EP4 June, 2025 ~羽乃坂通り魔事件~

 事件まで残り僅か。私と春妃は息が続く限り駆け走る。

 被害者の大友姉妹より先回りする必要がある。この事件がターニングポイントである以上、必ず犠牲者を生んではならない……大友優菜を救う事こそが最重要だ。

 ただ事はそう単純な話でもないのが問題で、雨小衣の主目的を果たす為には、実行犯の女生徒達に『成果』を持ち帰って貰う必要がある。冷徹と言われても仕方ないけれども、大友優菜には多少の傷を負って貰う必要はある。

 コンティニューは当然出来ない……的確な判断能力が求められる。


「はぁぁ、ふぅ――若いって素晴らしいわね。身体が羽根の様に弾むわ」

「それは結構なことだな。ただ間に合うか微妙なラインか……待ってくれ涼花、玲菲リーフェイから連絡だ」

「誰よ、玲菲って?」

「まあそれは後で話す。手際が良いな玲菲は、大友姉妹の現在位置を掴んだ。今お前のスマホにも送ったからリンクを開いて確認してくれ」


 春妃の言葉と同時にスマートフォンが短振動して通知を知らせる。

 メッセージに添付されたリンクを開くとブラウザが起動、周辺マップ上に数個のピンが立っている。恐らく学園東側の大正門付近にあるピンが私達で、ここから北東に七〇〇メートル程度の場所にあるピンが恐らく大友姉妹だろう。

 更に羽乃坂の事件現場、羽乃駅前広場にもピンが立っている。

 人数こそ分からないまでも、雨小衣の部下たちで間違いないでしょう。


「距離的に先回りは厳しそう……なら線路を伝って羽乃駅まで向かいましょ」

「まあ直線距離を考えれば、それが正解か。後で騒ぎにならない事を祈るよ」

「そう思って媒花結晶石オトギリソウ装填セットしているわ。中級支援課術メディウム・メリウス=トランスフィーグラティオで姿を欺けるわ」

「用意周到だな。まあ大丈夫か……此処からなら学園前駅が近いな」

「そうなのね。先を急ぎましょ」


 春妃の後ろ姿を息を弾ませて追いかける。

 学園の大正門から大通りまで続く桜並木、その道中の脇道に入ると、学園から最も近い駅、学園前華心かみ駅の仮設駅舎が視界に映る。

 仮設と言う事もあり一階平屋建ての簡素な佇まい。構内は非常灯の光が薄暗く照らし人の気配は一切無い。プラットホームに繋がる通路は侵入対策用の鉄鎖で封鎖されているけれども、気休め程度であって跨ぐだけで余裕で超えられる。

 私達は線路に飛び降りて、羽乃駅まで小休止を挟みつつ疾走する。


「花術の効果時間は五分程度なんだから、ほらもっと気合いを入れて」

「はぁ、ふうぅ……ま、待てって! 眼が覚めて早々、えらく元気だな、お前」

「そうかしら? 今なら誰が相手でも勝てる気がするわ」


 華心駅から羽乃駅までの距離は一・五キロ程度――全力疾走のお陰で間に合ったけれども、滴り落ちる程の汗で制服が肌に密着し不快感を覚える。

 終わったら直ぐにシャワーを浴びたい。

 建造から間もない羽乃駅の駅舎は木造純和風の二階建て。駅舎二階へと駆け上がり駅前一帯を見渡せる場所を見つける。


「春妃、あそこの停留所に誰か居ない?」


 羽乃駅の一階南口から少し歩いた場所にあるバス停留所に誰かが腰掛けている。

 停留所の電光案内板や照明は消されていて、服装どころか性別すら判別できない。


「良く見えないな。山吹の生徒か……玲菲に停留所の防犯カメラにアクセスして貰って調べるか?」

「必要ないわ。こんな時間に誰があんな場所に居るのよ? 状況的に確定よ」

「おい涼花、あれ大友姉妹じゃないか?」


 建設途中の建物が複数建ち並ぶ小路から制服を着用した二人組が姿を現す。

 街灯の光が照らし彼女たちの姿を判別できた。春妃の言う通り姉妹の姿だ。

 羽乃駅前に繋がる信号を待つ二人、信号が切り替わると同時に交差点を渡り始める。


「おいあいつが動き始めたぞ」

「注視して春妃、何かあれば出られる準備を」

「戦闘なんて勘弁して欲しいな……あぁ緊張してきた」


 姉妹が交差点を渡り切ると、停留所とは反対方向に進む。彼女達の姿を捉えた停留所に居る人影が腰を上げて行動を開始する。

 のそりのそりと忍び寄る。距離を詰める訳でもなく不自然な行動、姉妹と人影の相対距離は開き続ける。街灯の光が人影の姿を照らす、背格好は小柄な女の子……ただ厚手のフーデッドコートで姿を隠しているので、山吹の生徒なのか判別出来ない。


「気持ち悪いな。なんなんだ……あいつ」

「まるで自分は『不審者』ですよと、言っている様なものね。逆に悪目立ちしているわ」


 この年中が温暖な気候の華丘島で、その姿は怪し過ぎる。

 でも状況が状況だ。十中八九の確立で山吹の女生徒で間違いない。花術の発動を警戒し、彼女の動向を注視する。

 大友姉妹は、まだ不審者の姿に気付いてすらいない。


「何がしたいんだ?」

「分からないわ。二人との距離も開き続けているし……警戒して」


 不審者は街灯の下から微動だにしない。姿に気付いて欲しいの?

