忌むべき血族と呼ばれる者たち

 エレノア大陸には先住民がいた。彼らは海を渡ってきた移民と手を取り合い、共に帝国の基礎を築き上げた。

 先住民の名はネファル族。昔と違い、今は忌むべき血族と呼ばれている。

 ネファル族は体のどこかに黒い痣を持っている。

 その大きさや形、痣ができる場所は千差万別で、個人差が大きい。成長に伴って形状は変化していく。

 いつしか帝国内で、彼らの痣が『魔』を呼び寄せると言われるようになった。

 帝国に順ずる人々は、忌むべき血族を絶やさねばならないと信じている。

 大衆の中には通説に疑問を抱く者もいる。モーガンの兄がその一人だった。

 モーガンも、今は通説を信じていない。忌むべき血族という呼び名そのものを嫌悪している。

 だが、帝国に仕えていた頃は違った。

 幼き日に見た帝国軍の勇姿を、彼は今も忘れていない。『魔』を払い人々を救うその姿は、純粋無垢な少年に英雄を確信させた。

 だからこそ、モーガンは従軍中、帝国軍の在り方に違和感を覚えた。

 一方で、頑なに英雄を信じようともした。

 疑念を押し殺し、良心を騙し続け、自己矛盾の果てに破綻した末路が、反逆の罪科と罪深き免罪符である。

 モーガンが成した偉業は、屍の量産。守ったものは弱者を貪る権利者の基盤。手にした栄誉は、富裕層に媚びへつら無知蒙昧むちもうまいな暗殺者。憧れとは天と地よりも程遠い。

 兄から教わった信念も思いも、当時のモーガンは無為にしてしまった。

 シヴィに救われた今だからこそ、かつての過ちを償うとき。

 モーガンはセバスと名を偽り、平静を演じてドアノッカーを掴む。

「…………」

 ドアノッカーを鳴らしても反応がない。

 セバスは車イスを引いて返答を待つことにした。

「すごいね、セバス……どうしてこんなところに、こんな立派なものが……」

 シヴィは館の門を見上げながらそう言った。

 巨大な門は純銀と黄金で飾り立てられ、微細な色彩の濃淡が、神々しい宗教画を浮かび上がらせている。

 創造と調和の女神エレーネが、無数の果実を実らせる姿だ。

「ああ……誰が建てたんだろう」

「ここに辿り着いたばかりの人は、同じように門を見上げるのよ」

 褐色肌とブロンドヘアーの女性が、門に作られた出入り用の扉を開けて立っている。

 花を巻き付けたヘアバンドと、白を貴重とした修道服が、彼女の凛然さをより一層際立たせる。

 セバスは彼女の鋭い眼差しに、恭しい礼で応じた。シヴィも両手を揃えてお辞儀する。

「私はベアリ。案内するわ……ついて来て」

 セバスはうなずいて車イスを押す。

 すると、シヴィはセバスの方を向きながら、ベアリが開けた扉を指す。

「あのさ、ドアノッカーを見たときに思ったんだけど、出入りのたびに門が開くわけじゃなくて、普通の扉を使うんだね。なんか拍子抜けしちゃった」

「分かる。なんか、ガッカリするよね。前に見た大聖堂もそうだったよ」

 他愛もない会話のあと、二人は館に踏み入った。

 途端に二人は体を強張らせる。

 待ち受けていたのは広大なホールで、二人は荘厳な内装に圧倒される。

 円形の空間は白と金色で統一されており、一面が煌びやかで神々しい。まるでこの空間を自ら創造したかのように、女神エレーネの巨大な彫像が中央にそびえ立っている。その頭上には半永久的に発光する宝石『ライトトパーズ』のシャンデリア。

