Ⅳ-2 DEVOUR CAUST・中
※暴力的・グロテスクな表現が苦手な方はご注意ください。
1
開戦時刻を示すかの如く、ゴーンという鐘の音がどこからか響く。
ハイラー峡谷はその構造上、下部に埃が流れ込む厄介な場所であった。深緑のクーロンを源とし、溶解山脈の鉱物を砕きつつ流れているハイラー川。豊富な栄養分を持つ水質の影響か、ダスト荒原地帯には珍しくディレの実やルイエの古代花といった植物にも恵まれている。
しかし、再び足を踏み入れた辺境のガーディアンとマイ・ヨルカ=ゼルゲンにとって、この地においては希少な澄み渡る空気を楽しむ余裕などない。むしろここに至る前から、全身を蝕む徹底的な破壊と醜悪な芸術を想起し、神経を張り詰めるばかりであるからだ。
その懸念を払拭すべく、もう一人の男が口を開く。
「ご安心を。彼岸水恋花による追跡は、このアールイスが無効化の術を心得ていますので。聖なる呪術を以てすれば、亡者共の跋扈も防げるでしょう」
オブリヴィオンフォーラムにおける占星術師、アールイス。
星々の加護が分厚くかけられたローブを纏い、盲目であるにも関わらずその足取りに迷いは見られない。占星術師というものはどこかしら欠損を抱える者が多いとされるが、修練の果てには真昼でも星を頼りに歩むことができるらしいと聞く。
今回その彼が同行している理由と言うのが、
「追跡の花、ゴンサルベティカ――邪悪な占星術師たるかの存在は、あろうことか壁画をも貪り喰らい、術書を強奪することで歪んだ力を振るっているのです。
バシャリ、という二つの足音が規則的に続く。マイ・ヨルカは非実体化しており、姿は見えない。
感覚の
そう呼ばれる秘術により、ゴンサルベティカの出現をいち早く察知できるよう力を注いでいるためだ。いかにアールイスが占星術師とて、預言者ではない。至近距離からの奇襲に備えるためには、ガーディアンの秘術がより効果的だ。極めて高い集中力を必要とするため、現在は実体化を解いているという訳だ。
火の消費を考えれば長時間の使用は望ましくないが、
『……揺らいだ。陽炎達が慄いている』
マイ・ヨルカは囁く。既にこの一帯は、陽炎はごく僅かだ。
反対に、豊富な湧き水がゴポンと泡立つ。本来、清浄なる水にそのような作用など見られよう筈もないが……
泡沫というのは、彼らの腐敗を如実に表した沸騰であった。
『来るぞ、備えてくれ!!』
そう言われても、というのが辺境のガーディアンが抱いた本心ではあった。
しかし、思いっきり転がるなどという回避行動が全くの無意味であることは証明済み。オブリヴィオンフォーラムでの対策協議の結果立てられた対処法。
大いなる炎・星光の
ゴ、と渦巻く障壁が、襲い来る彼岸水恋花の浸食をどうにか妨げる。
しかし、辛うじて見える破壊は惨たる有様としか言いようがない。
まだ角も発達途中である小鹿が率いる家族、樹木に張り付き、羽化の時を待つ蛹。水面すれすれを飛行する大ヤンマ、有り余る体力を魚類の捕獲に費やすルイエの緑熊……
ありとあらゆる生命が、咲き蝕まれてゆく。
「おお、おおォォ――――
最も忌むべき術書の一つ、『開闢を
貪り喰らうコーストの権化たる門番は、腐敗した泡沫の力がもつ悠久の再生とも合わせ、美しき破壊と醜悪な再構築にこそ趣を感じる悪趣味を振りまく。
アールイスはギリ、と奥歯を鳴らした。
心血をそそぐニヒル壁画の解読――そこに描かれる調和を、これ程までに冒涜する存在があろうか?
