第14話 君の指で上書きして欲しいな

「ううっ、気持ち悪かった」

 船室から無事に戻ってきたエイヴェリーは、ふらふらと歩きながら僕の袖をつかんでしゃがみこんだ。

 本当に気持ち悪くて吐いてしまうのではないかと心配したけれど、顔色も悪くはなくちょっと大げさな演技のようだった。

「全くもう、全部脱がされて触られるし」

「お、おう。た、大変だったね」

 さっきから妄想していた光景が、本人の言葉で裏付けされていってはっきりとしたものになっていってしまう。

 頭に血がのぼりつつ、悶々とした気持ちにもなるのだけれど、僕の意識は一点に集中してしまったのでどこか落ち着いていた。

(……なんで僕の裾をつかんでいるの?)

 エイヴェリーは助けを求めるみたいに座り込みながら、僕の裾をつかんで離さない。

 女性経験のない僕には、こういうときはどんなふうに振る舞えばいいのかが良くわからずに固まっていた。

 肩でも抱いて慰めればいいのだろうか……。

 そう思って手を伸ばしかけたけれど、慌ててとめた。

(いや、そもそもエイヴェリーの心は男のままだろう……危ない危ない)

「あいつらの指、なんかざらざらしているんだよな。あと、でかいし」

 エイヴェリーは思い出しながら、嫌そうに顔を歪めながらそう言った。ただ、本気で怒っているわけではなさそうに見える。いきなり大雨に降られて濡れてしまった時と同じくらいのテンションだった。

「そうだろう? やっぱり、揉まれるなら人間の手がいいよな」

 クレイグはいやらしく揉む手の動きをしながら、エイヴェリーの胸に近づいたけれどエイヴェリーに叩かれていた。

「うるさい。お前はざらざらしてそうだから嫌」

「そんなことねえって」

 拒絶されたクレイグは何のアピールなのか、両手を広げてエイヴェリーにみせていた。

「ほら、豆とかできて固そうじゃん」

「戦士だからそれは仕方ないだろお」

 実際、クレイグの手は大きくて固くて普段からちゃんと鍛錬しているのがよく分かる手だった。

 男としては少し羨ましくもあると思いながら見ていた。

 そのまま視線をずらすと、先程まで疑っていたらしい魔族もこんな僕たちの様子を見て、どうやら『魔王を倒すような強い奴らではないな』と思ったのか引き上げていく。

(危機は去ったのかな……)

 ほっと一息をついた。

 結果的には、この赤ん坊に助けてもらったような気がすると感謝しながら、抱っこを続けた。赤ん坊の方も僕が安堵したのが伝わったのか、いつもおとなしいのに今はにこにこと笑っている。   

「まあ、でも一理あるかな」

「え、何が?」

「触られるなら人間の手や指がいいかなって話」

 エイヴェリーは僕に近づくと赤ん坊のほっぺたを触りながら、そう言った。

(あ、なんだ。赤ん坊の話か……)

 さっきから、僕の妄想が暴走しすぎて恥ずかしくなってしまう。

「あいつらに触られたり舐められたりしたところ気持ち悪いから、上書きしてくれない?」

 あれ? 意外に僕の妄想は外れていなかった?

