導き出した答え

 三度目の夜明け。儚い日差しが雲の裂け目を通り抜け、凍った街に光の柱を立てる。

 久しく舞い降りた陽の光は、モーガンとシヴィの手元を照らした。

 今日も二人はビントスティーを嗜みながら言葉を交わす。テーブルの上にはパンとチーズに、ガケヒツジの燻製もある。

 最初は乗り気でなかったモーガンも、シヴィに釣られて会話を楽しむようになっていた。

 彼の話はシヴィにとって極上のおとぎ話に等しい。だが全て実話である。凍った世界の外側には、残酷で美しいおとぎ話の世界がある。

 シヴィは街の外に想いを馳せるたび、自分の膝から下を思い浮かべた。

 そうして再び、ここから出てはいけないと決意を固める。その都度シヴィは、無意識のうちに足下から冷気を発した。

 モーガンは足の寒気を不思議に思いながらも、彼女が望むがまま話し続ける。

「シラハヤモリは、ここぞというときに俺のことを助けてくれたんだ。頼りにしてたし、信じてた。決していい旅ではなかったけど、俺にも心強い仲間がいるから、なんとかなる。そう思えた」

「ヤモリ君とは友達だったんだね」

「ああ。ここに来るまでは、だけど」

 モーガンはもの悲しげにそう言った。

 すると、どこからともなく、ピキリ、という音が鳴る。薪が割れる音ではない。

 室内を見回すモーガンに対し、シヴィはただ一点を見つめている。

 彼女の視線が向かう先は、部屋の角に立っているセバス。

 セバスの頭部に、深い亀裂が走っている。

「森の見張り番がやられたんだ。旅の話は、これでおしまいだね」

「え? それって……」

「毛皮のコートを着て、モーガン。帝国軍が来たんだと思う」

 モーガンはシヴィに作ってもらったコートを羽織りながら、頭の中で情報を整理する。

 シヴィは淡々とした口調で続ける。

「セバスは一人じゃないの。森で狩りと見張りをしていた子が、やられたみたい」

「そんなことまで分かるんだ……」

「みんな私が作ったからね」

 シヴィは落ち着き払っている。身の危険がすぐそこまで迫っているというのに、車イスには手が伸びない。

「私ね、ずっと考えていたの。どうしたらモーガンを助けることが出来るのかって」

「奇遇だね。俺も、どうしたらシヴィを助けられるのか考えてた」

 シヴィは首を横に振った。

「ありがとう。それだけで私、とても嬉しい。でもね、もういいんだ」

 彼女は車イスをモーガンに近付けると、両手で彼の左手を包み込んだ。

 仄かに冷たく、それでいて温もりを宿す彼女の両手は、友の血潮を名残惜しく感じる。

「私を殺して、モーガン」

 シヴィはそう言って、モーガンの手を自分の首に添えた。そして穏やかに目をつむる。

 モーガンは言葉を失い、息を呑んだ。

「そんなこと、俺にはできない……!」

「……きっと、これが一番いい方法なの」

「なんにも良くないよ……どうして命の恩人を手にかけなくちゃいけないんだ!」

「モーガンは私の首を持って、国に帰って。そうしたら、モーガンは街を凍らせた魔女を、たった一人で倒したすごい人。お兄さんのことも許してもらえる」

「違う! 君が犠牲になることが問題なんだ!」

「ただの犠牲じゃないよ。独りで死ぬのは、すごく怖かった。でも、モーガンのために死ぬのはね、全然怖くない。友達のことを守るためなら、どうってことない」

 モーガンは歯を食いしばる。

「一度、俺の案も聞いてくれよ。上手くいけば、俺もシヴィも助かるかもしれないんだ」

「私はこの街から出ちゃいけないんだよ」

「そんなことない! どんなことが起きても、俺が何とかする!」

 手の温かみを通じて、モーガンの決意がシヴィに伝わった。彼女は微笑み、モーガンの手を離す。それから車イスを後退させて距離を取った。

「やっぱり、モーガンは優しいね。最期に出会えたのが、あなたで本当に良かった」

「……シヴィ?」

「幸せになってね、モーガン」

 シヴィはそう言うと、セバスに一つの命令を下した。モーガンの手を汚さず、それでいて彼の手柄になるようにと。

 その直後、部屋が震動する。床が軋む音が迫る、迫る迫る。大きく、大きく大きく。部屋の角で佇んでいたセバスが、シヴィに向かって突進している。セバスの腕は、氷の槍と化している。