 確か羽乃坂事件では雨小衣の部下は三人組、ただ不審者以外の人影は見当たらない。何処かに身を潜めているのかしら……でも慎重になる理由が分からない。

 姉妹はどちらもES科の生徒じゃない。要するに花術を扱えないのに、何を慎重になっているのか。

 私の考えが甘過ぎた……万が一にも戦闘に発展しようが、所詮相手は素人同然の学生。私と春妃では戦闘経験で雲泥の差、難なく姉妹を救えると。

 でも油断は大敵、既に先手を打っておくべきだった――。

 姉妹はようやく不振者の視線を感じ取る。ふと姉の大友優菜がその視線の方向に振り向いた瞬間、理解が追い付かない出来事が起こる。


「なっ!? 何が起こったんだ?」


 眼を疑う光景、私も春妃も一瞬状況を飲み込めない。

 大友優菜が不審者と視線が重なった瞬間、まるで人形の様に魂が抜け落ちて膝から崩れ落ちる。完全に意識が消失している……唐突な出来事に妹の由衣が慌てる。姉の身体を抱き抱えて名前を呼び続ける。

 花術が発動された? いやその形跡は感じ取れない……不審者は傍観を続ける。でも状況的に考えれば間違いなく彼女が行った事で間違いない。

 次の瞬間、私も春妃も油断をしていた。不審者はコートの隙間に手を突っ込み花術制御端末FCDを抜き取ると、瞬時に煌めく花術式が形成される。


「春妃っ!! 援護をっ!」

「えっ!? お、おい、ちょっと待てって!? ここ二階だぞ!」


 不審者から肌で感じ取れる程の強烈な殺意、私は春妃の言葉に構わず咄嗟に二階から飛び降りる。約四メートルはあるだろうか、昔、ある事情で軍事訓練を受けた際に着地術を学んだ事がある。

 とは言っても十年程度前の話、でも運良く多少体勢を崩したものの軽い捻挫程度で済んで着地に成功する。


「あっ、ぐっ!? いっ!! っつぅ」

「だ、大丈夫か!? 身体強化もなしで、お前は馬鹿か!」

「仰るとおりで……」


 春妃の怒声に苦笑いを浮かべて返事する。

 突然の乱入者に不審者が動揺したのか、展開途中の花術式が泡沫に消え去る。私は咄嗟に制服の腰部に装着した専用ホルスターからFCDを抜き取る。

 大友姉妹に向けられていた不審者の殺意が私に切り替わった。そう目的がコロコロ変わる様子からして、どうも短絡的な思考なのね。

 でも幸運な事、これで大友姉妹の安全はある程度確保出来た。ただ戦闘を回避出来るのならそれに越したことはない。


「私に戦闘意思はない。お互い怪我は嫌でしょ? 即刻立ち去りなさい」

「……」

「黙り? 忠告はしたわ。行動で示さなさい。……痛い目を見るわよ」

「…………」

「事態を荒立てるのは雨小衣も望まないはず。目的の一部は達成出来たでしょ? これ以上、事態を悪化させれば雨小衣に絞られるわよ?」

「………………うるさい――五月蠅い、うるさい! ウるサい!!」


 ……どうにも話が通じる正常な精神の持ち主ではなさそうね。

 その情緒不安定さと殺意、激昂の様子を見る限り戦闘は避けられなさそう。

 私は駆け寄ってきた春妃に目配せで合図する。援護の後、姉妹の避難を任せると、戦闘は私に任せて欲しい。仮に複数人が相手でも所詮は素人、どうにでもなる。


「やる気みたいね……十分に忠告したわよ?」


 どうにでもなる……と虚勢は張るものの、正直言って内心不安だ。

 何故私の心に不安が宿るかと言えば、不審者から放たれる殺気が異常過ぎる。まるで殺戮機械だ。私と言えども少しばかり臆している。

 でも戦闘経験の差は歴然、とか自己を鼓舞していると……膠着状態を切り裂く様に不審者が花術を発動する。

 彼女が発動した花術は、花術式の模様から予測するに中級殺傷花術メディウム・シカリア=ルクス・セルペンティスか。宙に浮かび上がる花術式から大量の光粒子が溢れ出してFCDを包み込む。すると煌めく光の集合体が長剣を形成する。ただ長剣と言っても、まるで刃は蛇の様に脈動してうねり続けている。

