Ⅳ-1 DEVOUR CAUST・前
※暴力的・グロテスクな表現が苦手な方はご注意ください。
1
「腐ってもガーディアンという訳か? 火はまだ消えておらぬようだな」
「蠟燭よりも簡単に吹き消えるその火、燻り火となりケダモノに踏み潰されるのが関の山よ」
波が立つ。焦げ臭い炎が在っていいなどと誰が許した? とばかりに。
ガーディアンにとっては何よりも忌むべき、汚らしく濡れる水。耐え難きその屈辱を晴らさんと、大炎の侍従が決死の突撃を敢行。最早状況は予断を許さぬ、どころではない。
「く、そおおおぉぉぉぉ!!!!!!!!」
「燻り火、何とも矮小な火種だ。泡沫となれ」
また、古の隊旗が地面へと突き立つ。ザドリ…… と泡が一瞬にして浸食した。
ヒト型などよりも余程大柄な体躯さえ沈ませる、
今度は、肉塊さえ確認できない。
「――――――――」
既に、この凄まじきコーストにより幾多のガーディアン、そして陽炎が吹き消された。
「――恒水使バオシラに祈りを」
また、掲げる。
海守り、サルマトフ。
幾重にも爛れ、切り裂かれた歴戦の蒼白皮はマント、あるいは堕した片翼のようにも見え。
背負う古の隊旗の前に、既に辺境のガーディアンはイエローのシミさえ残ってはいない。
「召として、喚せしめる」
「おお、何と美しき死の形よ!」
また、耽る。
「おお、おお、おお――死の形よォォォォ」
耽り、耽り、耽り、耽――――――――
花に覆われたその顔面は、ただの一回も敵を見据えない。否、その場にして根を張り続け、そもそも不動なのだ。故に、彼女に対しての名は恐ろしく不釣り合いにも見える。
追跡の花、ゴンサルベティカ。
苔の顔面、その
その答えは、谷底で自らの水分により咲き誇った辺境のガーディアンが示していた。
心臓から絶え間なく供給され、ぶぴゅ、ぶぴゅとイエローの血が滴る。小腸はまるでツタのように雑草から栄養を吸収せんとし、胆汁に至るまで枯渇した源を補う。
大腿骨は茎にして、腹の脂肪は蜜となる。極彩色の誘惑は、ひらひらと軽やかな紋白蝶を呼ぶにはいささか刺激的であるようだ。代わりに、汚泥より這い出し混種のケダモノやら、無縁となり行き場を失った棺桶の亡者までがおびき寄せられる。
そして、追跡の花が言うところの『死の形』から伸びる細い白。
最後に伸びたそれは、藁にも縋ろうともがいた証にも見える。上部にある細長く赤い脈の血走った何かなど、余りの苦痛で眼窩より飛び出したとしか思えない有様であった。
確認し、谷ではまた、歓喜が泡立つ。
「焦げ臭いこと極まりないガーディアン、そして侍従。おお、恒水使バオシラ様。偉大なる御方の力により、また肉の花は咲いたのです!」
続くは、祈り。そしてまた彼女は腐に耽るのだ。
しかし両名とも、秩序とは異なり水の祈り詩まで欠かすことはない。
静のゴンサルベティカ、動のサルマトフ。
ここダスト荒原地帯の南端、ハイラー崩落関門とハイラー峡谷を任されしコーストの精鋭にして――ブレイズカリアに至る門番の一角であった。
2
ボハ、と全ての空気を吐き出した。許容度をとうに超えた数々の苦痛は、元来ただのヒトである辺境のガーディアンがショックを起こさないのが不思議な程だった。故に、深呼吸したところで容易く癒せるはずもない。
マイ・ヨルカにしても、実体化を解けるとはいえ傷は深い。損害は深刻だ。サルマトフに挑んだ際、彼女が保険として遣いの竜を呼んでくれなければ、陽炎にさえ戻れず未だ咲き誇っていたに違いない。
陽炎の保険が活きた格好。事前にアールイスやドーブーブの力も借り、各地の燻り火を片っ端から復活させておいたのだ。彼らの占星術、そして秘薬は、隠れたそれらを見つけるのに大いに役に立った。
オブリヴィオンフォーラム。
命からがら逃げかえった安息室で、足音も控えめに一人の女が駆け寄ってきた。
「貴方様……!」
白銀の錦糸のように流れる毛髪は、厳めしきこの拠点にはあまり似つかわしくないように思える。シーリアンの闇より遣われし傍系の末姫、セティであった。
「いくら真の灯し人とて、門番二人を一挙に相手取るとは…… 余りに無謀が過ぎます。その御腰、立たなくして差し上げた方が宜しかったでしょうか」
彼女は怒っているのだろうか。常に諦めたような微笑が浮かんでいるためわかりづらいが、初夜からというものの気が付けば夜な夜な寝室に引きずり込まれてしまっているのであった。その辺り、未だ燃え尽きぬ過去の残滓があるのかもしれない。