「よせ!」

 モーガンは飛び出す。同時に腰からダガーを抜き取る。彼はシヴィに向かう氷の槍を、逆手持ちのダガーで斬りつけた。

 傷は浅いが、槍の軌道が微かに逸れる。槍の先端はシヴィの首をかすめ、暖炉の中に突き刺さった。セバスの腕は燃え盛る炎に炙られ蒸気に変わる。

 バランスを崩したセバスはその場に崩れ落ちた。

 あまりにも突然のことで、モーガンも息を切らす。

「はぁ……はぁ……もっと自分を大切にしてくれ、シヴィ」

 シヴィはモーガンの声を聞き、目を開けて辺りを見回す。視界に飛び込んできたのは、動かなくなったセバスと、側で座り込むモーガン。

「そんな……! 大丈夫? ケガはない?」

「平気さ……シヴィこそ、なんともない?」

「私は……」

 シヴィは言葉に詰まり、ただ頷く。

 モーガンは動かなくなったセバスを見ながら、感嘆の溜め息を吐いた。

「すごいな。セバスって、戦うことも出来るんだね」

「ごめんなさい……私、あなたに無茶をしてほしくなくて。それなのに、こんな……」

「別に謝ることじゃない。俺のわがままだから」

 モーガンは立ち上がり、ダガーを見つめた。

「訓練してきて良かった。心の底から、初めてそう思えたよ」

「モーガン……」

「帝国軍には、俺より強い兵士が何人もいる。俺一人じゃ、君を助けるには力不足だ」

 モーガンはダガーを腰にしまい、シヴィの瞳を見つめる。彼女は今にも泣き出しそうで、その瞳は潤んでいた。

「でも、やっぱり……君と一緒なら、生き延びられる。確信した」

「え……」

「シヴィの魔法で、帝国軍を足止めするんだ。その間に、俺が君の車イスを押して逃げる。それから、先ずは内陸の都に行こう。二人で気球に乗ってさ、目指す場所を決めるんだ。気ままに俺たちの旅をして、南に向かって、一緒に海を見に行こうよ」

 モーガンはひざまずき、シヴィに右手を差し伸べた。まるで王妃に違いを立てる騎士のように。

「セバスを止めたのは、この話を聞いて欲しかったから。もし、考えが変わらないと言うなら、俺はもう止めない。君の覚悟を尊重する」

「モーガン……だって、私……外に出たら、色んな場所を、モーガンが話してくれた素敵な場所を、凍らせちゃう……」

「でも、俺は君のそばでずっと話をしていた。俺は凍ってないよ」

「…………!」

「たしかに、保証なんてない。俺の旅はいつだってそうだった。だからって、安全な道を探し続けてここまで来たわけじゃない。どうすればいいか迷ったとき、いつも決めていることがあるんだ」

「それって……?」

「胸を張って生きるには、どうしたらいいか考えてる。君の夢を後押しできるなら、俺はどんな最期を遂げたって構わない。最後の最後まで、胸を張っていられると思うから」

 シヴィはこらえていた涙をこぼす。凍ってしまう前に、モーガンが人差し指で雫を受け止める。

「……本当に、大丈夫かな? 私が外に出ても……」

「どうしようもなくなったら、俺を頼ってほしい。そのときは俺が、君を眠らせるよ。君の暴走で誰も傷つけさせない。約束する」

 シヴィは涙を拭い、胸に手を当てて呼吸を整える。脳裏に街の人々が浮かぶ。皆、笑顔だ。このときはまだ、街が暖かな日差しに包まれていた。

 やがて街の人々は悲しみに暮れる。陽が陰り、不作が続いて寒さが増していく。親身に支えてくれたのは、ソイリおばさんだけ。ずっと傍で支えてくれた彼女のことすら、シヴィは自らの手で凍らせてしまった。

 悲劇を繰り返すのが怖い。怖くて怖くてたまらない。

 シヴィはじっと返答を待つモーガンを見つめた。たしかに、傍にいた彼を凍らせることはなかった。

 だが、彼女の足を凍らせているのは力の問題だけではなかった。

 自分だけ自由に生きることなど、既に凍らせてしまった人々が許してはくれない。ここで朽ち果てることが、自らに課した償いだった。

「ごめんね、モーガン……私だけここから離れるなんて、やっぱり駄目だよ……」

 シヴィは俯き、消え入りそうな声でそう言った。

「私だけって……?」

「凍らせてしまったみんな、私のこと、きっと恨んでる」

「……そっか」

 モーガンは考え込み、差し伸べた手を下ろす。罪に苛まれる気持ちが、痛いほど胸の奥に伝わってきた。かつてモーガンも犠牲を避けられない任務に就き、罪悪感に打ちひしがれたことがある。訓練で鍛えてきたものすべてが、無作為に人を傷つける刃物のように感じられた。

