3、来ないでください

「伯爵家のお嬢さま。本当にありがとうございます」


 商店のおかみさんが、おずおずと出てきてわたしに頭を下げます。


「助かりました。シルヴァお嬢さまは義に厚く、弱い者を決してお見捨てにならない強いお方なのですね」


 違うの。わたしはただ睨んでみせただけ。

 強くなんてないし、ドレスの下の膝はがくがくと震えていたわ。

 ただ相手が勝手に怖がっただけなんです。


「いえ、わたしは別に、何も」


 そう、ただ単に賊を睨んだだけなのです。

 おかみさんは、大量の林檎と杏と、それに卵に茸、さらにはベリーまでくださったので、侍女と御者が懸命に馬車に積み込んでいました。


「シルヴァさまは、なんとお優しい令嬢なのでしょう」

「危険も顧みず、我々を守ってくださるとは。護りの女神さまです」


 わたしは「はは……」と、力ない笑いを洩らしました。ちょっと品がないですね。ついさっき悪神だの邪神だのと罵られたところなので、心が荒んでもいたようです。


 でも、こんなわたしにも婚約者がいるんです。

 とても素敵な殿方で、いつも優しいまなざしのヨハンネスさま。


 だから、彼には知られたくないの。わたしの目つきがとてもとても悪いことを。

 そうよ、一生前髪を伸ばしておけば。ヨハンネスさまに三白眼がばれることもないわ。



 なのに、屋敷に帰ったわたしを待っていたのは、そのヨハンネスさまでした。

 彼の馬車が車寄せに止まっているのを見て、わたしは隣に座る侍女にしがみついたの。


「ねぇ、引き返しましょう」

「引き返すって。お嬢さまのお屋敷ですよ」


 だって、怖いんです。

 わたしはさっき賊に散々、邪神と罵られたところなんですもの。

 

 わたしの馬車が止まる音を聞いたせいか、ヨハンネスさまが表に出ていらしたの。

 とても晴れやかな笑顔で。

 ああ、ヨハンネスさまが現れると、曇り空ですら一瞬で晴れ渡ってしまいそう。

 それほどに爽やかで、好青年なんです。


「お帰り、シルヴァ」


 馬車の扉をヨハンネスさまが開いて、わたしに手を差し伸べてくださいました。


 いやー、来ないで。


「さっき自警団の人があなたの父上を訪問してね。あなたが賊から商店を守ったとを聞いたよ」


 いやーっ。どうしてご存じなの?

 わたしは硬直して、その場を動くことが出来ませんでした。

 しかも「ほら、ヨハンネスさま。ご覧ください。お嬢さまの勇気を讃えてこんなにも」と、御者が山のような果物を見せるんです。

 

「自警団の人が言うには、かなりタチの悪い賊だったらしいよ。怖かっただろうに、よく頑張ったね」


 むしろ今怖いんです。


「わたしは本当に何もしていないんです」

「なんて謙虚な人なんだ。その心の美しさ、そして心の強さ。本当にぼくはあなたの許嫁になれて良かった」


 仰らないで、そんなこと。

 だって、貴方はわたしの目を間近で見たことがないでしょう?


 でも、そんな風に考えたのが間違いだったのかもしれません。


「シルヴァ。今日こそは、ちゃんと顔を見せてくれるね?」

「む、無理を仰らないでください」


 ぐいっと身を乗り出してくるヨハンネスさま。

 わたしは顔を背けて、一歩下がりました。


「あなたのお父さまが自慢なさっていたよ。娘は誇りだと。幼い頃より、娘を怖がる男どもに何が怖いのか、どうすればより怖いのかを聞き取りしていたのが、功を奏したと」


 え? 昔、わたしに「食べないでください」と懇願した男の人は、お父さまにこっぴどく叱られたのではないの?

 

 やはりわたしの目つきが凶悪なのは、お父さまの所為なのね。

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