第43話 「私の花嫁になっていただきたい」

「新しい魔王だあ?」

 クレイグは、空中に向けて剣を構えた。

 エイヴェリーがそうだと言っても、敵の総大将が一人で人類側の町に一人で潜入しているというのが信じられないようだった。

 

 僕も周囲を警戒したけれど、他の魔族の姿は見えなかった。


 スレネスの町には、カッキーサの都のように町全体を囲む城壁のようなものはない。

 一応、柵で周囲を囲んではいて衛兵が守ってはいるのだけれど、動物避けくらいの意味でしかなかった。

 子どもでも簡単に乗り越えられて、すぐ側の林から木や野草をとってくることができる。

 

 そのすぐ側の林に魔族が潜んでいて、町に攻めてくるのではないかと警戒したけれど林は静かなままだった。

 

(本当に単身で乗り込んできたのか?)


 そんなはずはないだろうと思うと、なかなか近づけない。

 もっとも何体も魔族が潜んでいたら僕だけで食い止められるのかというと、難しい。


「私がチェスラスです。魔王かどうかは周囲が決めることなので分かりませんが」

 

 空中に浮かんでいる少年は、自分の胸に手を当てながらあっさりとそう名乗った。少し照れているようにさえ聞こえるその声は少し意外だった。

 チェスラスは、少し離れた僕の場所からだと普通の人間の少年のように見える。

 角と羽さえ隠してしまえば、本当に違いはないだろうと思う。

 声も本当に可愛らしい少年のようだった。


「はじめまして……なのですが。私は、皆さんが海賊と戦っている姿を拝見させていただきました」


 今までに遭遇した魔族とは違う丁寧な話し方だった。

 もしかして、このままフレンドリーな会話を交わして、帰ってくれたりしないだろうかなどと思ってしまった僕だったけれど、先日マーロンさまに言われたことを思い出していた。

(そう言えば、僕たちは海賊の親分の仇で、随分とご執心だって話だったな)

 そう考えると、この町がとか教会ではなくて、『僕たち』を狙ってわざわざ自ら出てきたというのはあり得るかもしれない。


「親分の敵討ちってことか」

「いえ、シルバニは良いパートナーでしたが、北海の魔族にとっては若干目障りになってところだったので、正直なところ殺してくれて助かりました」

 

 チェスラスは、笑みさえ浮かべてそう答えた。

 姿格好が、可愛らしい少年姿で、ちょっと艶っぽい目つきで言われると『パートナー』という言葉が、恋人とか性的な関係だったかのように聞こえてしまう。

 あのいかにも親分なおっさんから、離れられなかった理由なのだろうかと変な推測が頭の中を駆け巡っていた。

 

「私は、あの素晴らしい戦いっぷりに感銘を受けました」

 

 チェスラスは、うっとりとした表情でそう言った。あまりにも無防備にすうっと降りてくるので、こちらもすぐに攻撃をするのはためらってしまった。


「私はあなたに見惚れました。私の花嫁になっていただきたい」


 チェスラスは、エイヴェリーのすぐ目の前までいつの間にか間合いを詰めていた。

 エイヴェリーも思っていた以上に近づかれてしまったことに、驚いて警戒したけれど、そんなことより言われたことの意味が分からなくて困惑していた。

 それは、僕も同じで少し離れた場所から聞こえたその言葉を何度も頭の中で繰り返して困惑していた。

(は、花嫁?)

「な、何?」

 エイヴェリーは、ぽかんとした表情で数秒間理解しようとしていたけれど、結局は何かの聞き間違いだろうとすぐ目の前の魔王に聞き返していた。

 ついさっきまで激しい戦いが始まるのではないかと思っていたところなのに、今は両者の間に殺し合いなんてしそうもない妙な空気が流れていた。

「『何』と言われましても、プロポーズしているのですが」

「君は新しい魔王で、オレは君のパートナーを殺した冒険者だ!」

「先ほど言いましたが、それは全然恨んでいませんよ」

 爽やかな声で怒っている様子も本当になかったけれど、エイヴェリーは圧力を感じているようで後ずさっていた。 

「先代の魔王を殺したのもオレたちだから!」

 エイヴェリーがなぜか自分から白状してしまっていた。

「それも別に……。私からすれば良い好機を与えてもらったようなものです」

 静かに、でも強引にチェスラスは半歩間合いを詰めていた。エイヴェリーは上半身は少しのけぞっているけれど、もう膝同士やお腹同士は触れ合っていそうな距離だった。

「あなたのような体が強く魔力に適応した女性と、私との間に生まれた子どもはかつてないほど強い存在になるでしょう。この大陸ごと制覇するのも夢ではありません」

「こ、子ども?」

「ええ、大丈夫ですよ。魔族の中でも人に近い種族は、ちゃんと子どもができますから。かくいう私も少し人間の血が混ざっております」

「そ、そんな心配はしていない! ええと、オレは元々は男だから! 子どもとか産めないから!」

「今はそういう変化にしているだけで、私の子どもを産める体にもできますよ」

 チェスラスは『当然でしょ』という表情でエイヴェリーを見ていた。

「えっ、そうなの?」

 エイヴェリーは、ちらりとネサニエルじいさんの方を見た。

 じいさんは、『そりゃ、望むならできるが』と小声で答えていた。何故、そんなことを疑問に思うのかさえ分からないという顔でうなずいている。

 エイヴェリーにじいさんの声が届いたのかは分からなかったけれど、やろうと思えばできることは伝わったようだった。

「そうなのか……」

 ちょっとエイヴェリーは考えてこんでいた様子だったけれど、それどころではないと目の前の新魔王に向き合った。

「それでも、お断りします。オレには、心に決めた人がいま……すの……で」

 チェスラスの胸を押し返しつつも、エイヴェリーの声も後半はちょっと消えていきそうな小声になっていった。

(なんでだ? 嘘でもいいから、はっきりと拒絶してやれ!)

