Ⅱ.海岸都市遺跡


 1



 陽炎が揺らめいている。

 しかし幾年もの間、ガーディアンにとってはここが生命線であった。相反する理が強大化した現在、この辺境でさえ温度の実感は難しい。

 もちろん生命線というのは、文字通りの意味だ。

「灯し人たるガーディアンは、その手で湧き水を陽炎へと書き換えることができる。むろん、太古の昔に搔き消えてしまった燻り火をも復活させる」

 故に、とその女――マイ・ヨルカ=ゼルゲンは続け、

「その力の発動は、陽炎が尽きぬ限り廃興の理から抜けることはないのと同義。貴方はずっと、蘇り続ける。恐ろしい生命力を持つコーストに対し、破壊の力を示せるの」

 マイ・ヨルカと名乗る女が指摘する通り、トロールの一撃で粉砕されても辺境のガーディアンは蘇生した。それはつまり、ここより少し離れた場所へ事前に陽炎を灯しておいたためだ。昨晩にかけた保険が生きる格好となった。

 しかしそのようなことは、あのナヴィンから耳に胼胝たこができる程聞かされている。何をしに来たのか、と促す空気を察したのか、

「……怖い人だ。わかった、手早く話そう。私の目的を」

 そう改まって、近くにその膝を下ろす。真っ直ぐこちらを見つめ、



復讐者ふくしゅうしゃの封印。そのために水の都に行く必要がある。その見返りに、貴方は奴らによって失われた存在を取り戻すことができるだろう。交換条件だ」



 曰く、復讐者は種族問わず穢れ者を指しての総称であるらしい。

 霧のデザリオンより秩序が失われつつあるのも、この一団がただ本能の赴くまま殺戮と蹂躙を繰り返したというのが一因としてあった。組織化されているわけではない為、現在は散発的に現れる刺客をただただ屠ることしか対処法がないという。

 しかしあのナヴィンさえ知らぬであろう復讐者の喉元を突き止めたマイ・ヨルカは、各地にあるガーディアンの拠点の調査という主任務以上に、この目的を達成するに足る同胞の存在を求めていたのだった。そこで目を付けたのが、どこの共同体にも属さず、実質的に大炎使直属となっているただ一人のガーディアン――自分であった。

「悪い話ではないはず。むろん、遣いの竜を配置する任務は同時進行で行うよ」

 提案。

 どの道、辺境のガーディアンとしてはこれからの行動に変化などない。

「成立だな。では私は大炎の侍従じじゅうとして、貴方に憑くことにするよ。この力、存分に引き出してくれ」

 ガーディアンの守護霊、大炎の侍従であるマイ・ヨルカは、それだけ言い残すと姿を消す。

 胎動する火の温度を内に感じながら、辺境のガーディアンも間もなく立ち上がった。



 2



 思ったより空気は良い。埃にまみれてきた、辺境のガーディアンが最初に抱いた印象はそれであった。

 太古より存在するであろう橋梁、朽ち果てた家屋。かつては潤沢に思われた恵みの池、即ち湧き水の源泉も、汚泥へと変質して久しいと思われた。

 その中で、こちらへと向かう一つの馬蹄の跡。これはマイ・ヨルカが駆けた後であり、現在自らが騎乗する駿馬のもので間違いあるまい。

 嘶きと共に、踏み入れる。

『……厳重さが増している。感づいたか?』

 そう言うマイ・ヨルカから聞いた話よりも、あらゆる意味で蔓延る者は多い。

 昼間と言うこともあってアンデッドの動きは鈍いが、白血びゃっけつを持たぬ干からびた衛兵と、汚泥に塗れた蟲獣は特に目立つ。哀れな非純血種が、またもコーストに嬲り殺される光景が目に付く。