「貴様ァ!!!!」
閉ざされた視界など関係ないとばかりに、怒号をその口から発する。異大陸より発掘された黄金の小錫杖をかざし、呪術を行使。
四大超大陸が一つ、黄金大地メルガイアに生えし黄金結晶。暗き絶望を照らすかの如き眩い結晶が、雨のようにゴンサルベティカへと降り注ぐ。
それだけではない、延々と追跡、咲き誇る破壊に抗わんとするかのように、徐々に芽吹く豊穣な土。現状、アールイスの力では植物を元通りまではいかないが、
「重要なのは、異常沸騰による湧き水の増殖と、汚泥の発生が抑えられた事」
疾風の如き速度でマイ・ヨルカが出た。辺境のガーディアンもまた、駿馬を駆り、アーティファクトの一つを取り出す。
洞窟で入手した双剣はまだ使わない。この戦いは恐らくサルマトフも観測しているだろう。全ての手の内を晒すのは余りに危険だ。
さらに、
「召として喚せしめる…… 灯し人よ、面白きかな!」
鍛冶屋オーガ、ブレンネルが埋め込んだ千年の知識。重厚なバスターソードが眦の花へと振り下ろされる。
それでも尚、火花を散らすに留まる彼岸水恋花の硬度。だがゴンサルベティカが感銘を受けたのはそこではない。
テイマー呪術指南役、リナーシタの力作。
数えると、トロール三体、オーガ三体。その全てが、辺境のガーディアンと同じく千年大剣を携えているのだ。当然アーティファクトというのはポンポン増やせるものではない。カラクリは、とある秘薬の存在だ。
キメラの薬師、ドーブーブが調合する
希少を俗物と誤認させる禁薬は、希釈していても使いようということだ。
切断。
切断。
切断!!
今度は耽る暇など与えぬとばかりに、テイムしたケダモノと辺境のガーディアンがゴンサルベティカの根に斬創を刻んでゆく。千年大剣はアーティファクトであり、固有の武法が既に宿っていた。
風化する斬撃。
過ぎた繁栄を謳歌せんとする、コーストたちへの強烈な回答。
「ガギャアア………… 何と、何と焦げ臭い剣なのだ。何と目障りな温度なのだ!? 許されぬぞ、ガーディアン風情がァァァァ――」
動いているのかも判然としない、花に覆われるその口から吐き出される怨嗟。
それを聞いた辺境のガーディアンは舌打ちを漏らす。傷ついた遣いの竜は今回同行していないのだ。旧い知己であったあの復讐者の時とは違い、最後の一押しには使えない。
「一旦離れて!!」
散りばめられた斬撃。
秘術を纏わせたレイピアで舞い、刺していたマイ・ヨルカが警告を発する。そして、その決断は正しかった。
「我が、身に」
恐るべき秘術が発動しようとしている。アールイスも察し、結晶光弾を絶え間なく放った。
しかし止められない。
「悠久なる水よ、祈りを捧げまするぅぅぅぅァァ」
ゴンサルベティカは、かなぐり捨てた。
「……!! 冒涜の怪物めが!」
アールイスなど怒りの余り、唇を噛み切りそうな勢いだ。
そして、辺境のガーディアンとマイ・ヨルカが目の当たりにしたその変化。
――まさに
続き、召として喚せしめる――
ガシリ、と辺境のガーディアンの全身を絡めとる存在があった。
「くっ!? これは!!」
マイ・ヨルカの取った行動には躊躇いがなかった。自分にしても同じだ。あらん限りの炎を灯し、身体ごと異物を焼き払わんとする。陽炎による蘇生が可能であるからこそ為せる荒業。
故に、汚泥の大ツタこそ無力化できたが、残りまでは防げない。
その目、鼻、耳より侵入する種子。マイ・ヨルカにしても同様である。
そして。
「フハハハハハバハハハア嗚呼あぁァァァァ!!!! 乱れよ」
追跡を殲滅へと変じたコーストの種子により、ハイラー峡谷は水の蛇で爆発した。
2
ゴジョリ、と。五臓六腑を這い回る。
「「「へぎゃァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」」」
オブリヴィオンフォーラムの面々も、それが三人の声だとは信じたくあるまい。例え耳を塞ごうとも、トラウマの核に至るまでその悲痛は刻まれてしまうだろう。
