Ⅴ-2. イド=アレフ大虐殺・後
※暴力的、性的な描写が含まれるので苦手な方はご注意下さい。
1
湧き水。そして陽炎。
それらは廃と興の調和が辛うじて機能していること、その最後の証明といえるかもしれない。伝説上の支配者、ニヒルの女神が降臨した時代以降、有史以来最大の大戦であった『
しかし――二つの種族が頼った命綱は、イド監獄周辺において全く別のものに上書きされつつあった。
「――――」
翳される手。漆黒の装束から伸びる指は、この世界を放浪しているとは到底思えないような白い嫋やかさを保っている。野盗や賊の類であれば、その手を目にしただけで夜の肴にと涎を垂らしていたかもしれない。
フードに隠れた視線の先で――湧き水が咲き誇る刃に変質などしていなければ。
「――――」
一輪の花の如く咲く刃。それは復讐者が休息する宿り木であった。各地を巡回するコーストの騎士団が、或いは侵攻の時を計る辺境のガーディアンが行ってきたのと同じく、第三の冒涜が上書きされていく。
翳された手を翻し、やがてその姿が掻き消える。次の『上書き』先を見つけに行ったのだろうか。否、さらに監獄の下層へと攻め入るべく、陣頭に立つつもりなのであろう。
その少女は正しく復讐者なのだ。最早、指先は返り血を浴びている暇などないとばかりに、嫋やかな凶刃と化して久しかった。
2
「――恒水使バオシラに祈りを」
倒れ伏し、ピクリとも動かなくなった復讐者を見下ろしつつ、幾億も繰り返されてきた文句が紡がれる。同時に、荘厳な鞘に直剣が収まった。
「冒涜の屑が。悠久なる水の加護に唾を吐きかけた忘恩の罪、湧き水を浴びる権利もないと知れ」
吐き捨てるは巡回騎士、ヴァイザード。獄吏としての能力に特化し、戦闘経験の乏しい刑務執行官、ガタノに代わって賊徒を討伐すべく派遣された巡回騎士団の一角にして、その重鎮である。
足元には、賊徒の一人であった鋸使い、ベベトーロのちぎれかけた死体が転がっている。しかし達成感は存在しない。ヴァイザード以下、復讐者討伐を拝命した巡回騎士団の面々も苦々しい表情だ。
「穢れの極致め。視界に入るのも忌々しい」
「今日こそは根絶やしにしてくれる」
呪詛の如き使命感に、ヴァイザード自身も大いに同調するところだ。湧き水の復旧も急がねばならないが、奴らが所構わず植え付ける柳刃はそれ自体が凶器。悠久なる水が生む豊かな水源を汚すだけでなく、周囲の生物を復讐という忌わしい行為に駆り立てる膿の中の膿だ。
「往くぞ。秘祭が滞りなく行われるまでに、復讐者の首領――その首を獲る」
湧き水を使えば転移は一瞬で済む。続々と巡回騎士たちの姿が消え、イド=アレフ前の中聖堂へと集結していった。
——当然、そこで待ち受ける惨劇を目の当たりにし、己の無力を恥じることになると予期できている様子は見受けられない。
3
イド監獄内でも、最も重要故に存在を秘匿されてきた大聖堂、イド=アレフ。
かの場所で催される『
その中身とは――
「ふ、ふっ、ふ――」
「あ、あ――」
「ほお、ぉ……人間の女の身体……!」
「やだ、やだ来ないで――!」
「おおォォ出るううぅぅ」
「ま、またイ――え、ちょっと待って待って中は駄目、駄目だってイヤアアアア」
――聞くに堪えない、欲深き雄の咆哮と雌の嬌声。理性を失った背徳に恐怖し、絶望する者達の絶叫もまた、木霊する。
贅の限りを尽くした高級肉、そして酒の類。発情期の神獣のみが発する珍しいお香や、永遠に横たわりたいと思わせる豪奢なベッド。尻を落ち着かせるのに十分なシルクの絨毯。
悠久なる都、ワイトブレッドが抱える暗部の一つ。一定以上の階級に到達したコーストにのみ参加を許された、淫蕩と退廃を極めた酒池肉林。それこそが『定例秘祭』の正体であった。
だが、下劣なのは贄となる男女、その者らの出自であろう。
何せ年端も行かぬ少年少女は、その全員が――
「う、う――助けてお母さん、本当に中に……」
「う、ぐう。帰りたい。元の世界に帰りたいよ」
「ち、畜生。異世界って最初からチートが前提で始まるもんじゃねえのかよ――え、おい。ウソだよな? そんなの入るわけ、」
