EP2 May, 2045 ~悲願と決断~

「先日の緊急会議での決議通りプロジェクトは凍結だ。しつこいぞ」

「無茶苦茶過ぎるわ!! 決定を覆す? 冗談じゃない……残り一週間なのよ!? そもそも議決権を持つ私が出席していない以上、無効だわ!」


 華丘島西部、新日本中央技研の本社棟――その最上階に位置するCEO室。

 顰めっ面を浮かべる春妃の姿、現在いまの彼女は新日本中央技研の代表取締役兼CEOを務めている。彼女とは高校時代からの親友。

 ただ今は関係性なんて……春妃のもとを訪れた理由は他でもない。

 私に通達なく開かれた先日の緊急役員会議、私は欠席扱いのままプロジェクト=EWSの凍結が決議された。その件に関して抗議の為に訪れている。


「なぁ涼花、お前も理由の妥当性は否定できないだろ。違うか?」

「先の試験内容の結果に不満を抱くのは理解するわ。被験者が患った記憶精神障害の重大性、十分に理解している……でもそれ以上に成果を得たのも事実よ」

「おいおい開き直りか? 再三伝えてる様に安全性は確保されないと解除は無理だ」


 平行線ね……開き直り? 安全性? 技術革新に多少の危険性リスクは付きもの。

 確かに被験者に申し訳なく思う反面、春妃の保守的な姿勢が気に食わない。そもそも社内で進行中の他プロジェクトでも問題は山積――不平不満を並べるだけなら誰でも出来るか。

 だからって今からエーデルワイス・システム=EWSを大規模改修する猶予はない。ならそれ相応の強硬手段を取る他に残された選択肢はない。


               ******


 あれから三週間後の五月下旬……未明の月が技研の第一先進技術棟を照らす時刻。

 あれから地下三階に位置するEWS開発区画のセキュリティレベルが更新されて、私を含めるプロジェクトメンバー全員が足を踏み入れられない状態が続いていた。


「EWSの起動を確認、全通信回線オールグリーン。異常ありません」


 強硬手段とは秘密裏に試験を実行する。

 春妃の様子からして嗅ぎつかれてはいない。事後は統括責任者の私に『脅された』と報告する様に千華流に伝えてある。多少は責任を軽減できるだろう。

 それにしても順調に事が運び過ぎている……それが少し気掛かりではあるけれども。


「被験者、遠苑涼花、三十六歳。本試験において想定され得る危険性リスクは了承済み。事前の精密検査、申告において重大な疾病ありと診断」

統合跳躍制御人工知能ILAIによる診断項目を省略――意識および記憶の跳躍期間設定を西暦二〇二五年三月一日午前七時〇〇分とする」


 地下三階の大部分を占める専用区画にEWSは鎮座している。

 これを端的に説明すると、華丘島とその周辺海域の大気中にのみ含有する特殊花粉粒子『花力』を応用し、精神および記憶を指定期間に転送させる装置群の総称。

 制御室と広大な試験場の中心部に、人一人が入れる程度の球体状装置=深層記憶抽出装置DMエクストラクターが設置されていて、無数の通信ケーブルが天井に鎮座する円環体の大型装置=超光速輪転加速器スーパーロアに接続されている。

 私は両手両足を拘束された状態でDMエクストラクター内に居る。


「内部室圧を陽圧運転に切替、続けて被験者に脳神経接続作業を実行します」

「心拍数が少し上昇しているけど、何か異常でも?」

「大丈夫よ、千華流……少し緊張しているだけ。宮野、順調そう?」

「はい主任、ビーム出力も安定値です。これから精神安定剤プロフォミルを投与して、効果が表れた段階で脳活性化薬レミジオンを投与します。海馬から記憶の抽出は――」


 突然の訪問者、制御室の堅牢な二重扉が解錠されて会話を遮られる。

 こんな明朝に訪問者? まさか春妃に感付かれていた!? 今更中断なんて有り得ないわ。それでも強行する以外に選択肢は――二重扉が開き姿を現した人物、その春妃の姿に、私たちは唖然として言葉が出ない。


