EP11 June, 2025 ~遠ざかる勝利~

 六月十八日――最終決戦の日、本日は生徒会選挙立候補者の立会演説。

 この立会演説では各候補者が自身の主張を全校生徒に演説する機会、選挙の最終局面における最後の売り込みの場。この演説内容の結果如何で、十分に形勢を覆す事も可能だ。

 ちなみに今年から毎年、立会演説は高等部敷地内に建造された西欧建築様式のアミティエ大講堂で開催される。同時に中等部も生徒会選挙の真っ只中で、同様の場が設けられている。

 そしてこの立会演説を終えると、中一日で投開票が行われて勝敗が決する。

 まあ全校生徒とは言うものの、学園自体が開校初年度で高等部の総生徒数も一学年のみの約三百八十名しか存在しない。と言っても超少子高齢化の時代において、単学年の生徒数で見ても、更に女子生徒のみで限定すると全国有数の生徒数を誇る。


「会長、正門に山吹の雨小衣会長が到着されたそうです」

「そう。此処まで丁重にお招きして」


 現在は立会演説の開会宣言中、幸運にも私の順番は全立候補者五名のトリ。

 それが必ずしも有利とは限らないけれども……心持ち気が楽で発言内容の修正も出来る。開会宣言が終了し、司会進行役が早速一人目の立候補者の登壇を促す。先陣は秋元友紀奈、彼女は緊張の面持ちで登壇する。沙枝の宣伝努力の賜物で、事前予想では私の方がやや優勢な状況。

 ただ彼女は依然としてレティの主張が肌に合わない層の受け皿的な存在ではある。正直言って油断が命取りになる状況に変わりはない。


「おっ待たせ~、涼ちゃん。っで、どんな感じ?」

「その呼び方止めてくれるかしら……今から始まるわ。今回の事、感謝するわ」

「良いよ、良いよ。困ってるのはお互い様だし」


 正直言って雨小衣を完全に信用しきっていなかった私は、万が一にも約束を反故にされる可能性も考えていただけに一先ず胸を撫で下ろす。

 彼女の付添人は二名、護衛役の女生徒と私に敵意を抱く会長補佐役の奏と呼ばれる女生徒。他陣営は予想外の来訪者に動揺が漏れ出ている。私に向ける視線は総じて訝しげだ。


「ただ私も、皆さんと平穏な学生生活を送りたい。その一心で他校との協和の道を探ります」


 協和ねぇ……常識が通用する環境なら兎も角、私から言わせれば華丘島は異常の極致。彼女が想像する平穏とは、まるで掛け離れた環境と言える。

 そもそも私が過去に経験した学園生活は最悪の一言、結局のところ雨小衣亡き惨劇後も学園間での争いが絶えず混迷を極めていた。何せ山吹女学園の生徒の大部分が他学園、特にカルミア女学園の生徒に対して好戦的で反感を抱いていたから。まあそれが雨小衣の過激思想が伝播した結果なのか、それとも彼女の強大なバックボーンの仕込んだ事なのか判然としないけれども、事実として惨劇後も犠牲者が絶えなかった。

 雨小衣の思想を受け継ぐ生徒会長が当選し、ああ……そうそう。私の眼前に居る雨小衣の会長補佐役が生徒会選挙で圧倒的な勝利を収めたわね。

 彼女が生徒会長に就任してからは本当に酷かったわ。何せ二度目の惨劇を企てていたし……本当に冗談抜きで大変だった。


(まあ何が言いたいかって? 異常者が溢れている環境で、彼女の常識的な平和主義は通用しない)


 大友友紀奈の発言時間が経過し演説を終える……内容を聞く限りお題目はまとも。

 華丘島以外の学校であれば、その風采秀逸さに生徒会長の座を掴む事は容易だわ。

 でも彼女は現状の理解に乏しい。まず生徒達は先の羽乃坂事件で底知れぬ不安を抱いている状況、その理想論では不安は払拭できず心に響かない。所詮はレティの受け皿的存在から脱する事は不可能。

 協和と言う曖昧な表現、具体性が発言にない。今生徒達の喫緊の問題は平穏な学園生活を取り戻す為に『生徒会はどう行動を示すのか』と言うこと。

 その後、二名の立候補者の演説が終わる。そして最も警戒すべき人物、四番手のレティが司会進行役の紹介と共に登壇する。急激に私が追い上げていると言えども、未だ彼女の牙城は崩せていない……直近の事前予想では一位と言う状況に変化はない。

 何故そこまで支持されているのだろうか――。

 そう言えば普段なら私に嫌味の一言でも言い放つ筈なのに、今日は妙に大人しい。私に視線すら合わせない。図太い性格に似合わず緊張しているのかしら?


「……皆様、この現生徒会の怠慢が招いた現状、私は遠苑会長を激しく糾弾します」


 その言葉と同時に、仕込みなのか生徒の本心なのか、講堂内に拍手が響き渡る。

 ……ただその光景を眺めて私は思う。仮にこの支持が本心ならば、例え雨小衣の手を借りたとて敗北の可能性は有り得る。現状は私の慢心が招いた……正直言って油断だ。過去の記憶で勝利している以上、今回も苦戦すれども大丈夫と、心の何処か高をくくっていた。

 にしてもレティの日本語、物凄く上達しているわ。相当頑張ったのね。


「私には皆様の平穏を取り戻す確たる覚悟と用意があります。……聖ル・リアン女学院との共同戦線協定を締結し、平穏を掴み取る為に羽乃坂事件の主謀者、山吹女学園の生徒会長である雨小衣しずくを引き摺り落とします」

(なっ!? は、春妃、どう言う事?)

