宿場町の出会い 四
斡旋所に行くまでに時間もかかり、斡旋所でも時間を食ったため、存外、時間が経っていたらしい。
「
西に沈みゆく太陽の光が弱々しいのと同じくらい、
「そんなに弱るほど腹が減ったか?」
「斡旋所の悪い空気のせいで精も根も尽き果てた~。腹も減ったぁ~」
「喧しいサルガキだな」
「『喧しい』も『サル』も余計!」
陸王を見上げて両腕を振り上げたとき、前を見ていなかった雷韋が通行人とぶつかった。
「どこ見てる、このガキが!」
「ごめん」
と、肩越しにぞんざいに謝ってやり過ごす。相手の男も暴言を吐いて、そのまま人波に飲まれていった。
そして、雷韋の手に残ったのは財布だった。
男とぶつかった瞬間、
雷韋が陸王を再び見上げたとき、陸王は
「へへ。これで少しの間、俺の命が延びた」
全く悪びれない雷韋に、
「節約しろよ」
溜息と共に、そうとしか陸王には言えなかった。
雷韋は確かに男にぶつかったとき、両腕を上げて陸王に文句を言っていたのだから、いつ掏り取ったかなど陸王に分かるはずもない。それでも言えることは、雷韋の盗賊としての腕は確かだという事だけだった。こんな場面をこの街の治安を護っている盗賊
「でも、今夜だけは沢山食うからな! 食い納めなんだから」
「分かった、分かった」
陸王の渋面は更に渋くなっていくだけだった。
その陸王の
**********
宿に着いてから一度装備を解くために部屋へ戻ったが、雷韋の「腹減った!」の言葉に引き摺られて、一階の食堂へ下りていた。
下りたはいいが、全席満席のように見える。宿に泊まっている者達も当然ながらいるだろうが、近所に住んでいる男達もいるに違いない。近所の連中は、所謂、常連客だ。宿に泊まっている者の何割かは、この街を
「うわ~、満席かなぁ?」
「戻ってきたときにはもう、大方が塞がっていたからな」
がやがやする中から、雷韋の言葉に陸王が答える。
「んじゃ、どっか空いてる席で相席させて貰おうぜ」
「それしかなさそうだな。雷韋、行ってこい」
「えぇ!? なんで俺!?」
陸王は頭を掻きながら、
「腹が減っただの、食い納めだので騒いでたのはお前だろう。席を確保してこい」
半ば命令のように言い遣った。
「ちぇっ、ひっでぇや」
「いいから行け」
命じるように言って、雷韋の背中を押す。
急に背中を押されて、雷韋は慌てたように言った。
「分かった、分かった。行くから」
ちらっと陸王を見上げたが、それ以上はごねずに満席状態の食堂の中に分け入っていった。
その後ろ姿を眺めていると、小さな身体があっちをふらふら、こっちをふらふらとする。時には立ち止まって、広い食堂を眺め回したり。そうして暫くうろうろしていたかと思えば、雷韋が突然はっとした顔つきになった。そして、こちらを見遣ってくる。満面の笑みを湛えて。
その様に、いまさっき雷韋が見ていた方に目を移すと、三人の男達が席を立つのが目に入った。席が一つ空いたのだ。
雷韋もそれを見ていたのだろう。すぐに席に向かって歩き出した。そして陸王も同時に。
席はさっきまで使われていたため、食器がそのままだったが構わずに食堂内を飛び回っている給仕の一人を呼んだ。
すぐにやって来たのは、娘と言うには少々
「いらっしゃいませ。今、食器を下げますね」
言いながら、既に手は動いていた。
「まず、飲み物だけお先にどうぞ」
「ミルクある? なかったら水でいいや」
雷韋がすぐに尋ねる。
「ありますよ。ミルクですね」
「陸王は?」
雷韋に問われ、
「エールでいい」
女の方を見もせずに口にする。
「じゃあ、エールとミルクで。すぐにお持ちしますから」
食器を下げるのと同時に言って、女は多くの席の間を器用に通り抜けて厨房の方へと消えていった。
それを見届けて、雷韋は辺りの席を見遣る。皆が何を食べているのか注視しているのだ。それこそ今にも涎でも垂らしそうにして。
その様子に、陸王は雷韋の額を指で弾いた。
「いった」
「卑しい目で辺りを見回すな。さっきの女がすぐに注文を取りにくる」
「でも、どんなもんがあんのかなぁってさ」
雷韋は額を弾かれたことより、食欲の方がずっと勝っているようだった。痛いと口にはしたが、普段なら続く文句すら出てこない。
「何があるかなんざ、聞けば分かることだろう」
「でも、気になってさぁ」
「いいからまずは落ち着け。食い物は逃げん」
「分かってるけどさぁ」
へへ……、と笑って陸王を上目遣う。そんな雷韋を見ていると、つい陸王は渋面になってしまうのだった。