 僕はそう心の中で叫んでいた。

 でも、まるで僕の心の叫びが聞こえたかのように、エイヴェリーは僕の方を向いてじっとりした目で見ていた。睨んでいたと言ってもよかった。

(あれ……もしかしなくても、僕のせい?)

「まあ、今の恋人なんてどうでもいいのですよ。最初は嫌がっていても、すぐに私のことしか考えらなくなって、毎晩のように求めてくるようになりますから」

 今までと変わらない表情で口調だったけれど、嫌らしい欲望を隠さずに表に出してきた。強引にエイヴェリーに手を出してくる。

「断る。馬鹿にするな!」

 今までの会話が交渉だったのか何なのかも良くわからなかったけれど、話す時間は終わったのは間違いがなかった。

 エイヴェリーは素早く後ろに飛んだあと、すぐに再度地面を蹴って剣を振った。


 これで、首が飛んで終わり。


 僕もそう思っていた。

 今や魔族にとっては天敵と言ってもいいエイヴェリー自身と剣は防げるはずがないと。

「えっ」

 しかし、エイヴェリーの剣はあっさりと手のひらで受け止められた。

「そんな馬鹿な!」

 僕も叫んでいた。

 そんなにも新しい魔王は他の魔族と比べて桁違いに強いのか。

 いや、そんなはずはない。

 そんな力があったら、もっと前に世界を征服しているだろう。

 少し冷静になって考える。

 何か対策を練ってきたと思うのが自然だ。

 エイヴェリーの剣を直接、受け止めていないように見える。なるほど、そういう見えない盾みたいなものなのだろう。

(だけど、それだけでエイヴェリーの剣を受け止められ続けられるかな?)

「あれ?」

 僕もエイヴェリーも、まだ余裕があったのだと思うけれど、少し離れて再び斬りかかろうとした瞬間に違和感に気がついた。

「遅い」

 明らかにエイヴェリーの動きが遅い。

 いや、今までが速すぎるのだけれど、急に遅くなった気がする。

「魔力か」

 以前に魔力を使って、自分の体を強化していると言っていた。

 魔力が無くなったのか。

 いや、それよりは女神さまと人間の繋がりを断ったように、エイヴェリーと魔法の繋がりを断ったのだと理解した。

「くっ」

 エイヴェリーも、今の自分はちょっと剣が巧いだけの女の子の体だと理解したようで、戦い方を変えていた。それまでの圧倒的なスピードを生かして祝福を受けた剣で斬り裂いていた戦い方から、巧みな剣技で敵の攻撃を受け流して反撃の機会を窺って突きを繰り出す。

 チェスラスは長い武器を持っていない。素手というか長い爪による攻撃だけだった。普通の魔族なら十分にこの戦い方でいけると思ったけれど、さすがは魔族の中でも頭角を現しているチェスラスだった。逆に巧みに自分の体を強化しているようで、普通の少年のような体なのに手数でもパワーでもエイヴェリーを圧倒していた。

「お見事です。ますます無理矢理にでもあなたが欲しくなりましたよ」

 チェスラスは余裕がでてきたようだった。エイヴェリーの方は気持ち悪い言葉に顔を歪めつつ必死に応戦していた。

 僕は慌てて走り寄ろうとしたけれど、まずはエイヴェリーに加護を与えることにした。

「ポロアさま。お願いします」

 自分でもこんなに必死に祈ったことはないのではと思うくらいにポロアさまに呼びかけた。

(任せておけ!)

 スディニア坊やがいないからなのか、声は以前よりも小さくしか聞こえなかったけれど、確かにポロアさまの声が僕の頭に響いたので、僕は思わず拳を握りしめて歓喜の声をあげた。

 すぐにエイヴェリーの体は光に包まれていた。

 これで、少々強化していたとしても爪くらいでは傷ひとつつけることはできないだろう。

 エイヴェリーも、すぐにそのことは理解したのか安堵した笑みを一瞬だけ浮かべていた。

 あとは、エイヴェリーで攻撃を受け止めつつ、僕やクレイグやじいさんで攻撃していけばいい。倒せなくても、追い払えればとりあえず今はいいだろう。

 そんな油断があった。

「すごいですね。でも、今のあなた相手なら……こんなのは中和してしまえばいい」

 チェスラスはポロアさまの特別な加護にはさすがに驚きつつも、まだ余裕をみせていた。

 すごい攻撃をしてくると思ったら、すっとエイヴェリーに近づいていっただけだった。弾き返されることなくゆっくりと密着するとエイヴェリーの腰に手を回して抱き寄せていた。

「なっ」

 僕は走りだし、クレイグも飛びかかろうとしていた。

「や、やめろ!」

 密着されすぎて、剣も振り回せなくなったエイヴェリーはそのまま抱き抱えられて空中に浮いていた。 

 走って跳んでも僕の手の届かないところまで上ってしまった。

 エイヴェリーはじたばた足を動かし抵抗して、剣を持つ手を器用に片手だけで入れ替えて背中から突き刺そうとしていたけれどそれよりも速くチェスラスはエイヴェリーの頭の後ろに手を回すとそのまま引き寄せた。

「え、な、なにを」

 僕が見たのは、チェスラスが、強引にエイヴェリーの唇を奪っているところだった。エイヴェリーは抵抗する姿勢をみせたけれど、さらに深く唇を重ねていくうちに抵抗は弱々しくなっていった。

(今度こそ、魔力を奪っているみたいなことか)

 エイヴェリーは意識さえ失って、持っていた剣がエイヴェリーの手から離れ僕の足元に落ちてきた。

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