Ⅳ-3 DEVOUR CAUST・後

 ※暴力的・グロテスクな表現が苦手な方はご注意ください。 



 既に崩落しきって久しいその関門であったが、在りし日の記憶を持っている者はそう多くない。ブレイズカリアに至る要所たる此処は、それほど多くの血を地に沈み込ませてきた。

 視界に映るは、ただ瓦礫の海。

 果たしてその事実を知る者が在るであろうか。海守り、という異名が断崖海峡ではなく、瓦礫の海――ハイラー崩落関門の守り手を指していることを。

 そしてこれからも、その名の由来が伝えられていく可能性は極めて低いと思われた。

 そのことを裏付けるかのように、



「「「「「「バウッッッッ」」」」」」



 ヒトの声とも思えぬ音と共に、凄まじい破砕音が耳朶を震わす。同時にイエローの血が四方八方に飛散し、歪な肉塊が再び出来上がる。

 ジリ、ジリと彼らの志が這いずり、逃げ出したいという音が聞こえてきそうな有様。これでも、太古の昔より繰り返されてきた歴史の一ページにもなりはしない。些末な作業だ。

 挑みかかるは、再び異世界より補充され̪しガーディアン達。

 そして阻むは――海守り、サルマトフ。

 ゴンサルベティカ亡き今、断崖海峡に立ちはだかる最後の障害である。幾重にも切り裂かれた歴戦の蒼白皮。或いは堕した片翼――右手に携えるアーティファクト、いにしえ隊旗たいきは、既に夥しいイエローの血を吸っている。

 戦況は、既に目を覆いたくなる様相を呈していた。

「ダメだぁ、こんな化け物勝てるわけねぇよ! にに逃げなきゃ……!」

「ぎゃひ、ひ、足、あじがああァァ」

「可菜、可菜あああ!! ねえ誰か、誰か浄薬じょうやく!! 可菜を助けてよお――」

「へ、えへへ、こんなの嘘だ。帰ったら積みゲーを消化しなきゃいけないんだ……夢に決まって……へ、ひゃアハハは」

「園田さん、見ててくれ……。僕は英雄になるんだ。ハアッ」

「! 長谷川君、駄目――!」

 慄く者、友人の惨状に泣き叫ぶ者、認めたくない現状から逃避・発狂に突き進む者、覚悟を決め、蛮勇にも似た特攻を敢行する者。既に幾度となく繰り返されてきた光景だ。そうしてまた無情にもコーストの鉄槌が下り、うつつにおける秩序の存在を刻みつける。

「矮小に過ぎる燻り火……吹き消すまでもないわ」

 老いを隠せぬしゃがれが宿ってはいるものの、在りし日の関門を想起させるような重厚、かつ堅牢な意思を内包する声。数多のガーディアン、時には英雄に類する者さえ屠ってきたこの凄まじきコーストに、迷いは見られない。

「ハアッ――!」

 オーソドックスな大槍を構え、秘術を使用。一直線に突進する。

 火の穿うがち。

 直近、大炎使ナヴィンにより転移させられしガーディアン達。総勢三十八に及ぶ転移者の一人たるその男の名は長谷川玲輔はせがわれいすけといった。その名、言語と共に解するのは、かの世界の風習に触れて久しい大炎使ナヴィンか、その懐刀たる辺境のガーディアンくらいのものであろう。故に、時として武器となり得るのだ。

 例として、このような状況。

「(玲輔…… すまん!!)」

 岩の陰に潜み、懺悔するは中田俊郎なかたとしろう。三十八名の中でも今一つ冴えぬ者同士、よく遊んだ仲であった。かの世界では到底及ばぬ高嶺の花たる女、園田そのだ七瀬ななせに向かって最後の思いを伝える心境は計り知れない。