と、陸王はその時、視線を感じた。さっきの女かと思ったが、視線を感じる方角は入り口の方だった。ふと目をやると、こちらを見ている長髪の若い男が一人、入り口付近に立っている。年は陸王と同じくらいか。遠目だったが、男の瞳が暗褐色だというのだけは分かった。その目が何故か黙礼する。陸王も反射的に返していた。すると、男がこちらへとやってくる。
陸王が眉間にしわを寄せるのと同時に、女の声がした。
「はい、ご注文のエールとミルクよ。食事はどうしますか?」
声がし、エールの入った杯が目の前に置かれたことで陸王の意識がこちらに戻る。
が、それを封じるように雷韋の元気な声が高らかに響いた。
「俺ね! 肉、肉! 肉が食いたい!」
辺りの喧噪に負けない大声だった。
「お肉というと、ステーキかしらね」
「そう、ステーキ三枚!」
「え? ふ、二人で?」
「ちっげーよ。俺一人で。んで、パイは何がある?」
「今日はミートパイと
「じゃあ、それ二切れずつ!」
「一切れが大きいわよ?」
「いいんだよ、それで。んで、スープは?」
「今日はお豆よ」
「んじゃ、そのスープと、あと酢キャベツと豆の煮たのはある?」
「あるけど、そんなに食べるの?」
陸王の目の前で繰り広げられる雷韋の注文の嵐に、女は完全に気圧されていた。だが、雷韋はそんなものには構わず、堂々としている。
「今言ったの、全部食べる! 食べきる! 今夜は食い納めなんだから! あ、あとパンもね」
「そ……、そう。パンもね」
そこで雷韋の顔が陸王を見た。
「んで、陸王は何にすんだ?」
「俺はミートパイとスープ、それから豆の煮たのを」
「パンはどうしますか?」
「つけてくれ」
「はい、分かりました。……でも坊や、本当に食べきれるの?」
陸王から、異常な量の注文をした雷韋に女の目が向く。
「そんくらい大丈夫だって。明日の朝からはもうこんなに食えなくなるんだからさぁ」
後半はぼやき調子だった。
「そう。じゃあ、先にお金貰うわよ。いいのね? 本当にあんなに頼んで食べられるのね?」
「しつこいなぁ。全部軽く食えるから大丈夫だよ。あ、先にヌガーも一皿」
「えぇ!?」
更に追加されて、女は目を白黒させている。
「姉ちゃん、全部でいくらだ?」
「え、えっと……、十六枚。銅貨十六枚」
「ん」
雷韋は頷いて財布を開いて、銅貨を数えながら取り出した。
「えっと、十二、十三、十四、十五と十六枚ね。銅貨できっかりあった。はい」
まだ成長しきっていない薄っぺらい掌に、銅貨を十六枚載せて差し出す。女はそれを何度か瞬きを繰り返してから受け取った。
続けて陸王がいくらか問うと、女はすぐに答える。
「エールも入れて、銅貨四枚よ」
陸王は財布の中から銅貨を四枚取りだして、女に渡してやった。それから陸王はふっと眼前を見る。卓の向こうには、あの男がいた。
陸王が顔を向けたことで、そこでやっと雷韋と女が男の存在に気付く。
「お? 兄ちゃん、どうしたんだ?」
雷韋が思わずといった風に声をかけると、男は心持ち垂れた目で柔和に笑んだ。
「突然すみません。ほかがどこも混んでいたので、相席をお願いしたかったのですが」
それを聞いて、やっと陸王にも合点がいった。全体を見渡して、この席には陸王と雷韋の二人しかいない。ほかは三人、四人と卓についている。さっきの黙礼は相席を求めてのものだと悟ったのだ。そうと知って溜息をついたとき、給仕の女が陸王と雷韋に声をかけてきた。
「お客さん、相席して貰ってもいいですか? 今日はなんだか混んでて」
「好きにしろ」
陸王がぶっきら棒に答えると、雷韋の明るい声が響いた。
「俺もいいぜ。飯食うときは人数いた方が楽しいもんな」
「有り難うございます」
と、男と女の両方から声が上がった。そして、女が男に声をかける。
「じゃあ、注文聞いていきます。飲み物は何にしますか?」
「ワインをお願いします」
「食事は?」
「そうですね……」
男はその場から辺りを見回してから、
「ミートパイと酢キャベツ、それとスープにパンをお願いします」
「じゃあ、銅貨三枚になります」
それに頷いて、男は懐から財布を取り出して金を払った。
が、その時外套の中から覗いたのは胴着ではないかと陸王は思った。外套で隠されているが、身体は随分と鍛えてあるように思う。肩幅も、身体の厚みも陸王よりあるように見えた。
そうして陸王が訝ったとき、女の明るい声が聞こえてきた。
「じゃあ、先に坊やのヌガーとお兄さんのワインを用意してきますね。座って待っててください」
そう言い置いて、女は厨房の方へと踵を返した。
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