に貼られた指名手配犯の情報をちらちらと見ている者、安葉巻をふかしている者など、様々だった。中には数人で顔を突き合わせてひそひそとやっている連中までいる。


 その様子を見遣って、陸王の口から小さく「胡散臭ぇ」と言葉が漏れた。しかし、猥雑に煩い店内ではその言葉は雷韋にまで届かなかった。

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