Ⅵ-1.ブレイズカリア血城攻防・前
1
「……糞共が。剣の錆というのも汚らわしい」
忌々しいとばかりに吐き捨てられる、舌打ち交じりの台詞。彼曰く、デザリオン大帝の崇高なる意志が宿るらしき直剣から、穢れに染まり切った血と脂肪が滴った。
復讐者狩り、クリード。
全身をしなやかにして格式の感じられる鎧で固めた騎士である彼は、ダスト荒原地帯と言わず広大なデザリオン全域の踏破さえ躊躇することはない。かつてはこの地にも冒険者と呼ばれる存在がおり、各地にあったギルドが様々な依頼を管理していた。人の安寧を脅かすケダモノや亡者、突然変異した動植物――それらは自然の食物連鎖の一角とはいえ、放っておけば無差別に穢れを撒き散らすことに変わりはない。冒険者が全盛を誇った百年程前までは、現在のように廃墟が点在するなど有り得なかったのだが……
クリードの左右には断崖絶壁がある。その中腹には五段ほどに分けて掛けられた
彼の周りには、切り伏せられた復讐者――カマ・ドーマと呼ばれる組織の尖兵達が鮮血を流し転がっている。死体から流れ出る
血と腐乱臭の漂う谷で、溜息が一つ零れる。
「次元の異なる世界より降臨せし、無双の力を持つ神童達、か。かつては大いなる炎を自在に操り
俗物の妄想などいつの時代にも存在する。霧のデザリオンにおいてもそれは同じ。
偵察たる役割を終えたクリードは陽炎を使い、揺らめきと共にその姿を消した。
2
「カマ・ドーマねぇ。キメラの小生に勝る死にぞこないたぁ、どれ程臭えんでしょ?」
「……理の不均衡は深刻でござるな。しかしカマ・ドーマというのは一体?」
やや耳障りな引き笑いを響かせるキメラの薬師――ドーブーブに対し疑問をぶつけるのは、復讐者の事情に疎い抜け忍、カラマツ。
枯れた声のくノ一に答えたのは、ひどく低い男の声だった。
「復讐――人斬りの集団を束ねる秘密結社」
曰く、
「故郷で儂は炭鉱夫。アイツらもかなり凍死した、だがこちらは全滅……」
ぐる、という凶暴な唸り。ダレンの巨躯と合わさり、その殺気に小鳥が慌てて飛び去って行く。
「クリードも、儂も、カネルの炭鉱夫集落や寒村で生を受けた。――奴の場合はまた違う理由があるようだが、儂の目的は一つ。カマ・ドーマを、巡回騎士団を荒原地帯より追放する事」
ざわ、と弁柄色の体毛が逆立つのをカラマツは幻視する。異大陸たるメルガイア出身である抜け忍は、オブリヴィオンフォーラムの中では新参の部類だ。場長トライオン=モンスールと並ぶ最古参の一人であるダレンの凄みは、押さえつけられた神獣を思わせるような迫力があった。
ケケ、とドーブーブは軽やかに笑う。「頼もしい限りだねぇ」と、
「だがお二人さんにゃ失礼かもしれやせんが、そっぽ向くなら今の内ですぜ。何せ」
アンデッド、爬虫類という異形を以って、作り出されたキメラという業。黄色い奇眼がギョロリと動き、数十里先にある難所を見据える。
そこには――大いなる存在の気配があった。
「
言い終わるかどうかという内に、巨大な咆哮が一同を震撼せしめる。たったそれだけで湧き水がゴポンと活性化し、泡沫が地下で胎動する感覚があった。
抜け忍の、旧き鉱山のウェアウルフの肌が、体毛が、脳髄が本能的恐怖を訴える中。
難所たる
3
屍山血河の様相を呈している、というには余りにも早すぎる頃合いかもしれない。だがこの地には総勢三十万のコースト軍が常駐し、難攻不落の要塞を築いているのだ。そこに異世界より召喚され̪しガーディアンの精鋭二十万と数の把握が困難なカマ・ドーマ――復讐者がゲリラ的に両者を攪乱する。
空では天地の怒り、轟く雷鳴の如く咆哮。恒水竜に挑みかかるガーディアンの竜騎兵たち。
鋭利な柵が築かれた前陣では、コーストの
ただ血城川のみがコースト側にとって独壇場であり、湧き水は陽炎に対して常に優勢。この川をいかに『大いなる炎に包める』かが、ガーディアンにとってこの戦いの鍵となることは間違いない。
その全てに注目していたのでは、この凄絶なる攻防戦を記憶に収めることなどできはしまい。故に、幾人かの個に視点を当てることで全貌把握の代わりとさせて欲しい。後の世に現れるであろう、記録者のためにも。
「――とは言っても、この戦いが時の流れに影響を与えることなどない」
湧き水のみが恒久的なものである、とでも言うかのように。
「オブリヴィオンフォーラムの鼠か。裏切者の巣窟――貴様らもまた、イド監獄での贖罪に値する者」
整然と、それでいて淡々とした口調には、メイルに隠れていることもあって完全なる平坦さと無表情しか感じることができない。当然であろう。彼ら巡回騎士団の唯一絶対の任務は、湧き水の維持。その過程に生ずる全ての事象が、さざ波や泡沫よりも些末なことであるのだから。
巡回騎士、ヴァイザード。
握られるはアーティファクト、ザザの水剣。
しかし、イエローの血を漂白させるという偉大なアーティファクトを目の当たりにしても、相対する者が慄くことはない。湧き水はその者に対して致死性を発揮しないのだ。
――曰く。
「昔、デザリオンは素晴らしかった」
旧き鉱山のウェアウルフ、ダレン。
戦場ということもあり、彼が愛する小動物達はとっくに退避している。そのことに安堵すると共に、全ての力を開放できることへの歓喜があった。獰猛なるケダモノの血が眼光に宿り、コーストの騎士に狙いを定める。