 とはいえ、所詮は復讐者以下の、辺境に住まうはぐれ者だ。

「っ!? き、さまはガーディアン――ズアァ!」

 とうの昔に捨てた躊躇が、同じはぐれ者に向くはずもない。濁り気味の白血が一、二と噴出した。

 鈍重な蟲獣になど目もくれない。探すは唯一つ、地下迷宮の入り口だ。

 呪術による火炎の生成。掌より発出されたそれが、コーストの放った水弾と激突。

 蹂躙し、その身体が焼け焦げる匂いの中、ナヴィンに託された小さな地図を見る。

 目印たる四つの火は、当然マイ・ヨルカにも伝わっただろう。心当たりは? と促す辺境のガーディアンに対して、

『もう少し先。南端近くの岩場で隠されている』

 首肯したように、駿馬が再び嘶いた。

 それにしても、と辺境のガーディアンは珍しく感心する。

 湧き水の穢れにより流れ出た汚泥は猛毒の瘴気を発する。埃より余程有害であるが、マイ・ヨルカの操っていたこの駿馬はそれらをものともせず駆け抜けている。あるいはトロール使いのコーストが纏っていたような呪素の加護が、より高度なのかもしれない。

『この子は大いなる炎の成獣、一二霊馬じゅうにれいばの末裔だよ。汚泥どころか、復讐者の穢れた加護にだって臆せず立ち向かうさ』

 ほんの僅かに自慢げなマイ・ヨルカの解説を聞きつつ、先人が残したと思われる伝達魔法メッセージを廃屋に地面に流し見る。

 もちろんデザリオン文字、ましてや原住民の言語など理解できようはずもない。思ったよりも遠いため、道中の暇がもたらす僅かな興味が向いただけだ。

 最も、それらは地下迷宮への道を示すと同時に――その守り手の存在をも警告していたことには二人共気づけなかった。

『何だあれは…… ? デーモンのなれの果てか……?』

 マイ・ヨルカの当惑も無理はないかもしれない。ひどく違和感のある存在が立っている。

 記憶に過ぎったのは、かつての世界で最も簡単な落書きといって差し支えないもの。

 簡単に言って、岩場に立つそれは大きな棒人間――いや、棒デーモンであった。

 とはいえ、異様な容姿に逡巡していても始まらない。その手に現れたバトルハンマーを、駿馬より飛び降りた辺境のガーディアンは猛然と駆け、振るう。

 それに対し振るわれた棒デーモンの大斧は、単純化された見た目とは裏腹に凄まじい重量であった。右に大きく吹っ飛ばされた辺境のガーディアンは宙を舞い、苔混じりの岩に叩きつけられる。