「そうだよな。自分のこと、許せなくなるよな……」

 モーガンはもう一度ダガーを手に取り、先ほどの感覚を思いだす。シヴィを助けるために、無我夢中で刃を振るった感覚を。

「シヴィとは少し違うけど……俺、君の気持ちが分かるよ。任務で色んな人を犠牲にしてきたから。居ても立ってもいられなくて、兄さんに相談しに行ったことがある」

 モーガンは力強い眼差しで、シヴィのことを見つめる。

「力も命も、使いようだって兄さんは言ってくれた。今ならその意味がよくわかる。訓練してきたお陰で、今もこうしてシヴィと話ができてる」

 シヴィは少し顔を上げて、モーガンの視線を受け止める。

「シヴィの力なら、俺よりももっと、沢山の人を助けられるんじゃないかな」

 シヴィは驚いて目を丸くした。自分の力のことで、そんなふうに考えたことは一度もなかった。

「私の力で、人を、助ける……?」

「ああ。ただ海を見に行くだけじゃない。人助けの旅、なんてどうかな」

「人助けの旅……」

 シヴィはそう呟き、モーガンと同じように自分の両手を見つめる。

「私、どうしたらいいのかな……?」

 彼女がそう口にした途端、爆発音が轟き、街全体が左右に揺れた。

「な、なんだ!」

「きゃあ!」

 シヴィが車イスごと横倒しになる。

 同時に、テーブルの上にあったティーポットが倒れた。その方向にはシヴィ。

「シヴィ! 危ない!」

 モーガンは腕でティーポットを弾き飛ばした。彼は姿勢を低くしてシヴィに寄り添う。ティーポットの中身は辛うじてかかっていない。

「大丈夫かい? 今、車イスを起こすから」

「うん……大丈夫。ありがとう」

 モーガンは車イスを掴んだ。すると、彼の手の甲に、埃と木片の滝が降り注ぐ。バキバキ、バキバキと、木材が悲鳴を上げる音がする。

 モーガンは音がした方向――天井を見上げた。

 その途端、崩落した天井の破片が、彼の視界を覆い尽くした。







 モーガンの頬に、白くて細く、柔らかいものが触れる。それは人肌のように温かく、仄かに冷たい。まるで寝静まった赤子を愛でるような感触だった。

 恐る恐る目を開けると、蒼白色の頭髪に、金色の瞳と、純白の肌の女性が映り込む。シヴィだ。

 安堵したのも束の間、切り裂くような冷風がモーガンの頬に突き刺さり、ぼんやりとした意識が冴え渡る。

「シヴィ! 一体何が……!」

 目の前に広がる光景が問いかけの答えとなる。

 セバスが天井を受け止めている。残った腕を氷の盾に変えて、二人の命を守り抜いた。失った片腕の重みは、シヴィが氷の塊を加えて補っていた。

 シヴィは緊張で押し留まった空気を吐いて、モーガンのことを抱き締める。

「モーガン! よかった、目を覚ましてくれて……!」

「シヴィ……」

 モーガンはシヴィの髪の隙間から、辺りの惨状を目視した。

 ソイリおばさんの家は瓦礫の山と化している。周りの家も同様で、以前見た街並みは跡形もなく失われていた。

 モーガンは固まる。微かに開いた口が凍り付いて動かない。理解が追い付かない。

 一方で、彼の生存本能が危機察知能力を鋭敏化させる。

「シヴィ……静かに……」

 モーガンは耳を澄ませ、微かな足音を聞き取った。

 モーガンは起き上がり、今度こそ車イスを抱き起こしてセバスの隣に止めると、そこにシヴィを座らせる。

 それからゆっくりと、慎重に、瓦礫の隙間から音がした方向を覗いた。

 彼の視線の先には、街の入り口にあるアーチ型の門。その手前で、見慣れた紋章を刻んだ旗が荒々しくはためいている。

 紋章はモーガンの頬にある焼き印と同じ、逆巻く蛇を貫く剣を描いたもの――帝国軍旗である。

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