第3話 令嬢、当て馬であったと自覚する3
(これは一体、どういう状況なのかしら…)
アイリーシャは、自宅へと帰る馬車の中で自分の置かれている状況が飲み込めず困惑していた。
彼女の目の前には、何故かミハイルが座っているのだ。
あの後、サロンに残されたアイリーシャは、一人になり再び涙に暮れていた。このような場所で、一人泣いている姿を誰かに見られてしまっては困ると分かっては居たが、涙を止める事は出来なかった。
実はミハイルは、サロンを出る時に使用人に、
“自分が戻るまで誰もサロンには近づけるな”
と言い付けていた為、このサロンに人が訪れる事はなく彼女のその心配は杞憂に終わったのだが、これで一人家に帰り、周囲の目を気にせずに悲しみに浸れると安堵したのも束の間、ミハイルはアイリーシャを馬車の乗り場迄案内し、停めてあった馬車に彼女を乗せると、
“体調の悪い女性を一人で帰らせるような真似、出来ませんよ”
と言い、そのまま一緒に馬車に乗り込んだのだった。
そして、冒頭の困惑に繋がる。
(夜会会場で、私を助けてくださったのは、この方が王太子殿下の側近で主催者側であり、あの祝賀の場を滞りなく進行するために、体調を悪そうにしている私が、あの場で倒れられては困るから連れ出したんだろうけれども、私が目の前で泣き出してしまったから、きっと見て見ぬふりが出来ずに気を遣わせてしまったんだわ…。)
アイリーシャは、自分の体調を気遣い、家までついてきてくれるミハイルの行動を、同情による物だと位置付けた。
そして、自分の中でこの状況に結論を出すと、彼女の困惑はミハイルに大層な迷惑をかけてしまった事への申し訳ない気持ちへと変わった。
馬車に向かい合って座ってはいるが、二人の間に会話はなく、ミハイルは夜の暗闇で景色など何も見えない窓の外を眺め、ただアイリーシャの前に座っていた。
このような泣き顔を見ないでいてくれる彼の紳士的な態度が、アイリーシャには有り難かった。
沈黙の馬車は夜道を静かに進む。
サロンから涙を流し続けていたので、アイリーシャの気持ちは幾分か落ち着いてきていた。
改めて今の状況を顧みる位の余裕は出てきたので、彼女は本人に気づかれぬよう、目の前の男性を眺めた。
自分の目の前に座るのは、王太子殿下の側近を務めるメイフィール公爵家の嫡男ミハイル様。
今まで、王太子殿下とお会いする場に後ろに控えては居たので面識はあるが言葉を交わしたのは今夜が初めてだ。
烏の濡れ羽色のような漆黒の髪に、翡翠のような切長の瞳を合わせ持つこの美丈夫に憧れる令嬢も多くいる事は知っていた。
(外見だけでなく、このような紳士的な振る舞いが出来るとは内面まで完璧なお方だったのね。流石王太子殿下の腹心には優秀な方を選んでいるわ。)
ふと思いがけず、王国の人選審美眼の有能さに感心してしまった。
「…アイリーシャ様、一つ尋ねても良いでしょうか?」
アイリーシャが、落ち着いた気配を察知したのか、ミハイルが声を掛けた。
相変わらず、視線は窓の外を見たままで。
「はい。私に答えられる事でしたら。」
急に声をかけられて、アイリーシャは驚いたが、反射的に返事をした。
特に聞かれて困るような事はないけれども、ミハイルが何を聞きたいのかは皆目検討もつかなかった。
その為、彼の口から出た質問に再び心を揺さぶられるとは想像もしなかった。
「貴女は先程、自分は王太子殿下の特別ではないかと思っていたと仰っていましたが、貴女にそう思わせる、何かがあったのでしょうか?」
不意打ちとはまさにこの事だろう。
そのような質問が出てくる事は全く持って予想外であった為、アイリーシャは固まった。
ミハイルは窓の外を見たままだが、チラリとこちらの反応を盗み見られたような気もする。
予想外の問いに、アイリーシャは咄嗟に言葉が出てこなかった。
再び馬車に沈黙が訪れる。
ミハイルは、アイリーシャが何か言葉を発するのをただ静かに待っていた。
そしてアイリーシャは、ミハイルの質問に対しての回答を考えあぐねいていた。
この事はミハイルには言うつもりはなかった。自分で抱えて、雁字搦めにして心の奥底に沈めようと思っていた想い出だからだ。
「その…私たち側近の預かり知らぬ所で、殿下と貴女とは交流があったのだろうか?」
黙ってアイリーシャの言葉を待っていたミハイルだったが、アイリーシャが答えやすくなるように質問を変えた。
基本、王太子殿下と婚約者候補の令嬢達との交流の場には側近の人達が常に伴っていた。
彼らは空気に徹していて、離れた場所で待機をしていたが常に王太子殿下の側に控えている。
その為、婚約者候補の令嬢と王太子殿下が二人で会うなんて事は絶対にない筈であった。
(ミハイル様はお立場上、私の発言を見逃せなかったのだわ…。)
王太子殿下が、婚約者に決まった女性以外と親密な交流を持っていたとしたら側近としては事実関係を把握し、対処する必要があるのかもしれない。
そのような考えに思い至り、アイリーシャはこれ以上ミハイルに迷惑はかけれまいと意を決して静かに自身の中の想いを語り始めたのだった。
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