第37話 「命名 スディニア」
「命名 スディニア」
エイヴェリーが紙に流れるように美しい文字で赤ん坊の名前を記した。
そのまますぐにみんなに見せるとその名前とエイヴェリーの笑顔に対して、ひとしきりの拍手がおきる。
僕たちは、出会ったあとすぐにスレネス領主マーロンさまの館に招かれていた。
王宮のように豪華ということはなくて、どちらかと言えば質素で少しだけ周囲の建物より大きい館は、僕たちもあまり緊張することもなくくつろげる場所だった。
広間の大きなテーブルに食事が用意されるまでの時間で、この命名の儀式を執り行っている。
儀式などというと大げさで、要は夕食前のひと時を使ったちょっとしたイベントだった。
僕たちパーティとマーロン領主の他は、この館で働いている人と領主の部下らしい人が、あわせて5人ほどが拍手をしているだけだった。
「よかったの?」
エイヴェリーときちんと話したことはなかったけれど、僕たちが名前をつけるのはためらっているのだと思っていた。
自分たちで名前をつけると別れがつらくなりそうだし、赤ん坊が混乱してしまうかと考えて育ての親にお任せしよう。
そう、思って一月が経ってしまったのだけれど……。
「長生きできて、王様になるのが確実なんだとしたら、いい名前なんじゃないかな。本人が王様になりたいのかは分からないけれど……」
そう言って、エイヴェリーは笑顔で赤ん坊を抱き上げる。
「良かったね。スディニアちゃん」
エイヴェリーは若い母親か姉のような笑顔で赤ん坊に今つけた名前を言ったあとで、ちょっと難しい口元になり首を傾けていた。まだやはり違和感があるというか、僕たちの感覚だと可愛くないというという気がしてしまう。
「ただ、魔法使いの未来視というのも、確実というわけではありません」
ちょっと浮かれている僕たちに、ここの領主マーロンさまは大きな体で静かに座ったまま付け加えた。
食事を待つ大きなテーブルの上に両手を重ねて置き、燭台の灯りに横から照らされた顔は、僕から見てもやはりどこか落ち着いた大物感を漂わせている。
「そうなのですか」
エイヴェリーはスディニアちゃんをテーブルに置かれた籠に下ろすと、マーロンさまに向き合った。
「大きな魔力が絡む事態次第で、簡単に未来はずれていきます。この世のありとあらゆるものを見てはいられないというのもあります。どの国も未来を占える魔法使いを少なくとも一人は雇っていると思いますが、負け戦も起きれば、王族の突然の悲劇も起きるものです」
そうでしょうと言われて、僕も『確かに』と納得する。
エイヴェリーの方は、『確実じゃないのか、騙された』みたいな顔をしているのがおかしかった。
「ですので、私は百人の魔法使いと契約しています」
「百?」
「一月に一回ほど、未来を占ってもらうだけの契約をした様々な場所の魔法使いからの報告を受けて、まとめたうえで更にこの地でも未来視をします」
「は、はあ」
「その差を知り、計測し続けてまとめあげることが重要なのです」
笑顔で語るマーロンさまに、僕たちは『優秀な人の考えることはすごすぎて良くわからない』という顔になっていた。
「具体的には、小麦と鉄の相場を占って儲けます」
「お、おお」
マーロンさまは何も理解していなさそうな僕たちの顔を見て、分かりやすい例をあげてくれた。
おそらく本来の未来予測の目的ではなく副産物なのだろう。
ただ、そう言われれば、確かにあまり町や周囲の風景も僕が住んでいたころから大きく変わっていないのに、なぜ領主の評判が良く、領民も潤って満足していると言われているのかが納得できる。
「スディニアさまには、様々な障害が待ち受けています。世界の魔力の流れを変えるほどの敵です。残念ながらまだまだ、無事に成長されない可能性も低くはありません」
マーロンさまのその言葉に、エイヴェリーは顔を曇らせたけれど、すぐに『じゃあ、オレが守ってやろう』みたいな気合いの入った顔つきになっていた。
「ですが、今、魔法使いに未来を占わせている世界の各国は、大慌てだと思いますよ。先の魔王が倒されてからは、数十年後に北に大国が出現する未来がかなりはっきり視えるようになったでしょうから」
マーロンさまは両手を広げて、愉快そうに説明を続けている。
「特に、マクワース国は近くに大国がいきなり出現することになるんですからね。魔王を倒した勇者を褒め称える余裕もない。それどころか、適度に魔族とうまくやっていた偉い人には逆恨みしてしまう人もいるでしょうね」
そう言いながら豪快に笑うのだけれど、『魔王を倒した勇者』のところは僕たちの目をじっと見ながら言った気がする。
(僕たちのこと……どれくらい視られているんだろう)
(敵にはならなそうだし、全部を話していいんじゃないか?)
