指輪

ひなみ

第1話

 夜半よわの月が雲の合間から煌々こうこうと一邸の屋敷を照らしている。

 吹き荒ぶ風はひゅうひゅうと鳴きながら、その周囲に鬱蒼うっそうと生い茂った草木を揺らす。

 屋敷内の大広間には赤い水溜りが点在し、あちこちに散乱した枯れ花がそれらを彩る。

「姫よ」

 黒衣に身を包んだ銀髪の男――ライナスがどこからともなく姿を現した。

「ええ、待ちかねたわ王様。では早速踊りましょう?」

 紫のドレスを身に纏った女リコリスが、柔らかな表情とともに桜色の唇を動かすと艶のある赤い髪が揺れた。

「この時をって、貴様の人生の幕引きとしようではないか」

 ライナスは緩慢かんまんな所作で腰元の鞘から黒剣こっけんの刀身をあらわにさせ、対峙するリコリスは自らの両腕にいばらを巻きつけた。

「言う事だけは大層ご立派ね。けれど安心して。後顧こうこうれいのないよう、きちんと殺してあげるわ」

 次の瞬間、ライナスの携えた黒剣はリコリスの心臓を貫く。

 同時にリコリスの放った茨がライナスに巻きつき、全身からはおびただしい量の鮮血が舞った。

 両者はたおれるも、すぐさま元の形を取ると自らの血だまりの上に立つ。

「ふふ」

 リコリスは場におよそ似つかわしくない微笑びしょうを浮かべ、

「何を考えている」

 片やライナスからは一切の感情を読み取る事ができない。

「あなたには理解の及ばない事よ?」

「だが、知らずとも良い事だ」

「あなたはいつもそうね」

 枯れ花を蹴散らしながら二つの影は躍動を続ける。

 だが互いに腕や脚を切り飛ばし、果ては頭を潰しても終わる気配はない。

 不死王ライナス毒姫リコリスの、毒姫が不死王の存在を認識してからはや五百年余り。

 どちらからともなく始まった、不死者同士による自らの魂に刻まれた孤独を終わらせる為の戦い。

 それはこれまでと同様永遠に続くものと思われた。

「頃合ね」

 真紅となり血のしたたるドレスをひるがえし、リコリスは動きを止め呟く。

「おい、何を企図きとしている」

「だから、あなたには理解の及ばない事よ」

「だが」

 ライナスはリコリスが動き出すよりも前に、黒剣を彼女の心臓に深々と突き立てる。

「――知らずとも良い事だ」

 体から得物をずるりと引き抜くとすぐに異変に気付いた。

 リコリスの姿は元に戻っておらず、様子をうかがうも彼女からは次第に色が失せていく。

 ライナスは刀身を鞘に収め、見下ろしたまま尋ねた。

「なぜ灰になる……。この説明をつけろ、リコリス」

「あら、知りたいのかしら? けれどあなたにだけは教えてあげない。いい気味だわ、ライナス。あなたはけっして解けない秘密を背負ったまま、この先も一人生きていくのだから」

