EP10 June, 2025 ~雨小衣しずくと言う名の少女~

 未明の時間帯、就寝中に一本の電話が寝室に鳴り響く。

 混濁した意識の中、寝惚け眼を擦ってスマートフォンを手繰り寄せると発信者を確認、春妃の名前が表示されていて時刻は午前四時三十分を指している。

 常識的な春妃が非常識な時間に電話を掛ける……緊急の要件と容易に推察出来た。


「もしもし……春妃、どうしたのよ……?」

「涼花、こんな時間にすまん。さっき雨小衣の会長補佐役と名乗る人間が書簡を届けに来た」

「本当に!? 分かったわ。三階の談話室で落ち合いましょ。直ぐ身支度を済ませるわ」


 予想外の素早い反応に少し驚きを隠せない。超特急で身支度を済ませ制服の袖に腕を通す。

 他校の情勢も把握している。山吹女学園も聖ル・リアン女学院も生徒会選挙の真っ只中、山吹の臨時生徒会長である雨小衣は圧倒的優勢と言う情報が玲菲リーフェイ経由で入っている。

 余裕綽々な筈の雨小衣が焦りを見せるかの様な迅速な対応……。


(おおよそ私の考え通りと言う事かしら)

「おはようございます。本日の小笠原諸島地域の天気は、晴れ時々雨、最高気温二十三度です。傘を持って、出掛けましょう。良い一日を」


 スマートスピーカーの天候を知らせる機械音声を流し聞きし、自室を後にする。

 カルミア女学園学生寮ザ・パークガーデンズは地上三十三階建て地下四階の規模を誇り、A棟が高等部寮でB棟が中等部寮と分離されている。寮内には様々な施設が設けられていて、飲食店や小売店、映画館などの娯楽施設も完備されている。なので外出せずとも寮内で生活が完結する。

 薄暗い廊下を進みエレベーターホールに到着、時間も時間で人の気配は感じられず、私は待ち合わせ場所の三階談話室に向かう。


「すまんな、涼花。コンビニでも寄るか?」

「そうね。珈琲でも飲んで頭を覚ますわ」


 三階にあるコンビニに立ち寄りアイス珈琲を購入する。

 談話室に戻り適当な席に着く。春妃は向かい側に着席し、一枚の封書を机の上に置いた。

 その封書の表面には押印が一つあるだけで特に何も記載はされておらず、中身の内容は不明な状態になっている。


「そもそも、その会長補佐役とやらは本当なの?」

「ああ、学生手帳と役員手帳を提示してきて役職も確認済みだ。大丈夫だろ」


 私は封書に手を伸ばし開封する。

 一枚の用紙が入っており見開いて記載内容に目を通す。雨小衣の自筆――内容次第では協力を惜しまないと、加えて今日の午前十時に華丘島東部、すみれ区にあるホテル=エンヴァイロン華丘の三五一五号室にて待っている、との内容が記載されていた。


「罠だと思うか?」

「こんな状況で罠を仕掛ける理由もないでしょ?」

「まあそうか……手札はあるのか? 雨小衣も自分が逼迫しているとは認めないだろ」

「雨小衣が甲の態度を取るのは間違いないわね。でも逆撫でせず平身低頭に……後は包み隠さず私たちの現状を伝えるだけ。文面から察するに話が通じる相手の可能性はある以上、利己的な性格であれば自身の保身に走る筈よ。彼女は提案を受け入れざるを得ないわ」

「……そう思い通りに運ぶかね」

「春妃の心配はご尤も。でも夕方に説明した通り、彼女が傀儡人形であれば断ると言う選択肢は許されない」

「でも夕方の話は涼花の推察だろ? 確証がない以上、最悪の事態を考えないか?」

現在いまが最悪な状況なのに考える必要ないわ」


 万が一にも生徒会選挙に敗北し、惨劇の阻止が絶望的と判断すれば、本当に最悪の最悪は雨小衣を刺し違えてでも殺す。その程度の覚悟は持ち合わせている。


「分かった。現地には私と涼花、護衛にはリリーを連れて行く。良いか?」

「ええ、彼女なら安心ね。学園に休みの連絡だけ入れておいてくれる? もう少し眠るわ」

「ああ、一階玄関で九時三十分に待ち合わせよう」


             ******


 午前九時四十分……春妃が手配した送迎車にて、華丘島東部のすみれ区に向かっている。

 下道で約二十分程度の距離、道中は建設途中の建造物が多く目立つ。この時代、まだ華丘島は造成から二年程度しか経過しておらず、未だ開発途上の段階でもある。


「リリー、罠の可能性は低いけれども、十分に警戒して」

「遠苑会長、承知しました」


 恐らく戦闘になる危機的状況は考え難いけれども、まず用心に不足はない。

 生徒会隷下の学園守衛部を主導する部長兼第一警備隊の隊長の女生徒、米国アメリカからの留学生リリー・スカーレット――ES科でもトップクラスの花力個体蓄積量FIAを保有し、花術の習得速度も速く技能面に関しても優秀、実習でも好成績を残している。