先日、大いなる炎に焼き尽くされた級友は罵っていたか。陰キャ野郎、などと。
とはいえ、陽炎は精神の傷まで癒すものではない。そのことを考えればセティの心配は至極当然のことだ。事実、辺境のガーディアンの魂は消耗しきっていて、遣いの竜は本当に乗っているのか不安になる有様であったという。
「しかし二体が相手となると、今のテイマー呪術ではかなり厳しいものがあります……」
テイマー呪術指南役の少女、リナーシタも悩んでいる。先日屠ったトロールなど、ものの数秒で消し飛ばされてしまい、彼女には悪いが存在さえ忘れてしまう程役に立たなかった。
「せめて、もう少し上位の
ううむと顎に小さな手を当てるリナーシタ。その背後にノソリと近付く巨漢がある。鍛冶屋であるオーガ、ブレンネルだ。
「場長に相談してみてはどうだ? 過去に英雄達が残していったものが、大倉庫にあるかもしれんぞ」
「! トライオン様はあそこの鍵を管理しているのでしたね」
では早速、と駆け出していくリナーシタ。その後ろ姿を見た辺境のガーディアンは心配になる。あの偏屈なトライオンのことだ、純真な少女でも辛辣に扱いそうな事この上ない。
とはいえ、ケダモノ狩りなど営まない自分は他にアテなどなかった。今からテイムするケダモノを探しに出ていたのでは、最悪その前にサルマトフが大炎使の森まで併吞しかねないからだ。
アールイス、ドーブーブの二人は不在。帝国の戦士クリードは復讐者狩り以外には関心を示さぬため、とりあえずは休み、二人の帰還を待つことに決める。
最後に、
「今日はここで休息を取るとして、明日とある洞窟に出向かないか。そこにあるというアーティファクトであれば、或いはコースト共に一泡吹かせられるかもしれない」
一泡どころか泡沫に溺死させられた辺境のガーディアンからすれば、何を上手いことをと指摘する気にもなれない。マイ・ヨルカの提案には頷きつつ、鎧を脱ぎ捨てる。
「では、こちらへ」
当然のように手を引くセティに対し、今日は絶対に動かないぞと固く決心を決める辺境のガーディアンであった。
3
翌日。
灯台下暗しと言うのか。思ったよりも近距離にあった仄暗いその洞窟は、単独行動であった頃ならばまず入らなかったであろう。ケダモノ達の唸りと死臭が、直感が間違いでなかったことを裏付けている。
「ここに、大炎のアーティファクトたる双剣が眠っている筈。油断は禁物だが、この程度のケダモノであれば二人で対処できるだろう」
マイ・ヨルカは状況によって実体化・非実体化を使い分けているが、今回は先行し、道案内役を買って出ている。セティに渡されたランタンの効力は想像以上だ。全土が闇に覆われた彼女の故郷では、こういった永続の明かりが当たり前であるらしい。
真の意味での希望の火はこういったもののことであろうと考えていると、早速というかケダモノ達の巣に行き当たったようだ。狭い洞窟内を考慮し、直剣を抜き放つ。
「
鬣、体毛が剣山のように尖った白い狼達。見た目通り集団で行動し、中央にはボスたる大型個体が我が物顔で昼寝をしている。
すん、という音が聞こえた。群れの一体が、鋭敏な嗅覚を以って嗅ぎ付けたのだ。
しかし、マイ・ヨルカの動きは閃光そのものであった。剣狼の跳躍を以ってしても届かぬ天井を蹴り、そのまま刺突。驚異の早業でボスを仕留めてしまう。
むしろ肝はその後の処理にある。全部で八体。ブレスなどの特殊な攻撃手段こそ持たぬものの、全身が牙同然であるからして突進でさえも侮れない。通常の斬撃では通らない為、辺境のガーディアンは行使する。
復讐者狩りたる戦士、クリードが推薦する剣技。戦士のみ使用可能な
強制的に出血を強いる直剣の一撃。この程度のケダモノならば、即死も視野に入る威力である。そこへさらに、最も基礎的な武法の動きをも組み合わせる。
三段構え。
突・斬・払の動きを流麗に繰り返すことで、剣狼達は物言わぬ屍と化した。
群れにボスは二頭といない。後は遭遇したとしても同様に撃破していくのみである。
「こちらだ」
枝分かれする下り道。さらに深くへ踏み込むからには間違いは許されない。だがマイ・ヨルカは迷わず左の道を行く。
こういった指標が最初から存在していれば、或いは惨劇の夜が回避できたのでは――
一瞬、僅かな悔恨にも似た感情が頭を過ぎる。