「やめ、ひ、キモ触るなあああ」
都に住むあるコーストの貴族曰く、デザリオンに住むどの人間よりも肌や髪の手入れが行き届き、香りや締まりが良いらしい。
つまるところ、イド=アレフの大聖堂に集められた贄は、その全員が日本人などと呼ばれる、異世界の若き住人なのだ。
「ぶ、ばああァァ。ちょっと休憩しましょうか。もう一滴も出ませんよ」
都の侯爵、アドリーは肥え太った腹を揺らし、立ち上がる。異世界より召喚され̪し少年少女とは対照的な、脂ぎった青い肌には癖の強い体毛が生え散らかっている。その頭部にやたらと華美な冠が乗っているのは、悪い冗談にしても失笑するしかない。
ブレザーなる服装をいたく気に入ったと思しきアドリーは、さらに質の悪いことに錦糸の如き流れを持つ黒髪を好んだ。そのため彼の餌食になる少女は、そのどれもが至って書生然とした大人しい気質の者ばかり。哀れ、周りでは股間から白と黄、そして赤の混じった液体を垂れ流した少女たちが白目を剥いて転がっている。
その殆どが既に息絶えているのを見て、一組の少年少女が慄く。
「真菜、愛帆――! こ、この人でなしどもめっ」
「うう、わ、私もああなるの……? ふ、はは。アハハは」
森本純基は、同じクラスの上田ひかりが発狂に近づいてるのを見て慌てて宥める。
「おい、しっかりしろひかり! とりあえず隅っこの方に逃げよう」
壊れかけているひかりと肩を組み、どうにか退避する純基。幸いなことにコースト達が日本語を理解する様子はない。奴らの大半が腰を休めている今なら、
――コイツらが入ってきた以上、どっかに出口があるはず……!
……残念ながら、コーストの全員が湧き水を使って転移する以上、その目論見は絶望に終わることは確定的であった。しかしそうとは知らぬ純基は必死に辺りを見渡し、出口を探す。
一方、若干の正気を取り戻したひかりも、
「もう少し端に行かないと。ここ、広すぎてわかんないよ」
その通り、イド=アレフは無駄に広大だ。都の腐り果てた権力者共は、富の持てる限りを使ってここの拡充に努めた。大聖堂の正体は異世界より住人を召喚するための呪具であり、禁忌の呪術を行使する最高司祭こそ、この『定例秘祭』の開催者である。
最も、彼は今必死に齢二桁にも満たぬ幼い少女の身体を突き上げている所だったが。
そんな光景を目にしてしまったひかりは、込み上げる吐き気と嫌悪感を堪え、助けられぬ罪悪感に押しつぶされそうになりながらも糸口を掴もうと足掻く。とにかく動かなければと、
「あ、見て純基!」
「ん? 何かわかったのか」
「あそこの人。地面から出てる水に近づいた途端、姿が消えた。ひょっとして」
「本当だ。――もしかしたら、あそこが移動手段ってかワープ道具的な何かなのかも」
ここがどこなのか二人には全くわからないが、周りにいた自分達と同じ境遇であろう者達の言っていたことから察するに、別の世界なのだということは予想がついていた。自分たちを犯そうとする者達の蒼白皮は、明らかに人間のものではない。
つまり、ここには人外が行使する魔法的な何かが存在する可能性は大いにある。二人の意見が一致した。
「何とか、あそこに気付かれないよう近付いてみよう」
純基が再び促す。二人とて既にその身体をむしゃぶり尽くされた後だ。全身に纏わりついた唾液の感触と性器の痛みが足取りを重くさせるが、最後の力を振り絞って歩き出す。
だが――その行く手を阻む者が在った。
「痛っ!?」
「くそ――離せっ」
嫋やかなる白い両指は、信じられぬ膂力を以って二人の首を掴み、吊り上げる。
黒い装束。
二人は知らぬことだが――漆黒で統一されたその装いこそ、復讐者の証明であった。
無造作に、と言うには激し過ぎる勢いで投げ飛ばされ、地面に叩きつけられる純基とひかり。
さらに悪いことに、そこに近づく大きな影があった。
「げえっぷ。おや、逃げ出そうとは穏やかじゃありませんな」
休憩中、しこたま酒と肉を食らったであろう都の侯爵、アドリー。
その細い瞳が愉悦に細められる。もちろん次の獲物が定まったからであろう。