 ただ、それでも実戦の経験は無い、殺し合いの戦闘ともなれば実力は未知数だけれども。


「ええ、その件は沙枝に一任するわ。予算に制限はないから思う様にして」

「沙枝がどうしたんだ?」

「もう選挙戦も最終盤でしょ? 宣伝活動の幅を広げたいと、沙枝から連絡があったのよ」

「徐々に盛り返している状況、更なる追い上げは必要か……選挙活動に費やせる資金でお前の右に出る者は存在しないだろうしな。なあ世界を牛耳る遠苑家のご令嬢様」

「全く……茶化さないでくれる? ほら目的地、見えたわよ」


 すみれ区の海岸沿いに建設された海外資本の高級ホテル、ホテル・エンヴァイロン華丘。

 送迎車が正面玄関前のロータリーに停車すると、待機中のドアマンが無駄のない挙動で後部座席の扉を丁寧に開ける。出迎えのホテルマンに誘導されて、フロントロビーに向かう。


「雨小衣様のご友人様ですね。既に三五一五号室でお待ちです」

「ええ、ありがとう。……さあ行くわよ」

(なあ涼花、疑問なんだが。こんな場所を用意できるって、実は雨小衣もお嬢様なのか?)

(私が知る限り違うわね。只の一般人……ただバックボーンのお陰と言うところかしら)

(ああ、なるほどな)


 世界的な高級ホテルグループと称されるエンヴァイロンにしては客足が見られない。

 まあ確かにこの時代2025、華丘島の知名度は無いに等しくて、更に来島手段も高速船のみとなれば観光客が来る筈もないか。でもこの状況が続くのは来年の華丘国際空港の開港と、国策とも呼べる程の予算を費やし宣伝を開始する来年までの話。

 私たちは三十五階に到着、重厚感のある薄暗い廊下を進む。雑音の一つも無い静寂に包まれた空間に足音だけが響く。そして目的の部屋の前で直立不動の大柄な山吹の女生徒が視界に入る。

 その女生徒に臆せず春妃が声を掛ける。


「彼女は私立カルミア女学園高等部の生徒会長、遠苑涼花だ。雨小衣会長との協議のために訪れた。お目通しを願いたい」

「雨小衣様よりお聞きしております。では、どうぞ」


 扉を開くとスイートルームの室内が視界に映る……無駄な所で金を使うわね。

 室内に足を踏み入れると、窓際の椅子に腰掛ける雨小衣の姿を捉える。そして彼女の周辺には数名の生徒会役員と思われる女生徒と……まあ予想通りと言うか、あのフーデッドコート姿の人物が雨小衣の背後で直立している。


「やあやあ~、初めまして……かな?」

「ええ、実際に会っては初めてね。書簡を受けての対応、心から感謝するわ」

「わわっ。いやぁ~、あの遠苑財閥のご令嬢様に感謝されるなんて。まま座って、座って」

「失礼するわね」


 雨小衣しずく――小柄な体躯、やや垂れ目気味な瞳に淡い栗色の長髪が特徴的で、小動物的な可憐さと幼さが残る普通の少女にしか見えない。これで残虐非道と呼ばれるなんて……外見だけでは人間の本性なんて分からないものね。