 明々白々な殺人道具、彼女はその光長剣を手に私へと駆け出す。

 つべこべ考えている余裕はないわね……やってやるわ。


「春妃っ!! タイミングは任せる!」

「ああ、任せとけ!」 


 急激に距離を詰める不審者――敵に対して、春妃は中級攻性花術メディウム・アグレシオ=ディフュージョン・バレットを発動する。

 非殺傷性花術、打撃力に特化した光弾が花術式から数十発放たれると、それぞれが変則軌道を描き標的を定めて飛翔する。そして着弾――何発かが赤煉瓦の路面を粉砕し粉塵が舞う、残弾は敵に直撃、しかし光長剣で容易く弾き返された。

 でも多少の足留めにはなったはずだ。


「春妃、後は私に任せなさい。姉妹の避難を優先して」

「病み開け早々のお前一人で大丈夫なのか!?」

「私を誰だと思っているのよ? それに二対一なんてフェアじゃないわ」


 再び迫り来る敵、接近戦は避けられないと判断し身体能力を向上する中級支援花術メディウム・メリウス=リインフォースメントを発動する。

 明確な攻撃手段を持つ媒花結晶石CFCを所持していないけれども、後は流れに任せる以外に選択肢はない。


「……つっ!」


 一瞬、声を荒げる敵、彼女は渾身の力で凄絶な水平一閃の斬撃を仕掛けてくる。


「舐めないで!!」


 ただそんな単調な斬撃で私を殺せると思わないで、間一髪で膝を崩して回避する。

 斬撃は標的を失って虚しくも空を切り裂き残光が軌跡を描く。しかし敵は再度の斬撃を試みる。

 その斬撃も単調で剣先を読めた。私は下級防性花術ユニオル・カストルム=コルプス・スクレローシスを発動、FCDに物体硬化の効果を付与し、FCDを両手で構えて凄絶な斬撃を受け止めて弾く。


「残念だったわね」


 二撃目の直後、剣先が弾き返されて敵の動作に明確な隙が生じる。

 当然ながらその隙を見逃す筈がない。私は即座に敵の懐に潜り込み、標的の体内花力を逆流させて一時的に花術の発動を封じる下級攻性花術ユニオル・アグレシオ=ディスペルをお見舞いする。

 零距離での直撃、確実に効果を与えられる。


(ど、どうして? 手応えを感じない!?)


 感覚に手応えがない……直撃の筈が効果を与えられていない。

 敵は花術の直撃を受けて、その衝撃で数歩後退し仰け反る。だと言うのに効果を与えた感覚が……まさか寸の差で防性花術カストルムを発動した?

 考えるのは後、敵の花術を封じられていない……まずい状況だ。

 敵は体勢を整えて、三度私に斬撃を仕掛けてくる――私は剣先を見切り回避を繰り返す。


「涼花っ! 後ろだ!!」

「――えっ!?」


 ただ敵の斬撃に神経を割かれていた。春妃の叫びで気付く……背面上方から敵の花術の反応を感じ取る。

 やらかした――完全に不意打ち。花術式の位置から推測して、十中八九の確立で飛翔系の殺傷花術シカリアと判断する。弾道が予想出来ない以上、もはや一か八かの賭けではあるけれども、咄嗟に身体を左方に捻って回避行動を取る。

 直径数センチ程度はある鋭利な氷針、突き刺されば無事では済まない。それら数本の氷針私を標的に定めて発射される。初弾は避けられたけれども……一本が左肩甲骨の肉を抉って貫通、地面に突き刺さると煉瓦造りの表層を破砕する。


「ああぁぁあっ!! ……うぅぅ、ぐっ……っつ。や……やるわね」


 切創部から滴り落ちる鮮血……激痛が脳神経に伝達される。でも幸運な事に出血量を見るに動脈は損傷していない。激痛に耐えさえすれば意識は失わない。

 私は二撃目を警戒して、地面を強く蹴り上げて敵との距離を出来る限り開ける。


「退いて……くれる訳、ないわよね?」

「お、おい!? だ、大丈夫か、涼花っ!」

「叫ばないでよ。声が傷に響くわ――春妃、貴女は貴女の成すべき事を成しなさい」

「……貴女の殺害は指示に無い。大友姉妹を、殺すだけ。退いて」

「ふふっ、その割には殺気満々だったけれども? ――春妃、早くして!!」

「くっ……くそっ! 直ぐに戻る、絶えててくれ!」


 春妃は大友優菜を抱き抱えて、妹と共にこの場から立ち去る。

 当然、私は敵を足留めする。私の気迫に怯んでか、それとも仲間が待ち伏せしているのか、眼前の敵は大友姉妹を標的から外す。

 仮に待ち伏せされていたとしても、春妃の実力なら対処できる。彼女の心配よりも、今は自分の心配だ……大口を叩いたものの私はこの有り様だ。

 冗談抜きで跳躍早々に殺されるかも……いや諦めるな。こんな序盤で殺される訳にいかない。これは悲願を果たす為の試練――私はFCDを構えて敵と対峙する。

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