あらゆる生物の神経を我が物顔で泳ぎ回る、汚染の蛇。真に過ぎる水というのは時として猛毒になり得るのだ。ましてやそれが泡沫ともなれば………
「「「「「「「「「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
――その峡谷は、まさに地獄にも程がある仕上がりであった。ありとあらゆる痛覚をゴジョゴジョとざわめかせる水の細蛇は、亡者を含めたあらゆる生命の喉を、断末魔発生機械へと誘う程の凄まじい浸食を見せる。
ハイラー川でさえ、泣き疲れたようにその流れを止めていた。どぷ、どぷと泡立つ汚泥混じりの泡沫。或いは、先程謳われた断末魔の中に、川自身の声さえ含んでいたのかもしれない。
地獄の中心で、蛇身人首の腐敗が何言かを
「ご、ぐフフフ。恒水使バオシラ様。また肉を潰しましたゾ? ボぁ。肉の花を献上した暁には、是非是非ぜヒ、その逞しき肉でこのゴンサルベティカを貫いて――」
恍惚を浮かべ、全身をくねらせているのは性器を慰めでもしているのか。しかし、不愉快なのはこのゴンサルベティカに限った話ではない。ダスト荒原地帯のみならず、悠久なる水の都・ワイトブレッドでさえ、恒水使に自己の肉体を差し出さんとする醜悪な試みが後を絶たないのだから。
遠くで、ゴーンという鐘の音が響いた。
それは何回目であったろうか。絶頂に届かんとするゴンサルベティカに、それを気にする余裕も、理由もないのだが。
やがて数秒の後。
「むふ……… ブゥ? これは」
快楽の余韻も抜けぬ口振りで、鳴り止まぬ鐘の音に初めて違和感を抱く。じろり、と先程まで立ちはだかっていたガーディアン共へ視線が向くが、そこではない。
むしろこの胎動、嫌な温度は――
「し、た?」
きょとんとさえしてしまう。それも無理はない。
理が崩れ、コーストの専横が始まり早千年以上。門番たる彼女では、とうの昔に忘れ去られた拠点のことなど、知らされよう筈もなかった。
答え合わせとばかりに、闖入者の声が耳朶を震わす。
「………無知とは恥よりも質が悪いものだ。コーストともあろうものが、わざわざ陽炎の上に胡坐をかいていようとはね」
ひどく、無愛想な声が峡谷へ沁みていく。
ゴンサルベティカはこう見えて聡い。その意味を理解した瞬間、声にならぬ悲鳴と共にその場から脱しようとする。
しかしそれを見ているかも怪しい声の主は、対照的に落ち着き払っていた。
「まあ、ゆっくりしていけば宜しい。その為に根を張っているのだろう? 効率的に最短労力で仕事をする姿勢には、この身も賛同するよ」
せせら笑う、白衣のフードと牙のようなマスク。
その姿を認識し、殲滅の蛇は震え、暴発した。
「空穴の、住人めぇぇぇぇぇェェェェ!!!!!!!!!!!!」
しかしそれを受けても尚、淡白な冷笑は崩れない。
「……これも、あのガーディアンの計画通りということか。この身をも組み込むとは、身の程知らずというのか下劣な狡猾性を称えるべきなのか……… ある意味では、あの大炎使よりも注意が必要かもしれんな」
言っている間にも、暴発した彼岸水恋花、水の巨大蛇が押し寄せる。
だが、意味を為さなかった。
大赦の六芒水晶。
赤く光る穴。その中にある六芒水晶と呼ばれし巨大なアーティファクトに、全てが浄化されたのだ。理を正す、女神の遺物によって。
「そろそろか」
牙のようなマスクから発せられる呟きとともに、最後の鐘が鳴る。
それを合図に、南方の巨大陽炎――辺境のガーディアンの旅の目的、荒原地帯四端にある巨大陽炎の復活。その集大成が成った瞬間であった。
天を貫く業火と、美しく焼き払われる醜きコースト。やがて陽炎の癒しによって、三人も息を吹き返す事だろう。
「これで、残すは海守りだけか。とはいえ、四方の陽炎が埃を清めるだけでも、その名は歴史に刻まざるを得ないだろうね」
感情の籠らぬ溜息を吐き、トライオン=モンスールは観測者たる視線を火柱へとしばらく留めるのだった。
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