 だからこそ、

「(絶対に成功させる!!!!)」

 来るべき日に備え、同胞の誰にも伝えず磨き続けた一つの秘術。しかし友人は気付いていた。ここに潜んでいることにも…… なればこそ、刹那の時間稼ぎに出たのだ。

 偶然か、また一人、二人と加勢に出る。秘術、呪術による支援だ。

 散る火矢。

 大光弾だいこうだん

 一方、尚も群がる矮小な焦げ臭さにサルマトフは顔すら顰めず、

「……埃を払うより容易き事よ」

 水刃すいじん

 水刃。

 水刃。

 空に現れ̪し、氷柱の如き鋭利な水。それらは即座に標的を認識、三人が防衛行動を取ろうとした瞬間には、既にその頭上から股間までを刺し貫いていた。

 また、絶叫が響き渡る。

「いやあああぁぁ、カズ君――!!」

「ユウヤァァァァ!!!!」

 失われていく命の数は既に半数に達している。イエローの血は川となり、肉塊と臓物はまとめて押しつぶされたせいか、歪に癒着していた。そうしてできた何かは、やがて強力なアンデッド、ケダモノとなり生者を妨げるのだ。

 それをよく知るサルマトフは、ここでも再び洗浄という名の粛清を執行する。

「祈りをするにふさわしき光景ではない。

 手を掲げることさえなく、その身体より泡沫が広がる。

 泡沫うたかた清流せいりゅう

 サルマトフはこういった風体でいて、ひどく潔癖な性を持つ。朽ちゆく大海がいかに錆びつこうとも、自らの領域がイエローの血と臓物で穢れたままなど耐えがたき屈辱であるのだ。

 だがその『清め』は、ガーディアンにとっては有効な攻撃となり得る。

 ましてや足を潰され喘ぐ者、腸を晒し既に虫の息の者、仲間の手を借り懸命に患部の手当をする者達にとって、泡沫は何より勝る猛毒であった。

 断面を。

 神経を。

『清め』る。



「「「「「「「ぎゃがああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」」」



「痛い、痛い痛い助けてえええ――ボ」

「へへ、へえへへお家お家ブギッ」

 苦悶も、逃避も、古の隊旗が振るわれる度、吹き消されるのみ。

 惨劇の夜以前、辺境のガーディアンの級友達が存命の頃。彼らの会話を聞いていたインプ曰く、言語はわからなかったが総じて平和的であり、苦境に晒されつつも激励が絶えなかったという。また常に愛憎が渦巻いていた、とも。

 故に――デザリオンの秩序はただただ彼ら、彼女らに酷薄こくはくであった。

「ぎ、ぎ……い。の、のど……水だれか水みず」

 大炎使ナヴィンの住居、その奴婢ぬひたるインプにも優しく接した沢里可菜さわさとかな。既に寄り添っていた友人は絶命している。最も戦いに不向きで、それ故誰よりも温厚であった丸眼鏡の文学少女は、左足を潰され、首を裂かれつつも最後の三人の内一人となった。慈愛に過ぎたその気性に合わぬ生命力があだとなった格好だ。

 過多な失血により、水分の足りぬ混濁とした頭で這いずる。その背後に、ゆっくりと迫るサルマトフ。

 しかし今――準備は整った。

「みんなの、仇。くたばりやがれ……!!」

 中田敏郎。歯が軋むほど嚙みしめ、新たな惨劇を見つめ続けた男。

 その生涯最後の秘術が――絶望の中、温度を生む。



 火浄万禍かじょうばんか



 唯一、海守りを動かすに足る一撃だったといえよう。

 術者の魂を余さず燃料とし、放たれるガーディアンの秘術。揺蕩う泡沫に抗わんが如く、意地を乗せた火輪が広がってゆく。

 可菜から視線を外したサルマトフとて、対処を迫られる一撃に他ならない。

「ほう、

 泡沫の清流。

 再び発動されたコーストの秘術により迎え撃つ。維持せんとする悠久なる水と、侵食せんとする大いなる炎。今日のデザリオンにおいては、珍しい構図といえる。

 しかしそれでも尚、歯牙にかける程の炎ではない。サルマトフが口を開く先は他にあった。

 泡沫うたかた火禍かかを打ち消した瞬間、それはやってきた。



 即ち、真の刺客。

 遣いの竜が放つ大いなる炎の吐息ブレスと一体化せし、辺境のガーディアン。



「屠り損ないなど耐え難き恥よ! 今こそ雌雄を決してくれる」

 流石と言うべきか、サルマトフの動きは速かった。古の隊旗に宿りし秘術の一つを即座に発動させる。

 海守りの指標しひょう

 なびく旗は蒼き加護に覆われ、竜の一撃をも受け止めてみせた。

 一方、辺境のガーディアンは即座に戦闘パターンを組み立てる。離れた所では、マイ・ヨルカとドーブーブが二人の少女を治癒している。見た所二人共虫の息で、秘薬の効き目が表れるまでの時間を考えれば、しばらく戦線は自分に委ねられるであろう。