(でも、かまをかけられている気もするな。まだ、黙っていた方がいいだろう)
僕はエイヴェリーとクレイグと視線だけでそんなやり取りをする。
とりあえず自分からは何も言わずに黙っておこうという雰囲気になっていた。
「あの……それで、この子は領主さまのところで預かってもらえるということでよろしいのでしょうか?」
「ええ、この子は我らが未来の主。立派にお育ていたしましょう」
マーロンさまの返事にエイヴェリーはぱあっと明るい笑顔になる。
それにしても、この立派な体で精悍な顔つきの領主マーロンが、まだつかまり立ちもできない赤ん坊にかしずいている姿は少し面白い眺めだった。
「あ、でも、オレ……私たちもこの館でこの子をお世話させてもらってもいいでしょうか? たまにとかでも……」
やっとこの子を任せることができる人に出会えて、そしてすごく頼もしく優秀な人なのでエイヴェリーは肩の荷が下りて嬉しそうだったけれど、それと同時にこの子と完全に別れることも寂しいと感じてしまっているようだった。その気持ちは僕も分かる。
「もちろんです。エイヴェリー殿には、スディニアさまの育ての母親としていていただくのが一番だと思っております」
「母」
エイヴェリーは今更ながらに『母』とか言われて困惑して照れたように僕の方を見ていた。
この一ヶ月、すっかり母親みたいなことをしていながら、何かいまさらこそばゆいのか落ち着かない様子だった。
いや、そもそも、なんで僕の方を見るの?
「……ですが」
「ですが?」
そんな変な空気になっていた僕とエイヴェリーには惑わされずに、落ち着いたままでマーロンさまはぼそりと呟いた。
不審に思った僕たちだったけれど、マーロンさまはしばらくの間、何から話したものかというように視線は上に向いたままだった。
「少しお伺いしたいことがあります。……チェスラフという魔族をご存知ですか?」
「チェスラス? ……いえ、存じないですね」
僕たちは特に隠すこともなく素直に答えた。魔族とは、何度も戦ったりする魔族もいる。ただ、それだけではなく、交渉したりする魔族もいたけれどどちらにも本当に心当たりがない名前だった。
「北方の島を拠点にする魔族で、今までは無名と言っていい存在だったのですが、ここ一ヶ月で次の魔王候補の最有力とみなされるようになりました」
マーロンさまの説明にも僕たちは『はあ、そうなんですね』くらいの感想でしかなかった。
「最新の未来視では、五分五分なのです。我らがスディニアさまにより北方に大国ができるか、チェスラスによって魔族の大国ができてしまうかというね」
そう聞くと一気に緊張感が増してしまう。
「このチェスラスは、強く優秀な魔族です。さらに今までは人間と組んで、海賊行為で荒らしまわっていたので、妙に人間側の事情にも詳しく、巧みに人間側にも潜り込んできています」
「……潜り込んで?」
「ええ……ちなみにシルバニという人間の海賊には心当たりは?」
「いえ、ない……ですね」
あまり海にでない僕たちには、海賊は魔族よりも縁のない存在だった。この間のウテン卿の船に乗せてもらった時とか下っ端を数回追っ払ったことがあるくらいだ。
「このシルバニという大海賊は、ちょっと綺麗な女を攫おうとして商船を自ら襲ったら間抜けなことに返り討ちにあってしまったそうなのです」
(……ん?)
「赤い髪の少女剣士に……と噂されております」
はっきりとマーロンさまは、エイヴェリーの方を特に髪の毛を見ながらそう言った。エイヴェリーをはじめ僕たちはちょっと思考が追いつかずに固まったままで、マーロンさまは話を続ける。
「とにかく、大海賊の下で戦い方を学んだチェフラスという魔族は、親分だったシルバニが死んだことである意味、縛りもなくなり解き放たれました。人間の海賊を引き継ぎ、魔族も従えて勢力を拡大している厄介な相手です。魔族だけではなく人間側にも脅威なのです」
「あっ」
マーロンさまも真剣な表情で話してくれている中で、エイヴェリーは突然、何かを思い出したかのように声をあげた。
「キーリー。ほらウテン卿の船を襲ってきた海賊船に魔族がいたじゃないか?」
少し引きつった顔でエイヴェリーは僕の方を見る。
「魔族?」
いたかなと記憶を振り返るけれど、思い出せなかった。姿形は人間に近い魔族もいるので実は戦っていたのかもしれないと思うくらいだった。
「乗り込んではこなかった海賊船の方に。ほら特にマストの上でこちらを監視していた若いの」
「ああ、いたね」
僕の目では、あの距離では人間か魔族かもよく分からなかった。ただ、まだ若そうなまだ少年だと思った記憶しかない。
「あの魔族、羽つきだった」
「ああ」
僕も思わず間抜けな声を出して、引きつった顔になる。
そう言えば、なんでエイヴェリーがマストの上にいる少年のことを、襲ってこないかをずっと気にして注視していたのだろうかと思っていた。
「羽つき魔族だったのか」
羽つきの魔族だからと言って空を飛べるとは限らないが、飛べることが多く……そして優秀で強いことがほとんどだ。
「つまり……」
「つまり?」
「僕たちは、新しい時代の大魔王が誕生する手助けをしてしまったと……そういうことですね?」
僕たちももう隠すつもりなんてなくはっきりとした声でそう尋ねると、マーロンさまは目をつぶりながらだったけれど、なぜか満足そうに大きくうなずいていた。
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