契の詩と男の望み
ベアリの思考が加速する。
思い浮かんだ可能生は、この宴にはもっと別の意味があるというもの。
でなければ、聖女に加担しているレナードが、持ち場を離れてわざわざ戻ってくるはずがない。
「レナード……貴方の望みはなに」
「なんだ? お前が叶えてくれんのか?」
「善処してあげる」
ベアリは鋭い目付きでレナードを見据える。
そして太ももに刺さったダガーを躊躇なく引き抜いた。
彼女は流れる血を対価とし、か細い声で〝契の
「Ви, фариĝу ла венто, киу мин гвидас. Контраŭ миа санго кай миа вармо. Детранĉу малбонон пер виа сенекземпла клинго」
レナードはベアリの口元を見て、即座に意味を理解した。
「汝よ、我を導く風となりて吹き荒れん。対価に血と我の熱を。比類なき刃でもって、邪悪を断ちたまえ」
「…………!」
ベアリは驚愕する。レナードの通訳が一言一句正確だったのである。
「精霊のお友達がご一緒とは、これはこれは高貴なお家柄なことで。どうりでトロールのノロマ共じゃ処理できないわけだ」
「悪いわね……私が一人じゃなくて」
「いいや。女を
レナードは頬を歪めてベアリに迫る。
ベアリはもう後退しない。踏みとどまって、血が滴るダガーを持ち上げた。
「質問を変えるわ。貴方は一体……何者なの?」
「見りゃ分かんだろ。奴隷だよ」
「なるほど……生憎、奴隷ごときと戯れている時間はないの。私には成すべきことがあるから」
彼女の言葉に呼応して、血がゆっくりと宙に浮かぶ。
ダガーに付着した血、床に広がる血、傷口から流れ出るもの全て。
浮かび上がった血液は宙に留まったあと、一点に吸い込まれるように結合した。それは人の顔より一回り大きな球体となる。
レナードが警戒して踏み止まると、球体の表面に黒いエルフ文字が現れた。
それは憎悪と怒りの羅列となる。
「……っ!」
レナードは危険を感じて後方に跳ぶ。
彼の足先が浮いた瞬間、血の球体から何かが解き放たれた。
それは全てを両断する風の刃。
壁が上下に分断され、絵画の下半分が切り落とされる。
レナードはそこから太刀筋を読む。このままでは、胴体が両断される。
彼は咄嗟に右肩から倒れ込んだ。しかし、勢い余って左腕が持ち上がり、肘から先が斬り飛ばされる。
「ぐおお!」
レナードは風圧で吹き飛ばされ、廊下に血の小川を流しながら転がっていく。
ベアリはその間に懐から薬草を取り出した。
それを太ももの傷に当てると、薬草が暖かな光を放ち、瞬く間に傷が癒えていく。
「Ви естас либера, Гратулио. Дону вин ал йуста индигно ĝис ла дифинита темпо」
そう言い残したベアリは、宴の会場に向かって颯爽と走り出した。
血の球体は彼女の言葉に応じて爆散する。
飛散した血飛沫のベールが薄まり、ベアリに仕えるもの――風刃の精霊が現れた。
その姿は白銀の蝶。
携える四枚の翅はしなやかで薄く鋭い
触覚はもはや槍そのものだ。
レナードは精霊を目の当たりにして、目を見開く。
「白銀の蝶グラトゥリオ……」
レナードが口にした名は、法を犯して知り得たものだ。ヴァハ帝国で禁じられた書物の中に、エレノア大陸の外について書かれた文献がある。
そこに、白銀の蝶についての記述がある。
レナードは鼓動が高鳴るのを感じる。追い詰められているはずなのに、気分が高揚して堪らない。
彼は右腕で体を起こすと、切断された左腕を振り回した。辺りに舞い散る血潮はグツグツと泡立って蒸発し、血の雷雲を形成する。
「ふ、ふふふ……ふはははははハーハッハッハ! 僥倖だ……俺は最高に運がいい。逃がさねえぞベアリ……」
レナードは確信を得る。自らの望みを叶える道筋、その確信を。
彼は右手で衣服を千切り、鳩尾に埋め込まれた〝力の結晶〟を露わにした。
これは後天的に力を手にした〝魔導師〟の証である。
力の結晶はレナードの意志と欲望を具現して、禍々しい稲光を帯びた。
「どけろ虫けら。焼いて喰い潰すぞ」
白銀の蝶は言葉を介さない。まるで彼の望みを断ち切るように、再び風の刃を放った。
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