(……分からん。ル・リアンには誰も潜らせてない。情報収集も先日開始したばかりだ)


 そのレティの力強い言葉に再び講堂内が盛大な拍手喝采で揺れる。

 いやいや……そもそも何故に彼女が羽乃坂事件の犯人が山吹女学園の生徒だと特定出来ているのか?

 彼女の口から山吹なんて言葉が出る訳がない。私たちも、当然ながら山吹側も一切公表はしていない。この真実を知り得る人物は極少数、私と春妃、大友姉妹ら、山吹側も雨小衣を含めた側近の数名と言ったところだろう。

 雨小衣が意図的に漏洩させた? 到底考え難い……と言うか意味がなさ過ぎる。

 いやそれよりもよ……雨小衣の出番の前にその言葉は非常に宜しくない。生徒達に私達が事実を隠蔽していたと捉えられてしまう。


「春妃、冗談抜きでまずいわね……」

「ああ、最悪の場合、敗北を想定して準備はしているが……それは考えたくないな」


 背筋が凍る感覚、額に冷汗が滲む――焦燥感の理由、彼女の言葉で生徒達の雨小衣への認識が完全に『敵』へと変化したからだ。問題は私の演説、雨小衣の謝罪の言葉でその認識を覆せるかが勝敗の鍵になる。

 鍵になる……とは言ってもよ。現実的に事前予想でのレティ陣営は差は縮めたと言えども独走状態。私の認識が甘過ぎた……まさか学園内に過激思想がこれ程までに蔓延っているとは――。

 改変前の過去では、生徒会選挙に私が勝利した事で自然消滅したのかしら。


「ん~、まずいんじゃないの? 涼ちゃん」

「ええ……想定外の事態ね。ごめんなさい。貴女の手を借りても届かない可能性があるわ」

「おい涼花、大丈夫か?」

「どうかしら……春妃、最悪の場合は任せるわ」


 共同戦線協定と言う協定がどの様な内容かは知らないけれども、彼女の言葉から汲み取れるとすれば、カルミア女学園と聖ル・リアン女学院が共闘し山吹女学園を潰す……私にはそう聞こえる。

 その気になれば現時点なら可能だろう。二学園の戦力――ES科の生徒を掻き集めれば、三学園で最もES科の生徒数が多い山吹女学園に匹敵する。

 大規模な衝突は確実に惨劇と言う結果に繋がる。

 と言うか雨小衣にとっては好都合な状況の完成、私には最悪な状況だけれども……今一番怖いのが、雨小衣がレティ側に付く可能性が異様に高くなった。なんなら現時点で約束を反故にされかねない。まあ雨小衣の様子を見る限り、まだそこまで考えは至ってない様に見えるけれども。

 私が生徒会長の地位を失えば、その惨劇すら食い止める術が失われる。

 ……投票が開始されれば穏健思考の生徒票は私と秋元友紀奈での奪い合いになる。


「……勝てる見込みが低いわ」

消極的ネガティブな事を言うな。勝負は最後の一瞬まで気を抜くなよ……お前が諦めれば、お前を慕う人間の努力が報われないだろ」

「え、ええ、ごめんなさい。そうね……最善を尽くす。その結果なら後悔ないわ」


 私も、私を慕う役員達も、今回は全力を尽くしている。

 例え記憶と違う結果を突き付けられようとも、最善を尽くした末に敗北するのならば後悔はない……それに生徒会長の座を失えども、惨劇を阻止する選択肢は一つではないはず。……何だか既に負けを認めている様で気に食わないけれど。

 まあ私の傍には春妃が居る。彼女は私が人生で最も信頼を置く人間、数多の苦難を乗り越えた親友だ。此処で私が諦めれば、春妃の信頼を裏切る事になる。

 数分後、レティの締め括りの言葉で演説が終了すると同時に、私を除く全立候補の中で最も盛大な拍手喝采が沸き起こり講堂を揺らす。


 私は致命的な勘違いしていたと実感する……本当に生徒達が求めていたのは、不安の払拭だとか雨小衣の謝罪だとか、そんなちっぽけな表面上の言葉ではない。

 他校の威圧に屈さない強靱な心を持つ確たるリーダーシップ……確かに悔しいけれども彼女が発する言葉には魂が宿っている。私を批判する言葉、山吹女学園に対する態度は毅然で攻撃的で刺激的、過激だけれども芯の強さがある。

 私には耳障りな言葉――でもその態度や言葉は心強く、それが結果的に生徒達の安心感へと繋がっている様子。

 私は選挙期間中において余り前面で活動をしていない。それは雨小衣と詰めの交渉など、完全に裏方に回っていたから。生徒達を安心させる材料集めに必死だった。


 根本的に私の考えが甘過ぎた。でも私を慕う者達の期待を裏切れない以上、退かない、私は。劣勢でも全力を尽くす……それ以外に今の私に選択肢はない。

 私の登壇を促す司会進行役の言葉が流れる――私は覚悟の面持ちで壇上に向かう。

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