「は、春妃っ!!」


 右胸部から溢れ出る鮮血が衣服を染めている。覚束おぼつかない足取りで進むと膝から崩れ落ちた。

 その出血量と吐血は勢い止まらず、万が一にも右肺の大動脈が損傷していれば、その出血量も考えると一刻の猶予もない。恐らく持って数分が限界……。


「み、御影さん、救急キットを、早く!!」

「千華流、扉を――閉じろ。逃げ、ろ。……涼花」

「喋っては駄目。御影さん、傷口を強く押さえて、止血よ!! 救急に連絡を!」

「ど、どうして!? で、電話が繋がりません!」


 試験の指揮監督役を務める千華流が御影逢衣と共に春妃の応急処置を始める。

 春妃の『逃げろ』と言う言葉の意味――私は脳裏にとある記憶が過る。

 確か半年程前の話、内密に開かれた内閣府所管の独立行政法人【先端技術研究所】へのEWS譲渡交渉の場で、政府側の担当者が忠告として発した言葉――。


「えっ!? て、停電? 宮野さん、状況報告を」

「はい! 電力区画に異常です。棟内全域で電力ダウンを確認」


 棟内に数基設置された大型蓄電池によって非常用電力に切り替わると、瞬時に非常用照明の赤色灯が点灯し不気味に空間を照らす。

 当然ながら急激な電力低下による影響で、スーパーロアの出力低下を知らせる機械音声と共にけたたましく鳴り響く警告音が不安を掻き立てる。


「致し方ないです。現時刻において試験の中止を――」

「千華流、絶対に駄目よ。宮野、電力供給を専用回線メインに切り替えて」

「ほ、本気ですか!? 数基ある華丘原発の能力を超過して、数分も経たず全島停電ですよ」

「東電も異常に気付いている筈よ。回線を遮断される前にけりを付けるわ」


 逼迫した状況下を考慮すれば、千華流の判断は至極真っ当とも言える。

 ただそれでも……それでも諦めない。今を逃せば機会は二度と訪れないと、そう直感が訴え掛けている。春妃には本当に申し訳ないけれども、突き進む以外に選択肢はないわ。


「監視システム復旧しました。地下三階C3区画にて未認証者を検知、映像に出します」

「えっ、だ、誰!?」

(最悪な展開ね……危機感がなさ過ぎたわ。内通者スパイが紛れ込んでいる)


 映像越しでも分かる屈強な男性が数名、フェイスマスクで顔を覆い銃火器を携行している。ラフな服装から観光客と見間違うほど……まあ物騒な観光客を招待した覚えはないけれども。

 この場に居る私を除いた十名の中にスパイが紛れている。この事実に衝撃を受けると同時に只々ひたすら悲しい。本件の秘匿性を考えて、胸を張って信頼の置ける仲間を選んだつもりだったから。

 でも今はスパイ捜しに思考を割く暇はない。

 物騒なお客様の移動速度から逆算すると、眼前に姿を現すまで二分足らず。彼らの目的は考えるに開発資料と数名の研究者の拉致、そして最重要人物は私と千華流に間違いない。


「千華流、春妃の容体は?」

「出血は多少ながら抑えられた……だけれど危険な状態、早く病院に」


 恐らく春妃は彼らの銃弾を食らった……殺意は明白、なら春妃を助ける道理が彼らにない。

 春妃を助けるのなら要求を呑んで交渉と言う手も――いや駄目、絶対に。必ず試験は成功させる。そもそも交渉が決裂し試験を中断した挙げ句、開発データを奪われた時点で時間跳躍タイムリープどころの次元じゃない。

 開発資料の削除権限は私以外に持っておらず、加えて個人研究室の専用端末からしかファイル操作が出来ない。

 試験を成功させた上に、開発データの削除やEWSの破壊、この三つを達成する方法……。


「スーパーロアの出力を限界突破オーバーリミットさせる。その意味を千華流は分かるわよね?」

「す、涼花さん……冗談、ですよね? 私は――」

「一石三鳥よ。リスクは百も承知、貴方たちにも付き合って貰う必要はあるけれども」

「正直言って遠苑主任の考えには反対――と異議を唱えたいところですが、遅かれ早かれ殺される運命なら……」

「まあ……仕方ないかもね。最後まで付き合ってあげるよ、涼っち」

「私が意固地だと空気を乱しますね。分かりました、分かりましたよ! 私たちの命、貴女に託します」


 私の提案に賛同する雰囲気……この状況下で内通者も反対意見は出せない。

 スーパーロアの出力設計値を超えて限界突破オーバーリミットさせる。そうすれば装置の外殻が超高熱に耐えられず融解し内部の花粒子が外部に大量放出、それを利用し強制跳躍タイムリープを実行する。

 正規の手順を踏まない以上、大きな危険性リスクを伴う。ひとつは高圧高熱の花粒子が外部に放出する事による反応爆発、恐らくその威力はここ第一先進技術棟の建屋全体が消し飛ぶほど。

 もうひとつは跳躍の成功確率が著しく低下すること、仮に成功したところで指定期間に大幅な誤差が生じる可能性もある。当然ながら失敗すれば紛うこと無き死、肉体ごと吹き飛ぶので生き残る奇跡は存在しない。

 私たちは運否天賦の一発勝負に命をフルベットする。


“Don't move! Don't move!”


