Ⅲ.オブリヴィオンフォーラム


 1



 大炎使の森。

 辺境のガーディアンとマイ・ヨルカ=ゼルゲンが揃って帰ってきたそこは、相も変わらず鬱蒼とした瘴気に満ちていた。理が崩壊しつつあるこの時世においては極めて珍しい、暖かな癒しをもたらす陽炎が豊富にあるにも関わらず、だ。

 炎の温度と、陽気を木々が覆い隠すことによって生まれる水はけの悪い森。その奇妙なアンバランスさがもたらす変則的調和の中にこそ、この女は座す価値を見出したのかもしれない。

「二人共、大儀であった。何やら鼠の横槍があったようだが、流石にこの程度の遣いなら造作もありはしないか」

 黒のベールで覆った異様に端正な貌よりも、本当に燃えていると錯覚するかのような紫炎の長い髪が際立つ。オールドローズの高貴なドレスこそ、四人しか存在しないとされる大いなる炎直属の従者たる証であった。

「竜の大陽炎も正常に機能しておる。時期にコースト共が群がってくるであろうが、このような辺境に派遣される者共など塵同然よ。ともかく、ルイエのみならず断崖海峡はこちらの手に戻ったとみて問題なかろう」

 断定とは裏腹に、ベールに覆われたその表情は何か不満が? とでも言いたげである。辺境のガーディアンは一顧だにせず、さらに続きを促した。

 マイ・ヨルカは心配げにこちらを見る。何せ主人は、自らが呼びつけたであろう灯し人の知己を、事もなげに竜の炎で焼き払わせた。そのことを十分理解した上で、こういった物言いをしているのだから。

 最も、その淡々とした風に慣れているのは大炎使ナヴィンとて同じ。獰猛な飼い犬に掌を晒す時間も程々に、『次』を提示する。

「さて、ブレイズカリア軍は偽造地図を流しているようだが、断崖海峡岬の頂上にある大灯台からならば、深緑のクーロンまでの経路も丸わかりであろう。クーロン湖畔の舟など使わずとも、彼の地にある転送大箱を使えば済む。そして汚らわしき水の都へと至るのだ」

 ただその前に、とナヴィンは付け加え、

「マイ・ヨルカよ。丁度良いところに戻ったな。こやつの装備を整えてやるといい。陰惨かつ偏屈なあの者共も、真の灯し人であれば受け入れるであろう」

「畏まりました、大炎使様」

 主従など唾棄すべき対象としか見ていない辺境のガーディアンとは違い、大炎の侍従であるマイ・ヨルカは恭しく傅く。

「先程遣った竜は随分其方のことを気に入ったようだ。侍従共々預けておく故、好きに使うと良い。遺跡には別の竜を配置しておこう。……余は暫く此処を離れる」

 報告は無用だ、と言うナヴィン。海岸都市遺跡にある竜の大陽炎が復活した今、ダスト荒原地帯の陽炎であるならば瞬時に遣いの竜を使って飛べるとはいえ、ここに戻ってくる必要がないというのは、辺境のガーディアンにとっても好都合だ。


 少し後、大きなな羽ばたきと共に再び竜の大陽炎へと二人は発った。



 2



「オブリヴィオンフォーラム。それがかの拠点の名称。デザリオンの英雄と大志が集いし、隔離された在野の世界です」

 二体いる遣いの竜が睨みを利かす中、安全地帯となった海岸都市遺跡・竜の大陽炎。小円卓の向かいに座す辺境のガーディアンに対し、マイ・ヨルカは説明を始める。

「現在、あそこからコーストは追放されている。復讐者はいわずもがな。形骸化して久しいギルドなどというものよりも、拠点とするには格好の場所だと思う。特にこれから挑むであろうブレイズカリアは防備が桁違いですので、準備という意味でも知恵を借りるのはありでしょう。むろん、隷属しろという訳ではありません」

 どうやら、侍従たる彼女には通常では立ち入ることのできないその隔離空間へと導く力が備わっているらしい。復讐者から逃れつつ、その場所で好機を窺っていたようだ。

 しかし自分にとってみれば、好機かどうかは行ってから判断するしかないというのが正直なところ。それを察したのであろう、マイ・ヨルカは説明を打ち切る。

「正論だな。では少しの間、目を閉じていてくれ」

 その手に、マイ・ヨルカの手がまた重ねられる。大陽炎が揺らめき、心地良い熱が包んでくる。

 竜の鳴き声が徐々に遠ざかり、やがて――――



 *



 気が付くとそこは、厳めしきセピアのあかりに包まれた空間であった。

 辺境のガーディアンは目を開け、周りを見渡す。四方を石板・石像に囲まれ、古の蔵書が保管された棚は数知れず。回廊は上にも下にも複数伸びており、純粋な心であるならば冒険心さえ掻き立てられるかもしれない。

 視界にあるだけでも部屋数はかなりのものであるが、その中でも今転移してきた大広間は、中央に座す大卓と相まって多くの者が集まっているようだ。その内の一人、ある壁画を厳しい顔で見つめる男へと近づく。

「おや、貴方の温度…… もしやガーディアンの方でしょうか。このオブリヴィオンフォーラムに、初見の方が訪れるのは久し振りですね」

 驚くことに、一目見てその男は盲目であるとわかる。光を失い、焦点の存在せぬ瞳孔を壁画に向けるのは何がためなのであろうか。

「点字、そして温度であれば問題なく認知可能です。申し遅れました、私は占星術師アールイス。デザリオンの運命を占うためここにいます。ニヒル様の遺された壁画を読み解いていたのも、その作業の一環ですよ」

