そして としが あけた!
昭和二十一年一月一日、即ち今は無き西暦に直して1946年2月11日。幕府があった頃の年の瀬の商人の如き死屍累々の役人共は、かろうじて死人こそ出していなかったが、死んだ方がまだ永遠にゆっくりできるだけマシなのではないか、という仕事量を熟した彼らは、ようやくといった状態で元旦の言祝ぎを行っていた。と、そんな折に事件は起こった。
「退職なさる!?」
「それは、まことで!?」
多くの海軍将校に囲まれながらも、いつもの通り毅然とした態度で受け答えをしている中心人物がいた。……説明不用の人物であろう、高松宮である。
「ああ、本当だ」
「なにゆえに、なにゆえにございますか!」
「殿下無くして、先の勝利はあり得なかったというのに!」
なおも文句を続けようとする海軍将校に対して、呆れないしは諦観といった表情で彼らを見渡し、高松宮は自身の予備役を表明した。
「……だからだよ」
復員兵の大量引退をはじめとした予備役ないしは年金組の中に、なんとあろうことか高松宮や秩父宮などといった宮様将校までもが存在していたことから、ことの騒ぎは大きくなった。無理からぬことだ、高松宮は言う必要も無いほどの殊勲者であるし、秩父宮もまた北方戦線こと対ソ戦で絶対的な采配を見せた生ける軍神とでも言うべき偉大なる存在であった。その二人をはじめ、伏見宮なども退職を表明したという。
一体、なぜなのか。
「……もう、私は充分に暴れ尽くした。それにだな」
「それに、……なんでございましょうや」
「そろそろ、文民に指揮権を返してやれ」
「は、……は!?」
……大政翼賛会の解散を昭和帝が勅令で出したのは、昭和二十一年一月四日の、仕事始めとされる日であった……。
「陛下」
「諫言なら聞かんぞ」
「……私が来た理由をわかっておいでなのですな」
「ああ、戦勝で増長してはいかん。ここは冷や水を浴びせてでも、きちんとした状態を取り戻す絶好の
……来訪した内大臣に対して、いつもならば柔和にして穏健な昭和帝が、久しぶりに取った強硬な態度は、内大臣にとってその覚悟が殆ど言葉を交さずとも伝わるほどであった。
「……しかし……」
「朕はまだ、二・二六の件を許してはおらんでな」
「!!」
「……まあ、そういうことだ。大逆の憂き目に遭ったとしても、先帝が如きデモクラシーを取り戻さねばならん」
……内大臣は、昭和帝の覚悟をそこに見た。天皇機関説すらも密かに読み通した結果同意した程の、徹底した君子は、その激情を秘めたまま自身が室町期のような「飾り」であっても構わないという態度と共に、さらにこう仰ったという。
「そういうわけで、だ。木戸よ、悪いが泥仕事をしてもらう」
「……はっ、して何を」
「近衛文麿をはじめとした、反対するであろう者を説き伏せて参れ。最悪の場合は蟄居に追い込んでも構わんし、必要ならば朕の名を使っても構わん。非常時は終わった、後は朕の生きている間に、臣民、否、人民の活気が見たい」
「……ははっ!!」
木戸幸一は、それを聞き最敬礼をした後に宮城を退出した。後に「インペリアル・コントロール」と呼ばれる事実上の文民による統治体制は、この日を以て始まったとされている。
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