 特に喋り口調もそうだ。高飛車で高圧的な印象は抱かず、親しみ易さを感じさせる。

 演技なのか? それは分からないけれども、恐らく本質的な部分が表面に出ている。

 それでもやはり、行いを考えれば残虐非道で、私の敵に変わりはない。


「まず改めて提案の場を設けて頂いて、感謝するわ」

「良いよ良いよぉ。困ってるのはお互い様だからねぇ~」

「長々と話もお互い疲れるでしょうから、単刀直入に提案をさせて貰うわね」

「だねぇ。お互い忙しい身だもん。ちなみにどんな提案でも受け入れる用意だよ」


 どんな提案でも受け入れるですって? 余程現状が深刻と捉えているのか。

 いや雨小衣の言葉を馬鹿正直に捕らえてどうするのよ。どう言う意図で発言をしているのかは関係なく、警戒心を失っては駄目。何を企んでいるのか分からない。


「一つ目は大友姉妹を襲撃した犯人が山吹の生徒だと認めた上で、二日後の立会演説の場で貴女の正式謝罪をお願いしたい」

「なっ!? 会長に向かってなんて無礼な提案を!」


 雨小衣の会長補佐役と思しき生徒が私の言葉に激昂し、花術補助端末FADを私に向ける。

 花術に長けていないのか、この状況だからなのか分からないけれども手先が小刻みに震えている様子にも見える。


「……仕舞いなさい。貴女にその勇気はないわ」

「ほら仕舞わないのか? やるのか? どっちだ? 涼花に手を出すなら受けて立つぞ」

「どーどーどー、お互い落ち着こうよ。ほら奏、ごめんなさいわ?」

「か、会長……失礼を、申し訳ございません」

「ええ、構わないわ。貴女の忠誠心がそうさせたのね。理解してあげる」


 会長補佐役の奏と言う生徒が冷静を取り戻し一歩下がると、会話が再開される。


「まあ大体予想出来てたよ。悪役は必要だよね。うんうん」

「犯人の存在が不明瞭な今、そうでないと生徒達の不安を払拭できないわ」

「そうだねぇ。で一つ目と言う事は二つ目は?」

「犯人の情報公開と警察機関への引き渡し……犯人と認めるだけでは不十分、野放しの状態だと結果論は変わらず生徒達の不安はそのままの状態よ」

「……それは難しいねぇ。まあその犯人は私の背後に居るけどさ」


 言われなくても知ってるわよ……先程から私に対する殺意を肌で感じている。

 恐らく彼女の存在は雨小衣にとっての切り札、そうそう簡単に手放すとは到底思えない。だからって別に本人でなくてはならない理由もない。

 誰かの犠牲は必要だけれども、身代わりを用意すれば良いだけの話……別に犯人が誰かだったなんて、私と春妃、同伴者のリリー以外に知り得ようがないもの。


「何も彼女を差し出せとは言わないわ。犯人役は私で用意するから、雨小衣会長はこちらで準備した台本通り壇上で喋ってくれるだけで構わないわ」

「うんうん。それなら別に構わないよぉ」

「か、会長!? 山吹女学園の生徒会長としての尊厳、生徒からの批判が――」

「あれれ奏ぇ? 私の意見に異を唱えるの~?」


 雨小衣の口調に変化は感じない。でも奏と呼ばれる会長補佐役に対する無機質な視線……その視線を向けられた瞬間、彼女の表情に覇気が消えて恐怖からか小刻みに震える。

 雨小衣の言葉に如何なる反論も許さない――自身を絶対的な存在だと誇示する。


「正直、話が早くて助かるわ」

「あははっ。お猿さんじゃないんだから理性的に考えられるって、警戒し過ぎ」

(涼花、犯人役を用意するって、本気なのか?)

(気が引けるけれども……大丈夫よ。恋華に用意させるわ)

「あぁ~、そうそう。一つ情報を教えてあげるよ。レティシア・フルール=シュヴァリエって居るよね」

「ええ、現状では選挙で独走状態よ」

「あれの背後に聖ル・リアン女学院の生徒会長、冷泉千華流の影があるよ」

「……どう言う事かしら?」

「あの監視カメラ映像の流出事件、ル・リアンの生徒会室にあるPCからカルミア女学園の警備システムに不正アクセスしている形跡があった。冷泉千華流が絡んでると思うよ?」

「……そうなのね。有益な情報の提供、感謝するわ」

「雨小衣会長、台本の準備もある為、スケジュールは追って連絡させて貰う」

「りょっ! 奏、そこの副会長さんと連絡先交換して連絡頼むね」

「……畏まりました。会長」


 雨小衣の情報ではレティの裏には千華流が絡んでいる。

 言葉のニュアンスと状況的に嘘を言葉にする利得が雨小衣にあるとは到底思えない。恐らく事実だろうと思う。ただ千華流が絡んでいるのか、千華流を貶める為の裏工作なのか、現時点では判断が難しいところだけれども……何れにしても調べる必要がありそうね。

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