「エ」号作戦(前)

「あのくそばかのどあほうが!! あれほど待てと言っただろうが!!

 その「待て」すら出来ぬとは、ヤツは犬以下か!!」

 ~牟田口廉也が勝手に攻勢を仕掛けたと聞いた時の高松宮の怒号を抜粋~


 場面は遡って昭和十九年四月某日、日本軍はビルマ方面の守備に取り掛かった。さすがに高松宮も立場上、当初は陸軍部隊の編成に口を出すのは憚ったものの、ある一報を聞きつけ上述のように嚇怒、越権行為は承知の上でビルマ方面軍司令部に殴り込みに行ったという。

 一方で殴り込まれたビルマ方面軍司令部に居た他の将校は自身のことでも無いのに青い顔をしていたにも関わらず、牟田口のみは責められた本人だというのに反省の色すら見せていなかったという。無論、牟田口は敗戦の責任を取ることとなり更迭、後任には飯田祥次郎が復帰した。

 そして、飯田はまず現状を把握するとレド公路の遮断のみを念頭に置いた「ミイトキイナ作戦」(「エ」号)を発動。作戦要綱は以下の通りであった。

「まず、敵の意図は国民党への援兵、つまり援蒋線の構築である。逆に言えばそれの構築が目的ならば此方から攻勢をかける必要はない。

 補給路の確立及びミイトキイナとマンダレー、そして腕町の三角域さえ維持していれば敵の作戦意図を挫くことができる。

 内地では新型戦車の計画も出ている。諸君はただ持ち場を離れずに、適時補給を受け取り守勢攻撃を行うだけでよい。

 儂は無茶口のような無駄攻めはしない。元来より戦鬪とは守勢のほうが有利。焦れずに敵の攻勢限界を悟れ。」

 簡潔明瞭この上ない作戦である。ヒマラヤ山脈を敵に越えさせて疲弊したところに各守備隊が連携して防衛に当たる。補給は海軍が責任を持って輸送船団を組むという。……かくして、「「エ」号作戦」、通称「ミイトキイナ作戦」は始まった。その作戦要綱は先程述べたとおり「援蒋ルート構築の妨碍」が骨子であることにより飯田は撤退命令を発令。当初は牟田口が広げ過ぎた戦線を縮小し再整理するための銃声粛々とした撤退戦であり、イギリス軍他の連合軍将兵は「遂に日本軍も力尽きたか」と嗤い合ったという。……だが……。

 連合軍が真に震撼したのはその防衛線に触れた時である。生き残ったイギリス第33軍団第2歩兵師団師団長副官の老大尉は後に証言する、「あれはまさに「ヒマラヤ山脈全ての山が噴火したかのような情景」であった」と語る。

 飯田中将が命じた作戦は唯一つ、「防衛線に触れる敵兵全てを鏖殺せよ」。すなわち各部隊に任せた防衛線に敵軍が触れたときに火力を一点集中するというものだ。無論、それが二点、三点と増えればその分火力の密度は弱まるのだが、飯田はどこからか「ある情報」を仕入れており、それによれば現状に於いて、イギリス軍を中核とする連合軍部隊が全面攻勢に出ることはできないという分析であった。そして、さらに念には念を入れる形でイギリス軍インド師団にはチャンドラ・ボース率いるインド国民軍が調略に当たった………。

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