ダイヤモンドの空
島本 葉
第1話
ハゼトの朝は早い。まだ暗い公園の中をライトの明かりを頼りにしながら進み、古びた建物に足を踏み入れた。床に伸びたケーブルを慣れた様子でひょいとまたいで、目的のドアの前に。錆びたドアには制御室というプーレトが貼り付けられていて、その横に『天候』と油性のインクで書き足されていた。「『天候』制御室」それがハゼトの職場だ。
天候を操る。そうは言ってもやることは単純だ。いつもの流れで制御盤の前に立つと、昨夜のうちに合わせておいたダイヤルを確認する。
地下に人類が潜ってからは、選べる天気などたかがしれている。基本は晴れか曇り。そして雨。雨は少しだけ特別で、月に2回程度と決められている。壁に埋め込まれた湿度計にちらりと目を向けると、ハゼトはレバーを引いた。鈍い駆動音が響いてくる。
朝日の登らない地下世界で、一日の天候と照明のオンオフを操作する。それがハゼトの仕事だった。今日の天候は「晴れ」だ。地上では陽光が降り注ぐ青い空というものがあったと聞くが、ハゼトにとってはこの空がすべてだ。
まだ仄暗い窓の外をしばらく眺めていると、やがてガラス張りの天井が薄っすらと発光を始める。つまらないこの仕事も、この時間だけは気に入っていた。
「おい、ここでなにしてる?」
夕刻になってハゼトが消灯を操作するため管理棟にやってくると、何者かが入り口のドアの前で座り込んでいた。薄汚れた服装で、髪はボサボサ、痩せっぽちの子供だった。ハゼトの声に、その子供がゆっくりと顔を上げた。
その疲れた表情と瞳を見てハゼトは舌打ちをする。資源が潤沢にあるわけではない世界だ。生きることに精一杯の子供も珍しくはない。
「あ、あの……」
「ヤドナシか」
すると子供が返事の代わりに盛大に腹の虫を鳴らした。「あ、あの、ごめんなさい」
慌てて取り繕おうとする姿を昔の自分に重ねたハゼトは、鞄からパンを取り出して放り投げた。
「あ、あの」
「食って良いぞ」
「あ、ありがとう」
子供は小さなパンを大事そうにちぎると、黙々と食べ始めた。
「じゃあな」
ハゼトは子供を入り口に残したまま、管理棟に入る。いつものように天候制御室で湿度を確認して、明日の天候を「曇り」に調節していると背後に気配があった。
「あの、何をしてるんですか?」
先程の子供が少しだけ開いた扉から中を覗き込んでいた。
「ここは制御室だ。明日の天気を決めたり、日の出と日の入りを制御する」
日の出、日の入り。かつてハゼトに操作を教えた男が照明のオンオフをそのように表現していた。ずっと使ってなかったその言葉が自然と出たことにハゼトは驚いた。いや、これもめぐり合わせか。
「日の出? 日の入り?」
「照明のオンオフじゃあ味気ないだろ。だから日の出、日の入りだ」
「どうして、助けてくれたんですか?」
ハゼトの頭にあったのはかつて天気師だった爺さんのことだった。まだ子供だったハゼトを拾って、食事の世話や天気師の仕事を教えてくれた。出会いはこの子供と同じように、どこかに座り込んでいたのを話しかけられたはずだ。「この仕事を継ぐやつがいねぇからな」といって磊落に笑っていた。そんなことを思い出しながら、ハゼトも笑う。
「坊主、名前はなんて言う?」
「トチ」
「そうか。俺も昔じじいに拾われてな。トチ、お前も天気を操ってみるか」
相変わらずトチの顔は薄汚れていたが、瞳には少し力が戻っていた。
日の入りを迎えた制御室の窓からは仄かな明かりが入ってきていた。蓄光されたガラスが少しずつこの世界を夜に変えていく。
「ハゼト。このレバーは何?」
少し慣れてきたトチは制御盤で光っているランプとその脇にあるレバーを指さした。ランプの横には「D」と書かれている。
「それは、特別なときだけ使う」
「特別?」
「ああ。トチ、そのレバーを引け」
「いいの?」
「俺もジジイと初めて会ったときに引いたからな」
トチがレバーを両手で引くと、灯っていた白いランプが消えた。
「これで明日の天気は曇りじゃなくなった」
「え?」
「明日の天気は──ダイヤモンドだ」
ハゼトとトチの朝は早い。まだ暗い公園の中をトチが持ったライトの明かりを頼りにしながら進む。2人は天候制御室にたどり着く。
制御盤では天気は「曇り」に合わせてあるが、今日は特別だ。トチにとっては初めての日の出だ。促してレバーを引かせた。
足元からの駆動音に驚いたトチはキョロキョロと周りを見回した。
「外だ。窓の外を見ていろ」
言われて、トチは窓の外を見つめた。ハゼトもその後ろから空を眺める。
やがて天井がうっすらと光り出す。ガラスに閉じ込められた光は、いつもよりも強く発光し、キラキラと青白い光で空を覆う。
「空が、青く光ってる──」
ダイヤモンドのようにキラキラと光を放ちながら地下都市に青空が広がっていた。
完
ダイヤモンドの空 島本 葉 @shimapon
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