 屈強な男性たちに二重扉のセキュリティを容易く破られて、声を荒げ姿を現す。

 襲撃者は約五名、動くなと言う警告を繰り返し銃火器を構える。明々白々な殺意から警告で済まないと肌で感じる……抵抗は無意味だと場の全員が悟る。

 隊長格の男性が千華流に近付き銃口を向ける。比較的高身長な千華流を優に超える身長差、それでも彼女は怯まず気丈に振る舞う。

 男性は千華流に何かを要求している。恐らく開発データを記憶媒体USBメモリに保存しろと言っているのだろうけれども、千華流はそれを拒んでいる様子に見える。事実、私の個人研究室にある端末からしか操作アクセス出来ない以上、どうしようもないのも事実だ。

 ただそれを男性が知る由もない。痺れを切らし千華流の黒髪を鷲掴みし鬼の形相で男性の顔元まで引張る。

 状況的に時間的猶予はない。恐らく限界突破オーバーリミットまで推定三分、時間の流れが遅く感じる。


(ごめんなさい……耐えて、千華流)

“I cannot manipulate data here”

“Then interrupt the test and transfer the data!!”

“I cannot shut down the system at the final stage”


 千華流は此処だと開発データにアクセス出来ないと、男性はなら試験を中断しろと指示しろと言うものの、迫真の表情で試験の最終段階ではシステムの終了は不可能だと言い放つ。

 順調に事が運ばず苛立ちを見せる男性、突如として部下にロシア語で命令を下す。


“Иван, убей его”


 イワンと言う部下は命令に従って、春妃の応急処置を続ける逢衣の頭部に拳銃ハンドガンを当てる。

 恐怖から小刻みに身体を震わす逢衣を厭わずに、無機質な表情でトリガーを引く部下、銃口から弾丸が発射されてマズルフラッシュの閃光が室内を一瞬照らす。


「っつ……くっ。逢衣、本当にごめんなさい」


 銃弾は逢衣のこめかみを撃ち抜く。少量の血液が勢い良く吹き出して地面に散る。

 春妃の上体に覆い被さる様にして崩れ落ちる。空間に戦慄が走り数名の悲鳴が響くと、連鎖的に銃声が空間を震わす。幸いにも急所は狙われず数名がその場にうずくまる。

 隊長格の男性は容赦しないと言いたげな表情、そして同じ要求を繰り返す。


「はぁぁ……ふぅ。千華流……後一分、耐え切って、頼むわよ」


 腸が煮え繰り返る感情……でも耐える他に選択肢はなく、血が滲む程に唇を噛み締める。

 いや今は私が成すべき事に集中、出力が限界値を超過した段階で実行操作が必要となる。本来なら指揮室のターミナルコンピュータから操作を行う必要があるけれども、不審な動作を警戒されている以上、状況的に宮野が操作を行うのは現実的ではない。


「宮野、音声認識は有効化されている? されてたら瞬き三回、されてないなら瞬き一回して」


 瞬きが約三回……音声操作は有効な状態、後は私が操作を実行すると伝える。

 残り一分にも満たない、彼らは未だ目的を達成出来ておらず手詰まり状態、それもその筈で拉致目的の人物を無闇に殺す訳にもいかず、千華流が怯まないとなれば進展材料に乏しい。

 なら今が絶好の機会だろう。音声操作の為には緊急運用モードに変更する為の認証コードを発言する必要がある。その際に警告音と機械音声が流れる為、確実に気付かれるけれども……それは致し方ない。

 何れにしても残された時間を逆算すれば被害は最小限に抑えられる。


“Switch to EWS emergency operation mode, execute authorization code 2517031”


 私の言葉を認識した直後、警告音と機械音声が耳を劈く程の音量で鳴り響く。


“Warning, warning, switching to emergency operation mode. Please perform execution operation after the countdown finishes. Starting countdown, 17......15......”


 統合跳躍制御人工知能ILAIの機械音声が流れてカウントダウンが開始される。

 突然の出来事に彼らは狼狽ている様子だ。千華流に停止を要求するが、首を横に振り無理とジェスチャーする。短絡的な行動、制御室内の機器類を無差別に射撃する。

 全く以て無意味ね。既に私や千華流が中断できる段階を過ぎている。

 彼らは今更ながら僅か数秒という段階で危険を察知し退却を始めた。強制跳躍の影響範囲外に逃れるには時既に遅し、全力疾走で数分は必要なため不可能に近い。

 カウントがゼロを刻む……スーパーロアの外殻は轟音を立てて崩壊、花粒子が空間に大量放出されたその瞬間、耳を劈く衝撃音と振動、そして視界を奪われる程の光が身体を包み込む。

 まだ生きているのか、それとも死んでいるのか、私の脳は膨大な記憶の波に襲われて過負荷状態に達すると意識を完全に消失した。

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