「ケダモノ? 素晴らしい命だ。みんな、偉大なる竜の下で幸せに暮らしていた。それを破壊したのはお前達……根絶しなければならない」
ゴリン……ズガガガ、と。前足であり手が引き摺るのはアーティファクト、ツヴァイヘンダー。旧く、研ぎ澄まされた自然の怒り。それはオブリヴィオンフォーラムの鍛冶屋オーガ、ブレンネルの手により通常の倍近い大きさへと強化されている。
ダレンは返り血を一滴も浴びていない。彼の俊足を以てすれば、その気であればコースト本陣への到達さえ可能なのかもしれない。
だがそれはヴァイザードとて同じ。
その直剣には、絶対的な治安維持が脈々と受け継がれている。旧く野蛮な鉱夫の生き残りを滅ぼし切れていないこと自体、自らの手抜かりだと戒める。
「巡回経路の再考が必要かもしれぬな……丁度いい。貴様を贄とし、オブリヴィオンフォーラム諸共消し去るとしよう」
「儂らウェアウルフの祖先、偉大なるアラガミへ贄となるのはお前だ。どちらかが死ぬ前に、問う」
一瞬の空白があった。次の瞬間には破裂しそうな程の憎悪を含み。
「――俺達の故郷、カネル氷河半島。そこにある交易都市への大弾圧を加え、絶滅飢饉への引き金を引いたのは、お前の騎士団か?」
帰ってきたのは、肯定的失笑であった。
まるでアラガミを憑依させたかのような雄叫びが、轟く。
――また、曰く。
「
耳障りで、聞く者を不安に陥れる哄笑がある。
だが、異様なのは彼女の周囲の光景であろう。その場にいた復讐者狩りの騎士は表情を消し去り、凝視する。
そこには――彼女の哄笑と呼吸を合わせるかのように咲き誇る、恐ろしき刃の象徴。即ち、
眉目秀麗。黒く長い、とても長い髪は不気味なほど手入れが行き届いている。そして、かつては丁寧な化粧が施されていたであろう二重の瞼は、膿水病によって白く爛れていた。だというのに、先鋭化された探査感覚は弱視をも問題としないようだ。事実、だいぶ前から梨音は騎士の接近に気付いていた。
「……」
「
最近オブリヴィオンフォーラムに出入りするようになった、辺境のガーディアンもこのくらいの歳であったろうか。彼らガーディアンは異世界より召喚され̪し少年少女であるという話は騎士――クリードも聞き及んでいたが、どうもこの少女は様子が違う。
そして、クリードの違和感は正しかった。
「ガーディアンが膿水病を発症する話は聞いたことがない。貴様は、まさか」
「ん? ああこれ? これはね」
「梨音、ガーディアンとコーストの混血だから。
おどろおどろしいデザリオンの闇が、柔らかそうな蒼白の唇から漏れ出す。
しかし尚、クリードには同情の念など湧いては来ない。弱者に対する哀れみなどとうに捨て去り、血の武法はただ復讐者狩りのためだけに研ぎ澄まされている。
「成程。であれば尚更ここで断つ必要がある。その忌わしい、『話しただけで柳刃を発生させる力』諸共にな」
ズバァァァァ、と鮮血が刀身へ。――アーティファクトである蛇の如き剣、ジェノブレイクスは主の血も、敵の血も力へと変える。屍山血河は文字通り、彼の糧となるのだ。
血染め。
クリードが持つ異名の由来ともなった基礎的強化武法を見て、
「帝国の復興、冒険者たちの無念を晴らす為。そしてデザリオン大帝の命により、貴様を粛清する」
しかし、クリードがそう宣告した瞬間。
梨音はただ、何の緊張感もなくきょとんと首を傾げた。
「……梨音さ、小さい頃結構デザリオン史勉強したんだけど。何それ? おっさんの妄想?」
掻き消すかのように。
どこかから兵士達の鬨の声が、そして夥しい程の鮮血斬撃が、振るわれる。
――曰く。
「やれやれ。空穴の住人としては白兵戦など柄じゃないのだが。つくづく調和というのは面倒なものだよ。しかし、今回は直に観測しなくてはね」
オブリヴィオンフォーラムの場長、トライオン=モンスールはコースト本陣を睥睨し。
「…………」
正にコースト本陣、総指揮官たる宿将はただ、軍旗のたなびく中、座す。
そして。
「――逃がさない。異世界も、希望の灯も全て刃で切り刻む」
復讐者。カマ・ドーマの長たる
その胸に去来する殺意が向くは、たった一人の少年のみ。
馬が、戦場に向けて走る。ただ疾駆する。
「いよいよだな。このマイ・ヨルカ=ゼルゲン、火が尽き果てるまで君を貴方を護ると誓う。真の灯し人よ、ただ思うがままに大いなる炎を振るってくれ。ナヴィン様もそう望んでおられるはず」
覚悟の宿った、大炎の侍従が発する声。復讐者の封印、そして水と炎を統べるという崇高な志が、彼女を戦争へと駆り立てた。
対して。
辺境のガーディアンは小さく、首肯を返すのみ。
とうの昔に埃で潰れた喉であろうとも、燃え盛る希望まで打ち砕くことはないとばかりに。
『さあ、戦争の始まりだ。ただ醜く、美しく、盛大に――イエローと白の血を咲かせるとしよう。ニヒルの女神もさぞお喜びだろうさ』
盃は大炎使のものか、はたまた恒水使であろうか。
その宣言が、およそ二百年に渡って続くデザリオン終末戦争、その序曲となるブレイズカリア大戦の始まりであった。
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