薄氷の結託

 翌朝、館は宴の準備で賑わう。

 セバスとシヴィは自分たちの生い立ちや、流浪の身であることを皆に紹介しつつ、ベアリを探した。

 二人のもとに集まってきた人々は、簡潔にまとめたセバスの嘘を聞いて、涙を滲ませる。

 心から溢れ出た悲涙、憐憫。そして、足が不自由なシヴィを支え続け、ここまで生き延びたことへの尊敬の念がセバスに向けられた。

「たとえ短い間だったとしても、私達はあなたの家族よ、セバスさん」

 杖を付いた老婆が、セバスの手を握ってそう言った。

 彼女の親族である青年が、老婆の腰を支えながら続ける。

「二人が無事にここまで来たことを、心の底から祝福するよ。これからも、女神エレーネのお導きがあらんことを」

「ええ……ありがとうございます」

 セバスは酷く胸を痛める。

 彼らに企みなどはなく、純粋にこの館を安住の地だと信じているのだ。

 セバスとシヴィはいわば客人だが、もてなされる立場など構わず、率先して皆の手伝いを始める。

 館に住まう者のほとんどはネファル族で、体のどこかに痣がある。

 この館の中では痣を隠す必要がない。皆が活き活きとし、今日を精一杯生きようとしている。

 希望に満ち溢れた光景の数々は、その背後に疑いを抱くことすら敬遠させた。

 それでも、セバスの中に積もった疑念は晴れない。彼はやりきれない思いに苛まされる。

 作業の手を止めて辺りを見回していると、セバスはシヴィに裾を掴まれた。

「ねぇ、見て。彼女、お腹が大きいの」

 シヴィはそう言って、ベンチで休憩している女性を指差す。

 二人に気が付いた女性は、稲穂に注ぐ朝日のような微笑みを湛え、温かみのある視線を返した。

 セバスは女性に向かって頭を下げる。

「失礼しました! 我が主よ、彼女は身籠っておられるのです。体を動かすのは負担でしょうから、我々でお手伝い致しましょう」

 女性は膨らんだお腹を撫でながら、目を細めて体を傾ける。精一杯のお辞儀である。

「ありがとう。助かるわ」

 セバスとシヴィは彼女の仕事や皿の準備、水汲みの他に、洗濯などの日常的なルーティンも手伝い、久しく爽やかな汗をかいた。

「そうだ、お姉さんの名前、まだ聞いてなかった」

 シヴィはふらりとセバスから離れ、一人で女性の側に近付き、無邪気に顔を覗き込んだ。

「ねぇ、お姉さん。名前は?」

「ユノでいいわ、シヴィちゃん」

 ユノの頭髪は鮮やかな茶髪のポニーテールで、中庭に差し込む木漏れ日を浴びて暖かな輝きを帯びている。

 まるで、その身に宿した命を祝福するかのように。

「ユノさんの髪の毛、とっても綺麗……」

「ありがとう。シヴィちゃんの髪の毛も、絹糸みたいでとっても綺麗よ」

 シヴィは照れながら髪の毛のハネを直す。

「えへへ……そうだ、ユノさん。あとで、ベアリさんと一緒に編み物しようよ!」

「いいわね〜楽しそう。この子のために、お人形でも編んであげようかしら……」

 ユノの母性に満ち溢れた表情が、シヴィの胸にざわつきを起こす。

 ふと、彼女は自分にも、母親がいたことを思い出した。今まで目の前のことで精一杯で、深く考えてこなかったことだ。

 シヴィは母の名前も顔も知らない。思い出せない。ソイリおばさんや街の人々の温もりが、その寂しさを忘れさせてくれていた。

 シヴィの頬を伝う涙が、白く凍って氷柱となる。涙の氷柱は木漏れ日を浴びて、再び小さな雫となった。

「あれ……シヴィちゃん、どうしたの?」

 シヴィの涙に気付いたユノは、彼女の頭を優しく撫でた。

「どこか痛くした? 脚を悪くしたかしら……」

 シヴィは涙を拭って、首を横に振る。

「ううん……違うの……でも、なんか、止まらなくって……」

 一方、作業を終えたセバスは、シヴィが傍にいないことにようやく気が付いた。

 急ぎ合流しようとしたその時、後ろから肩を叩かれる。

「ああ……ベアリさん。探しましたよ」

「私もよ。少し話しましょう」

 セバスは横目でシヴィの様子をうかがう。

 彼の憂いを察したベアリは、首を小さく横に振った。

「大丈夫。彼らは善良よ。私が保証する」

「……分かりました」

 二人はひとけを避けて中庭の角に立ち、一様に全体を眺めながら、口を開く機会をうかがう。

 先に言葉を発したのはセバスだ。

「貴重な薬草、ありがとうございます」

「どういたしまして」

「歓迎の宴と言いながら、私達の料理には毒が盛られている……ということですかね」

「ええ……その可能性が高いわ。片手で数えるほどだけど、今までも何人か、ここに立ち寄った人がいたの。でも、宴の後に姿を消して、我々には館を発ったと伝えられていたわ。毒を盛られて動けなくなったあと、処分されていたのだけど……」