だが、襲い来る不確定が追憶を途切れさせた。
「くっ!?」
一瞬にして瓦礫と化す足元。範囲が広すぎるため、とっさに剣を突き立てることもできなかった。為す術なく二人共落下していく。
また、唸りが聞こえた。聞き覚えのあるもの。入り口で聞いたそれと酷似している。
この洞窟の主が気まぐれに巻き起こす破壊によって、自分達は引きずり降ろされたようだ。好都合なことに。
しかし、目を瞠るべきはその地形かもしれない。
「地底湖…… 水だと? コーストに察知されていたというのか」
マイ・ヨルカは僅かに歯噛みする。彼女の記憶では、ここは広大にしろ洞窟の一部でしかなかった。しかし僅かに泡立つ深き青の湖は、こちらを歓迎するかのように澄んでいる。全てのガーディアンにとって忌々しき湿気と共に。
もちろんただそれだけを見せるためにここが存在するのではない。察するまでもなかろう。既に配置済みということだ。
岩場に反響する水音と共に、姿を現す。
見上げるような大きさの、自立歩行する石像。即ちゴーレムだ。
ただし――見慣れぬ巨大な板に乗っている。
「あれは…… 水面を移動するのに使うということか」
当たりだ。しかし辺境のガーディアンは若干の訂正が必要だと考える。
水の上で、波乗り達が興じる遊戯。それは確か、サーフィンなどと呼ばれていなかったか?
来るぞ、と叫ぶまでもない。猛烈なスピードで水面を渡り、華麗なる回転を空中で決めたゴーレムが、錐もみの要領でこちらに落下してくる。
衝撃。そして地割れが血管のように走る。
それが原因で、崩れた地表からさらに湖が広がらなかっただけ奇跡かもしれない。マイ・ヨルカは攻撃に映った。
散りばめられた火矢。
握られた短弓から放たれる、思いの外大きな火の呪術。
そして、辺境のガーディアンはバトルハンマーの重量を以って、火矢に動きを止めたゴーレムの片足へと振り抜く。氷の上でも歩いたかのように、その巨体が派手に転倒した。
しかし驚くことに、巨大な板は自立移動を可能にしていたようだ。転んだゴーレムを乗せ、陸上でも難なく滑って見せる。
再び、マイ・ヨルカの散りばめられた火矢が追撃。距離が一気に開くため、辺境のガーディアンも遠距離に有効な呪術を選択した。
くろがねの光弾。
ダスト荒原地帯の至る所で採取できる鉱石、くろがね。最も基礎的な呪術の一つではあるが、現在の自分であればより巨大なくろがねを高速で発射できる。
今度はゴーレムも無視できない傷を負う。覚悟を決めたのか、一回きりであろう水の加護がその身を覆い、先程よりも高速の回転を以って再び突進を敢行。
だが、辺境のガーディアンはその腱を既に見切っていた。
「成程! 考えたな。トロールか」
マイ・ヨルカは歓喜する。
テイマー呪術・トロール召喚。
空中に召喚されたトロールは自分の身を回転に晒しつつも板を蹴っ飛ばす。その結果、無秩序となった身体を制御できずに、哀れなゴーレムは地面へと転がった。
あれは下級のアーティファクトだ。おそらく、コーストが用意したものであろう。
トロールは自らの存在を示すかのように、地底湖へ吼える。辺境のガーディアンは頷くと、マイ・ヨルカに視線を移した。今が好機、と。
「ああ、詰めだ。えーと、ちぇっくめいと……だったか?」
オブリヴィオンフォーラムにて念を押しておいた、必勝の台詞。満足げに頷く辺境のガーディアンと大炎の侍従は、同時に左手、右手をかざした。
発動するは、ガーディアン固有の秘術。
覆い尽くす千の炎。
紅蓮が岩石さえ焼き尽くす時、やがて奥の扉が重たく開いた。
*
ご褒美だ、とでも言いたげに開かれたその石扉に、二人は踏み込んでいく。
まず、その時点で行う作業は決まっていた。目の前にある、所在なさげな湧き水。
掌を、向ける。
灯し人たる彼の力。やがて湧き水はこの寒い地底湖の中でも沸騰を始め、やがてゆらゆらと揺れる。心地良い温度が頬に触れ、陽炎へと変じた。
そして、マイ・ヨルカは先へと歩を進める。
「……これが、大いなる炎のアーティファクト。その一つ」
小部屋を照らす陽炎の光の中、その双剣もまた素直に労っているように見えた。
柄から伝わる体温。久方振りの使い手が現れたことに、一対の火が躍動する。
案外、大炎使以外の者達は純粋な感性を失っていないのかもしれない。
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