 上書きって何? どこを? 裸にされて触られた場所をもう一度、僕に触って欲しいってことだよね。

 僕の頭が理解を超えて、茹で上がってしまっているうちに赤ん坊は、エイヴェリーが引き取ってあやしていた。

「そう。首筋とか触って欲しいな」

 赤ん坊をその美しい胸の前で抱きかかえながら、エイヴェリーは後ろを向いて頭を傾けて肩の白い肌を僕にはっきりとみせていた。

「く、首筋……ね。え、ああ、いいよ。お安い御用さ」

 僕はそう応じながら、片手をエイヴェリーの肩に伸ばした。

「このへん?」

 恐る恐る肩から触り首の方へと近づいていった。

「あれかな? おいしそうって思いながらなでていたのかな」

 僕は綺麗な肩のラインを上から見ながら撫でていた。

「もうオレは大きいのにな。どうだろうね。魔族たち本人にもあまり性欲と食欲の境目は分かってないのかもね」

 そういうものだろうか。

 そんな感情は良くわからないし、分かりたくもなかったけれど、今のエイヴェリーは妙に魔族をも魅了する存在なのだというのは間違いない気がしていた。

「あー。そこそこ。うーん、気持ちいい」

 とりあえず僕はエイヴェリーが無事だったことに一安心して、そのままエイヴェリーの肩を揉んであげていた。疲れ知らずなエイヴェリーだけれど、ずっと赤ん坊を抱えていたからか、僕が肩を揉む手に反応して嬉しそうな声をあげている。今は美少女の姿だということを自覚していないみたいで、可愛らしい容姿から発せられる色っぽい声に、船に同乗している船員やお客さんたちも少し魅了されてちらちらと眺められて注目を浴びてしまっていた。

「脱がされて、胸も触られちゃったから上書きしてくれる?」

 さすがにエイヴェリーもその言葉は僕の耳に口元を近づけて小声で言ったけれど、僕はもう周囲で聞き耳を立てていそうな男性のお客さんに聞こえてしまわないか気が気でなかった。

「だ、駄目に決まっているだろ。僕は神官見習いなんだから」

「ふうん。残念」

 くそう。これは最初からからかうつもりで言ったな。

 純情な男性の気持ちを良く知っているエイヴェリーに仕掛けられると僕はもう翻弄されるしかなかった。

「あら、いつもご夫婦で仲がよろしいですね」

 いちゃいちゃしているので、声をかけるタイミングに悩みましたと言いながら近づいてきたのは、エラさんだった。

「エラさんも無事乗り込めたのですね」

「仕事がいっぱいあって慌ただしかったから、着替える時間もなかったですけれどね」

 エラさんの姿を見れば確かに朝のメイド服の上に一枚コートを羽織っただけではあった。

 少し怒った声だったけれど、この船に乗ることができて嬉しそうな表情だと思った。

「ウテン卿と一緒に過ごせて嬉しいですか?」

 エイヴェリーも察したのか、エラさんに楽しげな表情で尋ねていた。

「えっ、そ、そんなでもないけれど……まあ、やっぱり魔族の国でお留守番は不安だし寂しいですからね」

 国に戻ったら国に戻ったで、本家の人たちには色々気づかわないといけないので面倒なのですけれどねとか、何やら言い訳っぽい言葉を早口で言っていたけれど、やはり嬉しそうで僕たちも応援したくなってしまう。

「良かったですね」

「そ、そうですね。まあ、あとは何事もなく国についてくれればよいのですけれど……」

 エイヴェリーの言葉に、どちらかと言えば僕たちのことを応援しに来たエラさんは逆にウテン卿との仲を応援されて嬉しそうだったけれど、複雑な表情だった。

「天気も良さそうですし、大丈夫だと思います」

 僕はそう楽観的に答えていた。今から魔族が追いかけてきてももうすぐ国境はまたいでしまう。嵐にもなりそうもないし、遠く外洋にでるわけでもないので国に戻れるのはもう間違いがないとこの時の僕は思っていた。

「船……」

 エイヴェリーは赤ん坊を抱きかかえたまま、少し視線を横にずらしていた。

 エラさんは振り返るように、エイヴェリーの視線の先を見ようとした。僕も顔を上げてエイヴェリーが向いている方に目を凝らしてみた。

 確かに、小さく何かが見える。

「船だな。まっすぐこちらに向かっている」

 エイヴェリーはその小さな点を見て、はっきりと確信したようだった。

「ウテン卿に伝えないと」

 エイヴェリーは立ち上がると周囲を見回して、赤ん坊を抱きかかえたままで早足で進みだした。

「お、おい。エイヴェリー。どうしたっていうんだ」

「あれは、海賊だ!」

 僕の方を振り返りながら、エイヴェリーは断言した。

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