 セバスは感動すると同時に、既視感を覚える。

 彼は、この内装をどこかで見たことがあった。

「こっちよ」

 ベアリは左手に伸びる廊下の前で、二人のことを手招きしている。

 セバスは彼女のもとへ急ぐ。

「すいません。つい見惚れてしまいました」

「数日もすれば見慣れるわ」

 ベアリはそう言うと、歩速を保ちながら車イスを一瞥する。

「車輪の付いた椅子を押して、こんな森の奥まで来たのね。大変だったでしょう」

 セバスはうなずきながら、それらしい出自を咄嗟に考える。

「長く、苦しい旅路でした。北東の都市ナザレアから、放浪の旅を続けておりまして……」

 シヴィは内心驚きながらも、必死に動揺を隠してうなずいた。

 セバスの発言は口から出任せ。当然、シヴィにも初耳だった。

 ベアリはヘアバンドの位置を調整しながら、シヴィのことを見つめる。

「上着、自分で編んだの?」

「えっ」

「白い服、編み物でしょう」

 彼女の言う通り、シヴィの上着は白い手編みのセーターだ。

 シヴィはうなずきながら、セーターの襟を掴んで笑顔を浮かべる。

「は、はい。一人で居るときは、ずっと編み物をしてたので……」

「そうなの。とっても上手ね」

 先刻とは打って変わって、ベアリの目元は緩み、表情は穏やかなものになった。

 シヴィは彼女の面持ちに、自分に編み物を教えてくれたソイリおばさんを重ね合わせる。

 ソイリおばさんは優しいシワをたくわえた老人だった。

 ベアリは容姿も仕草も若々しい。二十代といった印象を与える。

 どうして二人が重なって見えたのか、シヴィにもよく分からない。

「着いたわ。ここは祈祷の間。聖女様が退魔の祈りを捧げているの」

 ベアリは手の甲で赤い扉を叩く。

「失礼します、聖女様。遥か北にある遠方から、迷い人が二人、救いを求めてこの聖域へ……」

 ベアリの慎ましい声に応じて、穏やかな女性の声が返ってくる。

「お入りなさい」

 ベアリは陶磁器の破片を積み重ねるような繊細さで、物音立てずに扉を押し開けた。

 無数の灯火の光の波が、聖女に先んじてセバスとシヴィを出迎える。

 祈祷の間に窓はなく、重く、閉ざされている。

 入口から中央へ昇るなだらかな階段の先に、女神の彫像を乗せた石畳の祭壇。

 紫色のローブを羽織った女性がその前で膝を付き、祈りを捧げていた。

「よくぞいらっしゃいました。これもまた、女神エレーネのお導き。歓迎いたします」

 女性は足を伸ばして立ち上がり、ゆっくりと振り向く。

 彼女の顔がローブから覗くその刹那、シヴィは黒い渦に吸い込まれた。

「え……」

 何度か瞬きをして、黒い渦は痣だと気が付く。

 女性の顔の左半分が、おびただしい痣で覆われていた。

 痣の一つ一つは羽虫ほどの大きさで、細い楔型をしている。それぞれが尖った先と平らな面で連なり合い、こめかみから左目に向かって黒い螺旋を描き出していた。

「女神に仕えるものとして、名乗らせて頂きます。授かった名はマファルダ・トレイシー」

 マファルダはそう告げると、朝露を乗せて垂れ下がる青葉のように深い礼をした。

 そして上目遣いでセバスを見る。

 その右目は血のように赤く、螺旋を纏う左目は灰黒い。

 その眼差しは見定めるようで、見透かすようでもある。

「ここに住まう兄弟姉妹からは、聖女と、また、親しき者からは縮めてマフと、帝国からは、忌むべき血族と呼ばれてきました……どうぞ、お好きにお呼びなさいな」

 マファルダは朗らかに口角を吊り上げる。

 その面持ちは聖女と呼ぶに相応しい穏やかさだが、セバスには穏やかさの奥に秘めた何かが、今にも蠢いている気がしてならない。

 その奥に秘めた何かを、今ここで突き止めんと、セバスは紳士の振る舞いで真意を秘める。

 彼もまた、マファルダにならうように深い礼をした。

「お目にかかれて光栄でございます、聖女様。どうか、行く当てのない我々にお導きを……」

 セバスの演技を邪魔しないよう、シヴィは身を固めて口を噤む。

 女神が耳を澄ます中、腹の探り合いが始まろうとしている。

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