 しかし、それは単独という訳でもない。



「――久方振りの大敵にござるな、これは」



 曰く、枯れた声の主であるその女は、遥か遠方の黄金大地メルガイアにある聖地より流れ着いた忍の一味であるらしい。

 抜け忍、カラマツ。

 荒れたこの地には激しく異彩を放つ艶やかな黒髪を流し、藍に染められた忍装束より素早くクナイを投擲する。あらゆるケダモノを一瞬にして昏倒させる猛毒を塗りつけたそれを以て、サルマトフの集中を阻害せんとする。

 その阻害は隙を作る必要もない。ただ『間』があればよいのだ。辺境のガーディアンが新たに手にしたアーティファクト。高貴なる炎が舞うにはそれで十分なのだから。

 禍紅矢かぐや守護双刃しゅごそうじん

 轟。そして轟。サルマトフは目を瞠る。泡沫は蒸発。悠久なる水の加護はあのトロール使いとは比較にならぬ程高密度の呪素にも関わらず、融解しかかっていた。

「大いなる炎のアーティファクトか。……であれば、古の奔流をも斬り裂いてみよ」

 嗤う。発動するは、古の隊旗に宿りし秘術。

 最もサルマトフが得意とする、秘術だ。



 隊士の誓い。



 かつて海守りの下、集った二万五千の兵たちがいた。

 永劫なるガーディアンとの戦の果て、あるいは強大なケダモノの侵入を防ぐ内、いつしかその意志は一つの大旗へと結集していった。やがて、記念旗に過ぎなかったそれは、門番たる者のアーティファクトにふさわしき力を持つに至ったのだ。

 

 それこそが、サルマトフの最も驚嘆すべき実力である。

 驚異的な瞬発力を持って、蒼白皮の内にも次々と斬創を刻んでいた辺境のガーディアン。変わり身で逃れたカラマツは警告を発する。

「危険でござる。離れられよ!!!!」

 古の隊旗は、いやに遅かった。それが決断を遅延させる原因であり、致命的な特性。

 視覚にまるで一致せぬ力の奔流が降りかかり、辺境のガーディアンは塵と残らなかった。



 *



 途絶する。やがてまた、陽炎が意識を揺り戻す。



「追跡の花も情けないことだ。水の恩恵を忘れ、腐に耽ってばかりおるからこのような輩に後れをとることになる」



 泡沫の浸犯。

 今度は奇襲も通じず、ただ泡沫がもたらす激痛によって、その身体は沈んだ。

 鎧の音さえ、響いては来ない。



 **



「今で、ござる!!」

 口寄せされた聖地のケダモノ。それは獅子といった。合わせて、テイマー呪術によるゴーレムが二体、殺到する。その肩に乗った辺境のガーディアン。

 飽いているゴーレムはともかく、獅子にはサルマトフも興味を惹かれたようで、

「ほう、異大陸のケダモノか。神獣には達せぬようだが、血が騒ぐというもの」

 ざわり、と装束が波打つ。再び古の隊旗が掲げられると、発動するは強大な呪術であった。

 門番の激迅げきじん

 一見鈍重な先程の秘術とは一転、辺境のガーディアンさえ上回る瞬発力を以て、戦士も蒼白にせんという程の速度で蹂躙する。

 ヒト、ケダモノ問わず。

 同時に辺境のガーディアンの上半身が宙を舞い、



 途絶。

 途絶。

 揺ら――――



「灯し人の力か。ならば幾重にも、幾度でも屠るまでよ……!!」

 大いなる炎の吐息ブレス。その身を業火に焼かれながら尚、凄まじきコーストは苛烈である。

「我、ここに祈り詩を捧げん。悠久なる水の力よ、粛清せよ」

 コーストの中でも限られた者にしか使用できない、祈りの昇華。

 爆発的に展開される噴霧。その力の前に、竜さえも地に堕とされてゆく。



 途絶。

 揺ら――――

 …………………しかし、



「何故立ち上がる。小さな灯し人よ。なぜその陽炎は吹き消えぬ!?」

 幾十にも及ぶ死。しかしそれを糧にするかのように、辺境のガーディアンは牙を剥いて来る。ついに、サルマトフにも動揺が見え始めた。

 辺境のガーディアンは首を傾げそうになる。コーストとの戦いはリソースの奪い合いだ。戦闘以上に、湧き水と陽炎の数が、勝敗を大きく左右する。その点においてこちらが優位であることはわかりきっているはず。