 強制的に体から空気が放出される中、視界の先ではあっけなく棒デーモンが崩れ去っていた。

 しかし、

『こいつ…… 読めたぞ。だ。単純な攻撃では無限に組み直される仕組みだろう』

 全身の痺れが取れ、ようやく立つ辺境のガーディアンとは対照的。ただ機械的に、無機質な棒デーモンは再構築される。

 アーティファクトはその名が示す通り、伝説の創造主たるニヒルの女神が残した遺物。自らが持つ埋火うずみびの短剣もそれに類するが、相手取るとなると非常に厄介だ。

 だが、

『……成程、その手はいいな。岩場を利用する、と』

 この程度の守り手など最早見飽きているとばかりに、首をぐりんと回す。

 挑発と受け取る感情などあったのだろうか。それを見た棒デーモンは極めて安直に、大斧をもって突進してくる。



 その後の展開など、察するまでもなかろう。



 自ら振り下ろした大斧の威力は、辺境のガーディアンを軽く吹き飛ばせるほどのもの。背にしていた岩場など簡単に崩れ去り、あっけなく棒デーモンは下敷きになった。

 アーティファクトといえど、所詮は棒に過ぎない。再結束する力は、岩を跳ね除ける程強くはなかったようだ。

 正面に視線を向ける。棒デーモンが立っていた場所の先。

 階下にある暗い空間こそが、目的地だ。

 その階段を下りながらも、小さな地図に再び目をやる。その中でも当然、周囲の警戒を怠ることなどなかったが……

 違和感があった。あっけなさすぎる。

『これで全て、だな。……言いたいことはわかる。何故、?』

 千歩にも満たぬ内、あっけなく灯された四つの炎。そこから少し進んだ先にあった湧き水を陽炎に変じたのち、休息の中で大炎の侍従は代弁する。

『夥しいコースト共の遺体、すらない。要所たるここを手薄にする程、奴らが馬鹿なはずはないからね。となれば当然、何者かに駆逐されたと考えるのが自然だ』

 悠久なる水の遣い、潤沢な湧き水を背景に絶対的な「数」を誇るコーストは、冒涜的とはいえ、現在の霧のデザリオンにおいては紛れもなき秩序。

 それらを駆逐できる程の存在。それはやはり、

『待ってくれ』

 恐らく二人の認識は一致したであろうが、マイ・ヨルカが先に行動を起こす。

 再びその姿を現し、

「ここ、か?」

 轟、とその細い指から広がる、薄く広範囲の炎。

 壁面を焼く、無意味と思われたその行動は――違和感の裏付けとなる結果を示した。

 隠し通路。

 いや、そもそもこの先こそが「本命」であるという確信が辺境のガーディアンにはあった。陽炎に身を委ね、十分な癒しを得る。

 そして。

「やはりか、貴様らの仕業に違いないと思ったよ」

 隠し通路の先には、ひどくだだっぴろい空間が広がっていた。

 そして――悠久なる水よりも目障りな、穢れた加護に満ちている。



 やがて明るみになる復讐者の装いは、かつて飽きる程に纏った――学生服なる、頼りなき鎧に包まれていた。



「教えてくれよ。何で、お前みたいな陰キャが生き残ったんだ?」

 その少年は、快活さと年相応の生意気さが良く似合うであろう顔立ちをしていた。スリムながらもトレーニングを怠っていなかったであろう身体は、足元にボールがないことに違和感を覚える程であった。

「俺は何とかしようとした。毎日クソみたいな師範のパワハラに耐えて、必死こいて火の使い方も、剣の振り方も覚えたんだ。鼻も喉もおかしくなりそうなのに耐えて耐えてよぉ」

 襟足とサイドを短く刈った髪型も、当時は時流に沿った正しいものだった。ぽつり、ぽつりと漏れる独白めいた呪詛はひどく不釣り合いで、異性からの感心も引き付けられるものではなくなっているだろう。この堕落した姿を見て、狭い箱庭で虐げられる立場にいた幾人かは、果たして喜ぶだろうか?

「ふざけすぎだろ。ゴールは俺が掴むはずだったんだ。そのチャンスは目の前に転がってきた……! 帰ったら、そろそろ飽きてた香菜は適当にフって、こっちに来てた瑞希と堂々と付き合えたってのに。ようやくスタメンも取れそうで、何もかも上手くいってったってのによ」

 その怨嗟は、油断なく双剣を構えるマイ・ヨルカには理解しがたいものだったに違いない。当然だ。それらは全て、二度と聞くことがないと思われた日本語で紡がれていたのだから。

