第8話 令嬢、慰められる1

王太子殿下の婚約者発表から一夜が明けた。


昨夜濡れタオルで目を冷やしたお陰か、アイリーシャの目は若干開けにくさを感じるものの、あまり腫れてはいなかった。これなら少し化粧でカバーすれば誰かにあっても何も思われないで済みそうだ。


「お嬢様、お加減は如何でしょうか。」

水の入った洗面器を持って、エレノアがやってきた。


「おはようエレノア。昨夜の最悪な気分からは少しは良くなったわ。」


起きがけにまずはコップ一杯の水を飲む。それからエレノアが運び込んだ洗面器を使って洗顔し、身支度を始める。いつも通りの朝のルーティンは今日も変わらなかった。


「お嬢様、本日のご予定はいかがなさいますか?」

エレノアが丁寧にアイリーシャに白粉を塗っていく。目の腫れは予めそうと知らなければ分からなくなっていた。


「幸い今日は外出の予定もないし、部屋で一人静かに過ごしたいわ。出来れば誰にも会いたくないの。」

「かしこまりました。それでしたら朝食もこちらに運ばせましょうか?何か聞かれましたら、お嬢様は気分が優れないので一人静かに過ごしたいと仰っていたと伝えますが、この対応でよろしいでしょうか?」


化粧のお陰で昨夜泣き腫らした痕跡はほぼ消えてはいたが、家族に会うと、あれこれと王太子殿下の婚約者に選ばれなかった事の話題は避けられないだろう。

それならばと、家族にさえも会わないで部屋に引きこもれるであろうエレノアの提案をアイリーシャは採用することにしたのだった。


「えぇ。有難うエレノア。お願いするわね。」



****



部屋に運んでもらった朝食を食べ終わり、アイリーシャは部屋で一人物思いに耽っていた。


少し開けた窓からは爽やかな風が流れ込み、アイリーシャの美しい金の髪を揺らす。このような晴れた日に庭を散策すれば、少しは気が紛れるだろうか。

そんな事を考えていたらふいに、部屋のドアがノックされた。


「やぁ、リーシャ。朝食の席に来なかったから心配したよ。加減はどうだい?」


訪れたのは、二歳上の兄アルバートだった。


「お兄様、お気遣い有難うございます。王太子殿下の婚約者候補という重責から解放されて、気が緩んでしまったんだと思います。明日にはきっと元通り、元気になりますわ。」


兄に向けて、アイリーシャは微笑みながら答えた。

嘘は言っていない。


「ふぅん。だと良いけど。お前は直ぐに無理するからね。人の心の傷なんてそう簡単には癒えないと思うけど。無理しなくても良いんだよ。」

そう言って、アルバートはアイリーシャの頭をぽんぽんと叩いた。


「……流石、お兄様には敵いませんわね。」

「お前が毎回あの匿名の手紙を王太子殿下の御心だと思って嬉しそうにしているのを見ているからね。伊達に16年間お前の兄をやってないよ。」


アイリーシャには上手に取り繕えていた自信はあったが、兄であるアルバートは妹は強がっているだけだといとも簡単に見破ったのだった。


「可愛いリーシャ、我が家の責務の所為でお前一人に辛い思いをさせてしまったね。出来ることならば、お前の悲しみをこの兄も半分背負ってあげたいよ。」

頬を撫でながら、アルバートはアイリーシャを慰める。


王太子殿下の婚約者候補は最終的には7人に絞り込まれてはいたが、公平を期すためにシュテルンベルグ五大公爵家全てから3人ずつ令嬢を差し使わせなければならなかった。


アイリーシャのマイヨール家は侯爵の位だが、実母が五大公爵家が一つ、シゼロン公爵家の出自なので現シゼロン公爵はアイリーシャの伯父に当たる。

そしてそのシゼロン公爵には子が男子しか居ない為、王命によりシゼロン公爵家の所縁の令嬢として、マイヨール家からアイリーシャが差し遣わされていたのだった。


そんな、自身ではどう足掻いても逃げ出す事のできない重責をアイリーシャ一人に負わせた結果、傷ついた妹の姿を見てアルバートもまた、心を痛めた。


「有難うお兄様。そのお気持ちだけで十分私は幸せです。」

アイリーシャは、頬に触れる兄の手を取り、微笑んでみせた。


「私のこの悲しみは、私自身が克服するしか無いのです。こう言った感情は時が経つにつれて薄れていくと聞きます。現に、昨夜よりも今朝の方が落ち着いておりますし、きっと直ぐにこの胸の痛みも忘れてしまいますわ。」


胸の痛みは、今もまだ続いているけれども、これ以上は心配をかけまいと、アイリーシャは兄の目を見て、凛と宣言したのだった。


「俗によく言う、時間が解決してくれるってやつか。」

「えぇ、お兄様。時間が解決してくれますわ。」


アルバートもアイリーシャの目を真っ直ぐと見つめ返した。

そしてその表情から、妹がただ悲しみに沈んでうずくまっているのではなく前を向こうとしている事を感じ取ったのだった。

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