失楽園で嗤う

 セバスは髭面の男に接近されたとき、殺すつもりでダガーを振るった。

 長年の殺しで身に着けた必殺の一撃だった。

 だが、髭面の男は、その一撃を片手で受け止めた。只者ではない。

 セバスはフードの奥から、髭面の男に疑念の眼差しを向ける。

 髭面の男はセバスの視線を知ってか知らずか、彼に背を向けて悠々と門を解錠する。

「ここはな、トロールがうろつく森の中で、唯一の安息の地だ。柵には魔除けの効果がある。奴らに四肢をもがれてしゃぶられたくなけりゃ、中に入りな」

 セバスは門の前で立ち止まり、髭面の男に問う。

「名を聞かせてくれないか」

「あ〜、まだだったな。レナードだ」

「私はセバス。彼女は我が主、シヴィだ。助太刀に感謝する。そして刃を向けた無礼を許してほしい」

 セバスの演技に気付いたシヴィは、彼の発言にうなずいて口をつぐむ。

 それから演技の邪魔をしないよう、姿勢を正して少しばかり偉ぶってみせた。

 レナードは手を振って二人を急かす。

「そういうのは後でいい。早く閉めたいんだ。中に入ってくれ」

「ありがたいことだが、それはできない」

 シヴィはてっきり、館の中に避難するものと思っていたため、驚いてセバスを見上げた。

 そのあと、直ぐに平静なふりをして前を向く。

 レナードはゆっくりと目を細め、返す言葉を思案してから口を開ける。

「……そうか。いや、無理にとは言わないが……一応、理由を聞かせてくれよ」

「我々は放浪の旅人であり、追われる身でもある。帝国軍と、少々揉めてしまったのだ」

「ほ〜う……車輪の付いた椅子で放浪の旅か。いい趣味だな」

 シヴィが聞き捨てならないと言わんばかりに口を挟む。

「車イスっていうの。いいでしょう〜画期的で」

 セバスは咳払いをして話を戻した。

「……無関係な者たちを巻き込みたくはない。だが、このまま後戻りしては、元も子もない。もし良ければ、森を抜け出す方法を教えて欲しい」

 レナードは薄ら笑いを浮かべたまま、飄々とした顔の下で思考を巡らしている。

 彼が返答する前に、セバスは付け加えるように続ける。

「レナード氏は、コンパスも地図もなしに、この館へと案内してくれた。森のあちこちには独特な目印もある。一帯の地形に詳しいとお見受けする」

「……なるほど。お前さんの見立ては間違ってない。だが、悪いことは言わねぇ。ここに泊まっていけ」

 レナードは左手の親指で館を指さした。

「ここはな、行く宛のない連中の隠れ家なんだ。もうわかるだろ……忌むべき血族だよ。館の持ち主は博愛主義者でね。可哀想な連中を放っておけないらしい。なんなら、一人呼んでこようか?」

 忌むべき血族と聞いたセバスは、驚いて目を見開いた。彼は敷地内に目線を配って、さりげなく確認してみる。

 すると、敷地内で畑作業をする人々が見えた。

 忌むべき血族は息づくだけで『魔』を呼び寄せると信じられ、帝国から迫害されている。彼らを匿うことは反逆罪にあたるのだ。

 世間知らずのシヴィですら、忌むべき血族のことは聞いたことがあった。彼女は興味を抱いて眉を持ち上げる。

 レナードは二人の反応を窺いながら続きを話す。

「お二人さんがどうして帝国に喧嘩を売ったのか、何が目的でここまで来たのか知らないが……まあ、詮索するつもりもない。俺も含めて、訳アリな連中の集まりなんでね。そこらへんはわきまえてる。もともと、ここは帝国からの隠れ家ってわけよ。心配いらねぇよ」

 レナードはセバスの腰元を指さす。

「丸腰でトロールを相手取るのは骨が折れるだろう? 刃物の一本くらいくれてやってもいいが、道案内はそうはいかない。俺も入念に準備をして見回りに出てる。どちらにしろ、中に入って貰わないと困る」

「…………」

「ま、怪しまれるのは慣れてる……疑り深い奴等がトロールの糞に混じって見つかるのも、慣れちまったよ」

 セバスはしばし思案する。

 レナードの指摘は理に適っているものの、セバスの喉に太い不信感の棘が突き刺さる。レナードの発言は脅迫とも取れる。純粋な善意だとは思えなかった。

 仮にもし、またトロールと遭遇しても、シヴィが本気を出せば突破することはできる。しかし、大きな力の使用は帝国軍に察知されるリスクが伴う。消耗も激しい。情報がないままでは、森をさまようことに変わりはない。トロールが布を被っていたのも引っ掛かる。

 怪しいことを承知の上で館に入るか、異様な怪物がうろつく森の中を、行く当てもなくさまようか。

 判断を迷うセバスを、シヴィは不安そうに見上げた。

 レナードは手を叩いてセバスを急かす。

「早くしろ! これ以上の立ち話は御免だ。中に入るか、立ち去るか、今すぐ決めろ」

 セバスはシヴィに視線を返し、不安を受け止めた。そのうえで、彼は判断を下す。

「……レナード氏の提案を受け入れよう。時間をかけてしまってすまない」

「賢明だぜ、セバスさん」

 セバスは車イスを押して、シヴィと共に失楽園へと足を踏み入れた。

 レナードは二人を尻目に、門を閉じて念入りに施錠する。

「大丈夫? 色々と心配していたみたいだけど……」

 シヴィはか細い声でセバスに問いかけた。

 セバスはシヴィの肩を叩き、彼女の耳元で決意を囁く。

「ここに、忌むべき血族と呼ばれる人たちが住んでいるなら……見極めたいんだ。もしここが危険な場所なら、彼らを助ける」

 シヴィはうなずいて、微笑みをうかべた。

「わかった……人助けの旅、だもんね」

 レナードは館に向かう二人を見つめて、口角を歪めた。疑り深く、興味深く、楽し気に。

「かき乱してくれるんだろ、なあ。お前、なんて呼ばれていたのか、知らないわけじゃないだろう? 歩く厄災さん……」

 彼の乾いた笑い声は、誰の耳にも届かなかった。

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