「エ」号作戦(中)

 昭和十九年四月初頭、高松宮は自身の基礎固めをするために何人かと密談を行っていたが、その中でも特筆すべき人物が少なくとも二人存在した。今回はその二人にクローズアップしていこう。


 何の用か。かつて関東軍参謀長であった男は怪訝な表情を見せたという。しかし、高松宮の開口一番の一言が場を一気に緊縮させた。

「現役復帰してもらえないだろうか」

 目の前の海軍将校は自分に現役復帰しろという。突然何を言い出すのか、そんな表情でいた相手に対し更に高松宮は告げた。

「内閣総理大臣に対しては私の方から叱責……じゃなかった、説得しようと思う。どうか、何卒現役に復帰して頂けないか」

 かつて、今内閣総理大臣の座にいる人物との喧嘩別れによって軍を去った結果名声以外の全てを失った現状に対して、眼前の宮様はその元凶を説得すると言い出した。確かに、眼前の「宮様」の立場であれば可能だろう。しかし、ただそのためだけに自分を呼び寄せたわけではあるまい。そう思い彼は続きを聞くことにした。

「何、心配はありません。貴官が現職に復帰した暁には元帥大将に昇格の上、陸海統合本部の本部長についていただきたく。私はただの連合艦隊司令長官でもかまいませんよ」

 眼前の宮様は、なおも説得を試みようとしている。確かに、軍隊の階級としては自分の方が上ではあるが、そもそも眼前の宮様は今上帝の弟である。日本人なら答えねば恥とも言えたし、第一そもそも勅令綸旨という形での強制もできただろうに、敢えて説得という手段に出ている彼は、決して権勢に物を言わせる、彼の嫌いな人種とは言い難かった。

「海軍の反対勢力が陸軍主導についてやかましくいうのならば私が相手を致します。どうか思い立ってもらえないでしょうか」

 事実上、海軍のトップ、否、大日本帝国のナンバーツーとでも言うべき存在が喩え中将の位にあったとしても今は最早予備役の自分に頭を下げていた。さすがに、彼も思うところがあったようで、襟を糺して深々と頭を下げ、こう告げた。

「高松宮殿下、こちらこそお願いいたします。この石原莞爾、国のためもうひと腰働く所存です。見事職務をまっとうしてみせます。」

 この極秘会談は高松宮が連合艦隊司令長官に就任した夜、行われたといわれている。


 そして、翌朝のことである。高松宮の今度向かう先は、外務省であった。

 当初、海軍将校が何の用だ、と訝しげにしていた役人連中も人相を見て慌てて襟を糺し始めた。立憲君主制国家といえど、君主の弟という立場の人間に対して何かあれば拙い。そう考えて、あるいはアピールチャンスだと思った者もいたようだが、彼が呼び出した人間は誰もが予想外と言うべき人物であった……・。

「こんな老いぼれを呼び出して何の用ですかな?」

 眼前の人物は、幕末の頃に生まれて数々の外交的奇蹟を成し遂げていた重鎮であった。とはいえ、既に喜寿を超えて傘寿に手が届こうかといった年齢であり、外務省に一応籍こそ置いていたものの、既に名誉職勤務である上に、本日外務省に赴いたのも只単に何か忘れ物でもしたのか、それを取りに来ただけであった。

「今すぐとは言いませんが、イベリア半島に飛んで頂きたい」

「!」

 歴戦の外交官である彼は、その言葉だけで眼前の宮様が何を言いたいのか察知した。ソビエト頼みの終戦工作など土台失敗するに決まっているし、だったら親独中立の国家を講和会議の場にした方が、まだマシであった。だが、問題が一つだけ存在した。それは……。

「……今のイベリア半島には、大国は存在しませんが……」

 大国同士の戦争を仲介できるのは、大国だけである。無論、イベリア半島ことスペインやポルトガルを大国扱いするのであれば別であるが、そんなことは他の列強が許すまい。そう思い、話を振ってみたが、眼前の宮様は歴戦の外交官である彼にも考えの及ばない思考や人脈を以てこれを論破した。

「……スペイン王朝とは、既に脈を得ております。彼らも、おそらくは親独中立である現状を生かしたいのでしょう」

「……スペイン王朝、ですか……」

 欧州は、今も尚貴族ネットワーク盛んな地である。いかに極東の国といえど、彼らの中でも最も長い王朝であるハプスブルクの倍以上を誇り、一時期は孤独の国イギリスと同盟を結んでいた程の君子国である。眼前の宮様は、この国難に於いて使えるもの全てを使い、講和会議を本気でイベリア半島で成立させる気だったのだ。

「……絡繰りは、概ね理解しました。して、誰を派遣するおつもりですかな?」

 問題は、そこであった。誰を外交官として派遣するか。それによって成功難度も変わってくる。だが、眼前の宮様は此方をじっと見つめている。……彼は、最早名誉職の人である。そう、そのはず

「……本気、なのですな」

「はい。……生憎、今の帝国の懐事情を考えたら、「立っている者は親でも使え」と言わざるを得ませんので」

「……はは、ならば、仕方在りませんな。この菊次郎でよければ、皇室に対して最期のご奉公をさせて頂きましょう!」

 斯くて、役者は揃った。他にも高松宮が声を掛けた人材は多数存在したが、概ね大物と呼べるのはこの二人が嚆矢と言えようか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る