EP9 June, 2025 ~交渉の手札~

 放課後の夕刻の時間帯、私は学園中央に位置する時計台広場の屋外カフェに到着する。

 開放感があり学園内でも一二を争う人気の店舗、此処を選んだ理由は席の間隔が広くて周囲に会話内容を盗み聞きされ難いから。

 約束の時間を過ぎても尚、春妃は姿を現さない。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「ええ、アイス珈琲を。もう一人は来てから注文しますね」


 春妃が姿を現すまでの暇、タブレットを取り出して来月の期末考査の勉強を始める。

 勉強する必要性もないけれども……と言うかどうも背後に人の気配を感じる。


「んんぅぅ~、やっぱり会長のサラサラな黒髪、肌触り最高ですぅ」

「……どうして此処に居るのよ。貴女は」

「すまん、涼花。こいつに見つかってな……」


 私の髪に頬擦りを続ける小柄な子、彼女の名前は白瀬雪乃しらせゆきの――えっ誰? いや雪乃か。……いやいやいや雪乃って誰なのよ。未来2045過去2025の記憶が混同して脳の処理が追い付かない。

 跳躍タイムリープによる影響は十分に考えられた。と言うのも羽乃坂事件までの私が未来の私と違う時間軸を歩んでいた場合、未来の私にその記憶は存在しない。

 だからこそEWSの致命的欠点で春妃に指摘されていた様に、記憶が重複保存される状態を修正し、上書き保存される様に改良しろと。今の私は二人分の記憶が混在している。

 跳躍以前、羽乃坂事件までに私が未来の記憶に存在しない行動を取っていた場合、今の私の記憶に存在しない為に記憶の齟齬が生まれてしまうと言うこと。これの何が問題なのかと言えば、記憶形成に関する海馬傍回に障害が発生する可能性があり、正常な情報処理が行えない影響で重度の記憶精神障害を引き起こす場合がある。

 数度の試験の際に被験者が障害を患ったのはそれが原因と結論付けられた。

 だから未来の記憶に白瀬雪乃と言う人物が一切存在しないにも関わらず、白瀬雪乃の名前や面識の記憶が同時に存在しているのは、この重複保存が影響していると言うこと。

 幸いにもそれを理解し受け入れている以上、過去の被験者の様な障害の兆候は見られない。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「ああ、冷たいレモンティーを」

「私はこの苺パフェで!!」

「お前、千三百円って……もちろん自分で払うんだよな?」

「へっ!? またまたぁ、春春はるはるはご冗談をぉ」

「こほん。雪乃、席を外して……と言っても無駄よね?」

「うんうんっ!」

「どうする涼花、時間を改めるか?」

「まあ構わないわ……。どうせ雪乃は役員でもないし、ただ絶対に口外しては駄目よ」

「もちろんっ!」


 好奇心旺盛な雪乃を同席させるのは……とは一瞬思いはしたけれども、この子は私に相当惚れ込んでいる様子なので口外の心配は大丈夫でしょ。


「端的に言うわ。雨小衣に協力を仰ぐ」

「……はぁっ? ちょっと待て、どう言う事だ?」

「今の苦境は羽乃坂事件によるもの。警備体勢の失態は一旦置いておいて、この犯人が野放しの状況が一番問題よ。何時襲われるかも分からない状況が生徒達の不安に直結している」

「犯人と言っても……雨小衣の手下、山吹の生徒で間違いは無いだろうが」

「ええ、そこは私も同意見ね。ただその証拠がない。でも証拠を集めている時間的猶予もないとなれば、雨小衣に直接認めさせる以外に術がない。公式的な謝罪とともにね」

「言うは易し、現実的に難しいだろ。白を切るのが目に見えてるぞ」


 雨小衣の公式的な謝罪と、犯人の特定および拘束――普通なら現実的ではない。

 ただ必ず雨小衣は交渉の席に着くと確信している。何故なら私が生徒会長の座を失えば、雨小衣にとって致命的な事態に陥ると睨んでいるからだ。


「ねえ、春妃。雨小衣がどうしてあれ程に争いに固執していたか、考えた事ある?」

「いや……只の戦闘狂としか考えた事はなかったな」

「雨小衣を惨劇の日に私が殺めて、結局のところ真相は闇に葬り去られたけれども……彼女は誰かに脅迫や弱みを握られていた可能性があるわ」

「つまり?」

「雨小衣の人物像を徹底的に調査した結果、あの異常性は本来の雨小衣の性格ではないと言うこと。考えてもみて? ES科の存在意義、そして花術を学ぶ意義を。学園間で殺し合いをさせたい組織が雨小衣を傀儡化している」

「つまり雨小衣の一挙手一投足は日米政府の意向と言う事か?」

「ご明察ね。となれば後の話は簡単よ。仮に花術を一切扱えないES科以外の一般生徒が生徒会長に就けば、花術を武器とする学園守衛部は機能不全に陥る。雨小衣の覚悟次第で蹂躙される未来が容易に想像出来る。でもそれでは駄目……要求されているのは一方的ではなく、拮抗した戦争だから」


 そうでないと花術の軍事転用化に直結する戦闘データを満足に得られない。

 それはつまり……雨小衣を傀儡化する日米政府の思惑に反した結果となり、それは雨小衣にとって非常に困る話だ。だからこそ、私が生徒会選挙で窮地に立たされている現在、雨小衣は交渉に応じる以外に有り得ない。


「……涼花の話通りなら理屈は通る。賭けとしか言えないが」

「ちょびちょび賭けても大勝ちできないわ。春妃、雨小衣を交渉の場に引っ張り出せる?」

「涼花名義で今日書簡を届けさせる。お前の言葉通りなら直ぐに返答がくるだろ?」

「と思いたいけれどね。私も雨小衣の事を調査報告書以上の事は知らないから」

「まあ一か八かだ。何れにしても私たちに選択肢を吟味する暇はないしな」

「ふぁぅぁ~、話し終わりましたぁ?」

「寝るぐらいなら寮に帰れば良いのに……まあ好都合だけれども」

「四日後の立会演説の書類作成があるから寮に戻るが、涼花はどうする?」

「私はもう少し残るわ。お会計は済ませておくから後で沙枝から報告をあげて貰えるかしら」

「ああ、分かった。ほら雪乃、帰るぞ。お前は役員でもないのに、いつもいつも――」


 春妃と雪乃が席を立ち去る。

 少し考えを整理する時間が欲しい……そう思い氷が溶けた珈琲を一口、瞼を閉じて十分程度の時間が経過する。春妃には自信満々に伝えたけれども、実際問題そんな簡単な話ではない。

 何よりも雨小衣と言葉を交わした記憶は数回にも満たない上に、その会話内容も到底穏やかとかは言えなかった。

 果たしてまともに話が通じる相手なのか、それも所詮は文字の情報だけでは判明しない。

 慎重かつ合理的な説明を、この交渉が失敗に終われば冗談抜きで運否天賦に祈る以外に選択肢は潰えてしまう。

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