 だが、辺境のガーディアンは気付いていない。

 大炎使ナヴィンが一目置き、マイ・ヨルカが恐れる真の理由。ことが生み出す、無限の戦闘耐性。

 そこにこそ、サルマトフが恐怖しているのだと――

「……、集え、隊士よ。我が同胞よ」

 その身はあちこちに小火が生まれ、無視できぬ傷となっている。カラマツが仕込んだ猛毒のクナイと手裏剣もまた、その効用を増していた。

 湧き水は殆ど残っていない。であれば、



「悠久なる水。その気高きたるこの海守りが、全て吹き消してくれる!!」



 その、真なる形態。

 かつて勇猛なる兵に慕われた、偉大な大志。かのオブリヴィオンフォーラムの重鎮にも値したであろうその力により、堕した翼は一対となり、蒼く飛翔する。

 カラマツもまた、動いた。

「行けっ」

 口寄せされたのは、一羽の大鷹であった。遣いの竜は沈み、今は竜の大陽炎へと帰還している。足が必要だと考えたのだ。

 辺境のガーディアンは大鷹に飛び乗り、上空から急襲せんとしていたサルマトフを迎え撃つ。その構図を見たカラマツは息を呑んだ。未だ治療に専念する、マイ・ヨルカとドーブーブも。

 まるで、屏風に描かれた龍虎のようだ――と。

 二つのアーティファクトが飛沫を上げる。燃え盛る。



 そして――その様子を監視していたある少女。伝説上の女神と同一化したその存在でさえ、僅かに感心する程の混沌が生まれた。



 やがて白い爆炎、爆水が消える頃。その少女はいずこかへと去ってゆく。

 運命の禍紅矢かぐや

 勝者たるそのガーディアンが使った高貴なる秘術――かつて伸ばした手が空を切ったその少年に、さらなる困難を与えるために。



 ***



「す、すごい。一人でやっつけちゃった」

「う、うん………」

 園田七瀬、沢里可菜の二人はその顛末を呆然と見つめ、感嘆する。深刻な怪我から回復したばかりであるため血色はまだ良くないが、五体満足にして五感も良好であるようだ。

 痛みが引いてきた時、認識できたのはアンデッドと綺麗な少女だった。アンデッド……というかキメラであるらしいのだが、ドーブーブというらしい方は何を言っているのかさっぱりわからない。元の世界で成績優秀だった二人はダスト標準語とデザリオン文字をある程度理解することができたが、どうも彼の言語はまた違うものであるらしい。

 そしてもう一人の少女の方は、大まかにではあるが言語を解することができた。ナヴィンが使っていた言葉と同じだ。

「言葉が通じるのですね。私はマイ・ヨルカ=ゼルゲン。大炎の侍従にして、現在は大いなる炎、その代行者の一人たるナヴィン様に仕えています」

 曰く、サルマトフのもたらす余波は周りの陽炎にも深刻な影響を及ぼしていたらしい。この戦闘を察知していたものの、唯一陽炎を復活させられる彼の到着が遅くなったのはその対処に追われていたためということだった。

「タイミングの問題ではありますが、残念ながら貴方達の同胞全員が蘇生する確率は低いでしょう。この後生存する全員を回収し、私達の拠点――オブリヴィオンフォーラムにて保護する予定です」

 園田七瀬と沢里可菜の二人はわかりました、とよくわからないまま頷く。どの道、自分達に選択肢などない。だが、あの慈悲深くも恐ろしいナヴィンとは違い、マイ・ヨルカは信頼に値する気がした。

「……あ」

 園田七瀬は、こちらに歩いて来る辺境のガーディアンに目を留める。ドーブーブから投げられた薬瓶を無表情で受け取ると、ゆっくりそれを飲み干した。その背後には、背丈が同じくらいの忍者が付き従っている。

「助太刀いらずか…… 全く。本当に怖い人だ」

 マイ・ヨルカはそう、何度目かになる溜息を吐いた。
















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