 汚泥が滴る髪から、爛れた瞳がぎょろりと覗く。

 やがて、穢れた加護の増幅と共に、許されざる背理人はいりにん、復讐者が爆発した。



「なのにどうしてお前みたいな陰キャ野郎が、を持ってんだよ!? 何もせず、俺も瑞希も見殺しにしたカスの癖に…… のうのうと強くなりやがってえええぇぇ!!!!!!」



「来るぞ。呪術の扱いはこなれているし、私が防壁を張る」

 穢れた呪弾が爆発的に展開される中、マイ・ヨルカはいち早く動く。復讐者との戦いで最も警戒しなければならないのは、汚泥がもたらす強烈な瘴気による穢れの伝染。

 そうなれば最後――コーストやガーディアンでさえも、復讐者に堕してしまう。

 ようやく得た同胞であり、主君たる大炎使の右腕。この復讐者とは浅からぬ因縁があるようだが、何としてもここで死なせるわけにはいかない。

 しかし。

「なるべく長大な武器、高練度の火の呪術で遠くから――

 言葉の途中でマイ・ヨルカは、その鋭くも秀麗な顔立ちを呆然に染め上げた。



 それも無理はない。

 隣にいたはずの辺境のガーディアンが、背を向けて脱兎の如く逃げ出していたのだから。



「ちょ!? 待て、共闘者を置いていくなど!?」

「待ちやがれええぇぇ!!!!」

 慌ててマイ・ヨルカは実体化を解き、大炎の侍従としての力で彼我の距離をゼロとする。背後からは当然、穢れに満ちた怨嗟が悍ましく追跡してきた。

 一方マイ・ヨルカの口調は、言いにくさに満ちている。

『確かに客観的に見れば、君の炎はまだまだ発展途上。任務は果たしているし、慎重を期す判断はわからなくもないとはいえ…… 潔すぎないか?』

 背後。段数を増やしていく階下からは、「希望の火を寄越せ!!!!」という怒号が反響してこちらの耳朶を打つ。先程休息を取っていた陽炎にはもちろん目もくれない。

 確かに、マイ・ヨルカの言う通りいささか情けない格好だ。彼女の目的は復讐者の駆逐。ここは都ではないとはいえ、禍の元を発見すれば、それを屠るのが当然の選択であり、自分にそれを期待していただろう。

 しかし復讐者という存在自体、辺境のガーディアンにとって完全に未知数だ。その相手を、相手のホームグラウンドたる薄暗い迷宮で相手取るなど、無双の力を持つわけでもない自分からすれば有り得ない選択だった。その意図を汲んだマイ・ヨルカも、『確かに、迷宮の奥に潜む敵が奴だけとは限らないし、罠も否定できないからね』と同調してくる。

 やがて、既に高く昇った陽射しが視界を塞ぐ。出口だ。

 辺境のガーディアンは、すぐさま駿馬に騎乗。逃走の構えを崩さない。

 だが、

「逃げられると思ってんのかよ、××――!?」

 後半の方はよく聞こえなかったが、かつての名でも呼んでいたのだろうか。

 復讐者の少年は、その背後に夥しい蒼白皮の装束を引き連れている。おそらく地下迷宮に配置されていたコーストなのだろう。彼らもまた、復讐者に堕したのだ。

 自分の持つ炎では、彼ら全員を屠る出力など到底出せない。

 状況は恐ろしく絶望的だと思われた。



 しかし辺境のガーディアンは――偶然をも味方につけるからこそ、ダスト荒原地帯を生き抜く希望の火となり得、大炎使ナヴィンに見いだされたのだ。



『まさかもう…… 貴方はこれを狙っていたというのか』

 マイ・ヨルカの感嘆ごと、大きな影が覆い隠す。復讐者達までもがどよめく。

 そしてその影の正体は、地に降り立たない。強く、美しく、そして恐ろしいその存在は、睥睨するのに遥か高みにあるのが当然であるからだ。

「な、な、何だアレはああー!!」



 従えるコーストでさえ解せぬ言語の問いを最後に、大いなる炎のブレスが大地を奔る。命を選別し、ふさわしき生命を然るべき場所へと還す。



 巨大な翼の羽ばたきが徐々に、地へと近づいてくる。気高きその咆哮が響く海岸都市遺跡は美しく焼き払われ、陽炎があちこちに灯った。



つかいの竜。汚いものを焼かせてしまって申し訳ないな。……貴方は本当に、怖い人だ」

 雄々しく反り返る双角。その片方を撫でつつ、こちらに目を向けるマイ・ヨルカの苦笑。

 そして、級友の消し炭になど目もくれない辺境のガーディアン。相も変わらず何の感慨もないかの如く、復活した竜の大陽炎へと手を伸ばす。

 


 その背に響いた竜の咆哮は、主と違いとても素直に労っているようだった。








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