 曰く、

「ニヒル様への信仰は残念ながら失われて久しい…… 今やデザリオンにおいては理が失揺らぎ、邪悪な占星術が蔓延っています。ですがもし、喪失した術書や打ち捨てられた壁画の一端を見つけたならば、是非一報を」

 また、大卓に寝転ぶある戦士へと近付く。

「……貴公、見ぬ顔だな。新参か」

 白鉄の重鎧と蛇の如き形状の直剣を携えた男。ヘルムに隠れ、表情は読み取ることができない。

「我はクリード。狩猟民族出身で、デザリオン大帝に仕える者なり」

 曰く、

「大帝の命により、復讐に染まりし屑共を一掃するために行動している。……成程、マイ・ヨルカ殿の紹介であったか。であれば口を割る価値はあろう。復讐などというものは、この地において最も汚らわしき行為であり、まつりごとに仇なす逆賊に他ならない。もし戦場で共闘することがあるならば、その炎……楽しみにさせてもらおう」

 そして、最も目を引くオブジェクト。見上げる程の大きさをした空穴時計くうけつどけい、そして左右の水と炎――均衡を失っているそれの反対側には、大きな書斎が

「ケケケ、ガーディアンかよ。まだ生き残ってやがったとはねぇ」

 アンデッドと爬虫類のキメラという異様な風貌の細男は、どうみても書生にはふさわしくないと思われる黄色い奇眼きがんをこちらに向け、

「小生はドーブーブと言いまさぁ、一応ここの副場長をやらしてもらっているってことで。好奇心の飢えが和らぐんでありゃぁ、大抵の混沌は願ったり叶ったりな性分なんですが、ただ…… ここオブリヴィオンフォーラムから見ても、昨今のコースト達はちと腐敗が過ぎるんでね。何やらナヴィンの姐さんも懇意にしているようで…… その力、アテにさせてもらいまさぁね」



 **



 ここを拠点とする者は他にもいるようだが、それはおいおい知るとしよう。一癖も二癖もある存在と一気に話すのは疲労を伴う。まして辺境のガーディアンは、生来の気質からしてコミュニケーション不足なのだ。

 そのようなこともお見通しだとばかりに、マイ・ヨルカは奥の安息室で待っていた。ただ、その場には他にも三人程の影が見える。

「予想通り、食傷気味といった顔をしているな。だが心配ない。ここにいる者達は、ここオブリヴィオンフォーラムでも特に信頼できる者達。順に紹介していくよ。右から鍛冶屋オーガのブレンネル、テイマー呪術指南役のリナーシタ」

 自分の知る度量衡で、三メートル程あるオーガの男は小さく頷く。紅いマントが特徴的な幼き少女は、テイマーの証たるケダモノアラガミの刻印を額に彫っている。薄く微笑み、「よろしくお願いします。リナーシタと申します」と自ら改めて名乗った。

 そして――最後の一人。

「お初にお目にかかります…… ガーディアン様。私は水と炎の混血、傍系の末姫セティ。貴方様の隣妾りんしょうとなるよう、シーリアン君主より仰せつかっております」

 白と黄の血、同色のオッドアイを持つその美女は、そのベッドこそが宿そのものといった佇まいをしている。余りにも薄い灰の化粧着が持つ意味からは、とりあえず目を背けておくことにした。

 こちらが三人の認識を終えたのを確認すると、再びマイ・ヨルカは補足する。

「陽炎がある場所であれば、いつでもここへと帰還することができる。回廊の先にはまだ多くの先達がいるが、正直私もその全員を把握できてはいない。或いは暇がある時、この者たちに聞いてみてもいいかもしれないね」

「ふむ。ダスト荒原地帯を生き延びただけあって、お前さん腕は立つようだ。どれ、手持ちの武器と荒原鉄鉱を出してみろ。できるだけ強くしておく」

「おや、この間貴方が倒したであろうトロール、従属させることが可能ですね。ガーディアンの場合、火のトロールとして召喚すれば有用な戦力となるやもしれませんし、呪術を腕輪の方に刻んでおきますね」

 言われるがままに装備品を預けた辺境のガーディアンは、気づけば随分と身軽になっていることに気付く。此処まで武装を外すのは一体いつ以来であろうか?

「……後ほど、必ずお戻り下さいね。ガーディアン様」

 背後からかけられる、いやにしっとりとした声。何と答えればいいか迷った挙句、逃げるように場長室へと向かうことにした。



 ***



「まあ、ゆっくりしていけば宜しい。厄介事など起こさないでいてくれればね。この身はトライオン=モンスール。デザリオンの観測者」

 ひどく無愛想な場長の男は、球儀に何文かを書き込みつつ、こちらに気付くとそう名乗った。

「あくまで君は、この身の区分でまだ客人。話せることは現時点でこれ以上はない。デザリオンの旧称を名乗る意味は、面会さえ本来は軽くないものなのだよ」

 それだけ言うと、白衣のフードと牙のようなマスクを取ろうとさえせず、口も利かなくなる。

 ……そろそろ、武器の仕上がりも進んだ頃であろうか。

 あのセティという女を如何にして躱すか考えつつ、辺境のガーディアンは場長室を後にした。







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