第2話 令嬢、当て馬であったと自覚する2

ホールの中央では、煌びやかな王太子殿下とその婚約者に決まった麗しい公爵令嬢のレスティアが人々の注目を集めている。

その為、ミハイルに手を引かれてアイリーシャは難なくホールから離れることが出来たのだった。


アイリーシャを連れ出したミハイルは、ホールを出てすぐのサロンでソファーに座る事を彼女に勧め、彼女もそれを素直に受け入れた。

正直なところ、アイリーシャは限界だったのだ。


またミハイルは、使用人に言って水を持ってこさせると、それをアイリーシャに手渡した。アイリーシャお礼を言って水の入ったグラスを受け取ると、一口、二口と喉を潤した。

水分を補給すると、ボヤけていた視界がハッキリとしてくるのが分かった。


「少しは落ち着きましたか?」

アイリーシャの様子を見守っていたミハイルが、一息ついた様子の彼女に、優しく声をかけた。


「はい。あの、ミハイル様、有難うございました……。体調が悪かったのですが、あのようなお祝いの場でしたので、自分も祝福しなくてはと思い、その……」

「周囲の空気を読んで、無理をしてしまったんですね。」

「はい、その通りです。ですがきっとあのままあの場所に居たら、私は倒れていた思います。そのような大事になる前に、あの場から連れ出してくださり、本当に有難うございました。」


ソファーに座ったままではあるが、アイリーシャは深く礼をして、ミハイルに謝辞を伝えた。


「貴女を助ける事が出来たのなら、それは光栄です。」

柔らかい笑みと共に、ミハイルは答える。


ふと、アイリーシャの頬に涙が伝った。会場を離れ人目がなくなった事で今まで押し殺していた感情が溢れ出し、止める事が出来ない。

アイリーシャは、ミハイルの前でポロポロと静かに泣き出してしまったのだ。


「アイリーシャ様……」

ミハイルが何かを言いかけたのを遮って、彼女は弁明する。


「きゅ……急に泣き出して、もっ……申し訳ございません。こ……これは、私自身の問題であって、み……ミハイル様には関係のない事ですので、どうか……、お……お気になさらないで下さい……」


涙が止まらない為、途中吃りながらも何とか、この涙にミハイルは関係がない事を伝えた。出来れば追求もしないで欲しいが、涙で呼吸が乱れそこまでは言葉を紡げなかった。


なんとかして早くこの涙を止めなければと、感情を整える努力してみるものの、王太子殿下の婚約者候補として過ごした十年間の想いが溢れ出してしまい、泣き止めることは出来そうになかった。


そんな泣きじゃくる彼女を、ミハイルは複雑な表情で見守った。


「貴女は、王太子殿下を本当にお好きだったんですね。」


下を向いて泣いていたアイリーシャは、その問いかけに驚いて顔を上げると複雑な表情でこちらを伺っているミハイルと目が合った。


「アイリーシャ様、これをお使い下さい。涙を、拭いてください。」

そう言ってミハイルがハンカチーフを差し出してくれたので、アイリーシャは有り難くこれをお借りした。


借りたハンカチーフで涙を拭いながら、このような醜態を晒してしまっているのに今更取り繕えないだろうと、覚悟を決めてミハイルに自分の本心を打ち明けることにしたのだった。


「はい。ずっとお慕い申し上げていました。王太子殿下は誰に対しても皆平等にお優しかったですが、お恥ずかしい話、私は自分が王太子殿下の特別な人なのではないかと、少し自惚れていたのです。ですので、レスティア様が婚約者に選ばれたと発表され、目の前が真っ暗になり、心が締め付けられたように苦しくなりました。」


「……心中お察しいたします。」

少しの沈黙の後、ミハイルが声を絞り出した。

アイリーシャがふと見ると、ミハイルはとても悲しそうな目をしている気がした。


アイリーシャは、自分の胸の内を一方的に語られてミハイルが困惑しているのだと思い、慌てて言葉を続けた。


「このような話を、王太子殿下の側近であるミハイル様に聞いていただくなんて……。申し訳ございません、どうか、この私の胸の内はこの場限りでお忘れになってください。」


そう言って頭を下げるアイリーシャに対してミハエルは顔を上げてくださいと宥め、彼女が顔を上げてこちらを向いた事を確認すると優しく言った。


「ではこの話は、私と貴女との二人だけの秘密にしましょう。」

そう言って、ミハイルは人差し指を口に当てて、内緒のポーズをして見せたのだった。


ミハイルの反応はアイリーシャにとっては予想外で、その仕草がなんだかとても可笑しくって、思わず泣きながら笑ってしまった。


「あぁ、やっと自然に笑ってくれた。貴女はやはり、笑顔の方が似合っていますよ。」


これは、ミハイルの本心から出た言葉だったのだが、アイリーシャはそうとは全く思わず、お世辞として受け取っていた。


とはいえ、自分を慰めてくれようとしての発言だなという事は感じ取れたので、アイリーシャは気持ちが和んだのだった。


「有難うございます。」

その心遣いに、涙を拭いながら微笑んで応えてみせた。


アイリーシャの笑顔の美しさに、ミハイルは一瞬見惚れて固まってしまったが、直ぐに我に返り、自分のやるべき行動を思い返して動き出した。


「今夜はこのままご帰宅された方がよろしいかと思います。馬車を手配してきますので、お待ちください。」


そう言うと、ソファーに座るアイリーシャに向かって優美に一礼をし、彼女を一人残してミハイルは馬車の手配をしにサロンを出て行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る