京都議定書

 昭和二十年閏十二月朔日、西暦に直して1946年1月1日のことである。ある議定書が、旧都山城の旧清涼殿において公開された。通称、「京都議定書」と称されるそれは、「核兵器開発中止に対する提言書」であった。後に、「核兵器ならびに原子力の有効利用に対する中止請願書」と改訂されるそれは、言ってしまえば原爆が遂にこの世界では完成しなかったことに対する、日独の一つの答えであった。

 要約すれば題名の通りであるそれは、「チェス盤をひっくり返す行為はやめよう」と比喩される、いわば「戦後体制をどうせ英米やソ連構成国家は恨んでいるだろうから日独協力の下戦後秩序を可能な限りひっくり返されないようにしよう」というものであった。

 ……これが一応、「日独冷戦構図の証拠」として今でも陰謀論として語られることの多いものであったが、何せ昭和帝からして「斯様な兵器、造らん方が良かろう。第一、本朝とドイツ第三帝国に理性があるならば、斯様な兵器を造って将棋盤を割るが如き行為(これが、ドイツに伝わって先ほどの「チェス盤をひっくり返す行為」に訳されたと思われる)を好むはずがあるまい」であった。まあ尤も、昭和帝が反対した理由としては、原爆の威力よりも放射能汚染によるものであったとされているが、聖上にそれを教えた人物は誰か、となると歴史は沈黙している。

 以後、「完全なる兵器」こと対消滅狙撃兵器「タケミカヅチ」が造られるまでこの分野、つまりは抑止力兵器というものは完全に立ち後れることとなる。とはいえ、「タケミカヅチ」の構想はこの当時既に存在しており、それを狙撃単位にまで縮めたのは、例によって日本なのだが。

 「タケミカヅチ」の紹介は、そもそも発明されるのがコンピューターの発明ならびにOS「TRON計画」の発表まで待つこととなり、事実上平成の御代になってからなのだが、またいつか、紙面があったら行いたいと思う。

 さて、「京都議定書」の続きになるが、放射能汚染の脅威を誰かから教えられた聖上は「斯様な危険な物を使っては天照大神がまた岩戸に籠もるやもしれん」といった旨の発言をし、結果ドイツと協議することを条件に原子爆弾の研究を、詔勅を使い中止させたことはあまりにも有名であるが、実はこの京都議定書、叙述世界ではあまり有名では無い。何せ、数日前には「人間宣言」があったわけだし、成功した会議というものはそのまま一件落着して完結するものである。事実、叙述世界において「タケミカヅチ」が現れるまでは電磁砲による戦艦の狙撃が事実上の抑止力となり、これを以て「戦艦の復権」と鉄砲屋が息巻いたほどであるのだから、核兵器など無くとも世界は平和を保ち得るという結果が現実であった。

 ……まあ尤も、放射能汚染が出ないというだけで、叙述世界では下手な核兵器よりも戦艦に搭載した電磁砲による狙撃の方がよほど都市破壊という意味では効率的であるという演算結果が出たことも「京都議定書」が採用された背景にはあるのだが、それは置こう。第一、抑止力たるもの破壊力とは不可分なのだから。

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