「ふふん。残念ながらお手付きのようですが、くりんとした瞳。悪くないですな。何より、髪が素晴らしい」
「ひ、ひいい!?」
ひかりはたちまち、蛇に睨まれた蛙のように肩をびくつかせる。性に対して非常に過敏な年頃たる彼女が腰を抜かして震えるのを見て、勇敢にも純基が立ちはだかった。
だが、彼の心に宿る希望の火は余りにも儚い。その結果は惨たる有様としか言いようがなかった。
「ぺっ。男は趣味ではないのですよ。――そうだ、ジャレ! ジャレ!」
盟友たる貴族の名を呼ぶアドリー。すると、少し離れた所から筋骨隆々とした男が歩いて来る。両腕を掴み、背後より突いていた少年をその場に投げ捨て、
「アドリーか。何故このような隅の方に――ほう」
テカテカと光る青い肌には汗が玉となり浮かんでいた。その瞳が興味深そうに動く。
「其方であれば、このような華奢な少年なぞ似合うかと思ってな。やや不遜な所も趣味に合致するのではないか?」
アドリーの提案に、冠ではなく精悍そうな短髪を晒した顔が頷く。
「俺もそろそろ一休みと思ったが……丁度いい、酌ついでに付き合ってもらうか」
ざ、ざ、と。
無遠慮に近付いて来るジャレ。純基の本能が激しい警報を鳴らす。
奴は自分を犯す気だ。体感したことのない恐怖と嫌悪感が身を震わすが、ここで逃げ出せばひかりがどうなるかわからない。
黒い装束の復讐者が冷淡に見つめる中、
「う、おああああああ!」
ただの、細い拳。
か弱き抵抗を――ジャレは暑苦しき『抱擁』を以って迎え入れた。
「ふ、小僧。中々良い肉付きではないか。骨の浮き出具合といい、悪くない……」
ひどくザラついた、大きな手が背中を撫で回す。
まるで脳内に直接泥水を流し込まれたかのような、感じたことのない激烈な嫌悪感に純基の全身が総毛だつ。
「う、ああ」
「純基を離して!」
級友の危機に、堪らずひかりも駆け出す。しかしさらにあっけなく、細い腕が後ろから掴まれた。
「これ、お主の相手はこちらですよ」
「い、イヤ――」
これが、霧のデザリオン。最も繁栄せし、都の裏側。
醜い。
「ジュンキってぇのか? どれ、広げてみろよ」
「が、体が、うごかな」
「よ、と……お、ふぅ、狭い――」
「ぎゃ、ひ、痛い痛いいたいいたいいた」
醜い。
「へあ、はあ、ぶじゅるる」
「いやああああああ!!」
「細いのに胸は豊か、素晴らしい! ではそちらで続きを」
何もかもが――醜い。そして痛い。
もう何も見たくない。コーストも、ガーディアンも、ケダモノも人間も。
だから。
「全て斬り刻め」
漆黒の装束。そして暗い声。
誰も聞いてはいないであろう呟きと共に、まるで最初から待機していたかのように無限の刃が姿を現す。
後は、無造作に裂き狂うのみ——
どしゅ。どしゅ。どしゅ。どしゅ。どしゅ、どしゅ、どしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅどしゅ
ただ、ただ、恐るべき刃が振るわれる。大聖堂が赤黒く染まる。
少し後、饗宴は閉幕した。コーストと、少年少女の鮮血が舞うことをセレモニーとして。
空間全てが黒く、白く、赤い刃で埋め尽くされていく。
無機質な剣の舞が終わる頃には、ただ一つの命もそこには存在しなかった。
「ここは終わり。退く」
いつの間にか背後の湧き水は柳刃へと変わっている。忠実なインプもまた、刃をその身に宿していた。かつて可愛がった森のインプとは似ても似つかぬ風貌。
食うことになど興味はない。異世界の住人にも情はない。
「こんな世界は不要。だから」
ここは通過点だ。ただ一つの標的は後に、ブレイズカリアへと現れるだろう。
余りにも多い刃の風圧が、復讐者のフードを捲る。
この場にいた者達とそう変わらぬ、美しき童顔の少女。だが、その双眸は――紫電のように充血しきっていた。
「希望の火なんて灯させない」
転移した先は、地上。悠久なる都の郊外、いかなる斥候も感知できぬその場所で。
復讐者の長、ミズキ――
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