「なるほど……巧妙ですね」

 セバスは険しい面持ちで、宴の準備を進める様子を眺める。

 皆の顔には屈託のない笑顔と歓迎の気持ち。平和で牧歌的な光景だった。

「しかし、驚きました……ここで生活するネファル族は、本当に幸せそうだ」

 ベアリはやるせない表情でうなずく。

「ええ……たとえ仮初だったとしても、彼らにとっては願ってもない環境なのよ」

「ベアリさん。やっぱり貴方は、エルフというだけじゃない。ただの避難民ではないんですね」

 ベアリは目をつむって、顎を少し下げる。その動作は否定とも肯定とも取れるような、微妙なもの。

「先に聞かせて。貴方にとって、あの子……シヴィはなに? どういう関係なの?」

「大切な相棒です。そして戦友であり、命の恩人なんです。幾度もシヴィに助けられて、ここに辿り着きました。彼女がいなければ、私はもうこの世にいません」

「そう……では、旅の目的は?」

「流浪の身に嘘偽りはありません。暫定ですが、ランタスタに向かうつもりなのも本当です。他にも、成すべきことはありますが……」

 セバスは言い淀んだあと、周りの目がないことを確認し、フードを脱ぐ。

「シヴィに、海を見せてあげたいんです」

 セバスは火傷の痕も包み隠さず、真っ直ぐな目でベアリを見た。

 瞳の奥に宿る意志が、日陰の中で灯火となる。

 ベアリは彼の視線を受け止め、うなずいた。

 すると、彼女もセバスに倣い、ヘアバンドの位置を後ろにずらす。

 もみあげの隙間から、長く尖った耳が覗いた。エルフの特徴だ。

 また、ベアリが先日渡した薬草も、エルフと深い関わりがある。

 彼らでしか栽培できない万能の薬草で、エルフはこの薬草を常に数枚携帯している。利便性もさることながら、願掛けの意味も大きい。

 稀に富裕層の間で売買されることはあるものの、このような森の奥に流通することはない。

 エルフを知る者に手渡せば、正体を明かすものになる。

「貴方の言う通り、私はただのエルフじゃない。世界平和連合のエージェントよ」

 世界平和連合と聞き、セバスは目を丸くする。

「私のような素性の知れぬものに明かしても、いいんですか……?」

「組織の目的は、真の意味で人類の安全を手にすること。貴方もその人々に含まれるわ」

 ベアリはヘアバンドの位置を元に戻した。

「問題の解決には、貴方に身分を明かし、協力を仰ぐべきと判断した。私は貴方達に森を抜け出す方法を教える。その代わり、マファルダの計画を阻止するために協力してくれないかしら」

「構いませんが……計画、とは?」

 セバスもフードを被り直す。

「先ず、確認したいのだけれど……ここに来るまでに、トロールは見た?」

「はい。トロールと相対したとき、レナードと名乗る案内役に助けられ、ここへ……」

「様子がおかしかったでしょう」

「ええ、思いました。不可解な点は数え切れませんが……あの布は、一体……どうにも説明がつかない」

 ベアリはうなずいて腕を組む。

「……私は何度も狩りや採取を任されて、敷地の外に駆り出されているの。その都度トロールに襲われて、生還してきた。ここの誰よりも、この森のトロールのことを観察してる」

「すごいですね……」

「二週間ほど前だったわ。追跡してきたトロールをうまく誘導して、木の枝に布を引っ掛けたの」

 ベアリは息を吸い込んで、形容する言葉を捻り出す。

「布の下は……目も鼻も口もなくて、ただの穴だった。まるで、食い破られたような感じの。布がめくれ上がった途端、すごい腐臭がしたわ。その穴の中で、何かが蠢いていたの。無数にね」

「え……?」

「あれは、そう……羽根に瞳を宿した虫『キセイカモスマイマイ』に似ていた」

「鱗を持った動物に寄生する虫ですよね。魔にも寄生するんですか……?」

「分からない。知っている限り、一番近いものがそれだった」

「待って下さい。つまり、トロールは自らの意思で動いていない……ということですよね」

「ええ。そうなるわ」

 セバスは計画の意味を悟って、ゾッとする。

「マファルダがキセイカモスマイマイを操って、トロールを意のままに動かしていると……?」

 ベアリはうなずく。

「具体的にどんな手法を使ったのかは分からない。でも、そうとしか言えない場面を、私は目撃してしまったの」

「それは、一体……」

「さっき、ここに訪れた旅人が処分されたって言ったでしょ? 毒を盛られて動けなくなった旅人は、敷地の外に放り出されて、トロールに運ばれていったわ。本能任せに牙を向ける化け物には、到底不可能な行動よ。まあ、その口すらもないのだけど……」

「なるほど。たしか、トロールには繁殖を担う母体がいる……」

「ええ。トロールの中にはマザートロールという母体がいて、あらゆる物を喰らい、トロールを無数に産み出す。特に、人間は極上の逸品。私は、旅人を運ぶトロールの後を尾行して、地下への入り口を見つけたの。その先で……旅人だけでなく、ネファル族も見た」

 ベアリはネファル族の笑顔、そしてシヴィとユノが安穏としたひと時を過ごす様子を見て、心を痛める。

「マファルダは、同族すらも生け贄に捧げ、トロールの軍団を作り上げ……ゆくゆくは、帝国の首都へ侵攻するつもりよ」

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