「何を勝手な真似を。巫山戯ふざけるな」

 ライナスが言葉を吐き捨てた刹那、鈴を転がすような笑い声を響かせ、かつてリコリスだったものは霧散むさんしていく。

「貴様ならばと思っていたのだがな」

 ライナスは音もなく屋敷から姿を消し、その直後リコリスの消えた場所には紫色に輝くものが一つ落ちた。


 あれから二百年の時が経ち、ライナスはアラトゥスという国に居た。

 彼は素性を明かさず、どの勢力にもくみしない事を信条に人間達の中に溶け込んでいた。

 それは、戦闘地域に属するとある町に立ち寄った時。

 地べたに座して忍び泣く小さな姿に興味を引かれ、赴くままに声を掛けた。

「娘は何故涙している」

「皆、あいつらに殺されたから」

 彼女は握った短刀を震わせる。

「お前はそのもの達が憎いか」

 顔を上げ頷いた少女はあのリコリスと瓜二つの顔をしていた。

 瞬間ライナスは言葉を失いながらも、

「殺したい程の憎悪なら共に来い」

 背を向けて言葉を放つ。

 少女は奇しくもリコと名乗った。

「これはとむらい合戦だ。よく目に焼き付けておけ」

 黒剣と短刀を手に、黒衣をひるがえしライナスは夜の影に潜む。

 相手は十指じっしに余る程の敵。

 増援に次ぐ増援は苛烈かれつを極める。

 一気呵成かせいの軍勢に対するは孤立無援の二刀。

 だが凄惨せいさんに心臓を潰されようとも、四肢をがれようとも。

 五度いつたびに渡るよみがえりを果たすと、ついにはものどもすべての首をねた。

「達者で暮らせ」

 屍の山を積み上げたライナスは、月の光と返り血を浴びながら立ち去ろうとする。

 だがリコは彼の脚からけして離れない。

「行くところがない、か」

 ライナスはリコを連れスヴェンと呼ばれる国に移った。

「パパ、遊んで!」

 弔い以来、彼女が子供らしく振舞うようになると、

「俺はお前の父親ではないと言っているだろう」

 ライナスは渋々付き合ってやる事が増えた。

「パパってどうして笑わないの?」

「俺からはいつしか感情が失せてしまった。リコよ、笑うとはなんだ」

「じゃあ教えてあげる。これが『楽しい』だよ」

 リコはライナスの手を握ると微笑んだ。

 ある日ライナスはリコの所望していた玩具を手渡した。

「これが欲しかったのだろう」

「ありがとう、パパ!」

 大はしゃぎをするリコ。

「それが『楽しい』か」

「ううん、これは『嬉しい』だよ!」

 うして五年、十年が経つ。

 リコの背丈や髪は伸び顔立ちはすっかり大人びていた。

 もはや誰かに怯え、ライナスの背後に隠れていた頃の面影を感じさせない。

「私、パパの生まれた場所に行ってみたいの」

「何もないつまらん場所だぞ」

「それでもいいからお願い。だめ?」

 ライナスはいつからか、彼女の願いを際限なく聞き入れるようになっていた。

 だが舞い戻るも根城ねじろにしていたハイネルの城は跡形もない。

「仕方がないな」

 悲しむリコの手前、彼は久方ぶりにリコリスの屋敷へ向かった。

「酷い有様だ。お前はここで待っていろ」

 朽ち果て瘴気しょうきが充満し、果ては異形いぎょうの怪物が闊歩かっぽしている。

 屋敷内は並の人間には耐えられない環境になっていた。

 ライナスは一度天を仰ぎ、一息吐くと襲い来る異形を片すべく黒剣を振るう。

 その最中さなか紫色に光る指輪を拾い上げ首を傾げた。

「これよりこの屋敷をお前の根城としよう」

 瘴気の去った後リコを招き入れ告げる。

「でも、誰かが住んでたんじゃないのかな?」

「元の主人とはふるい知り合いでな」

 くして二人は新たな生活を開始した。


 屋敷に住み始めて二年。

 あれからライナス達は大事無だいじなく暮らしている。

 ライナスはリコに読み書きを教えるべく専属の人間を雇った。

 料理、庭仕事、編み物。

 彼女が趣味と言えるものを見つけていくにつれて、共に過ごす時間は目減りしていった。

「パパ、どうしたの?」

 夕餉時ゆうげどきリコは首を傾げる。

「大した事ではないのだが、恐らく俺は『寂しい』のだろうな」

「大丈夫だよ。これからもずーっと一緒にいるから心配しないで?」

「ほら、足りないだろう」

 ライナスは何も応えず自らの食事をリコに差し出した。

 翌日、買出しにと街まで行くリコを見送り

 一人となったライナスは書斎にて時を過ごしていた。

 しばらく経ち、彼は机の下の異変に気付くと床板を外す。

 出現するは地下への階段。

 階下の最奥には扉が見える。

 冷えた空気の中あゆみを進める。

 ライナスの表情は険しく変貌を遂げる。

『ええ、待ちかねたわ王様。では早速踊りましょう?』

 紫のドレスを身に纏ったリコリスが、柔らかな表情とともに桜色の唇を動かすと艶のある赤い髪が揺れた。

「貴様、生きていたのか」

 ライナスは素早い所作で腰元の鞘から黒剣こっけんの刀身を顕にさせ、対峙するリコリスは自らの両腕にいばらを巻きつけた。

『言う事だけは大層ご立派ね。けれど安心して。後顧こうこうれいのないよう、きちんと殺してあげるわ』

 次の瞬間、ライナスの携えた黒剣はリコリスの心臓を貫く。

 同時にリコリスの放った茨がライナスに巻きつき、全身からはおびただしい量の鮮血が舞った。

 両者はたおれるも、すぐさま元の形を取ると自らの血だまりの上に立つ。

『ふふ』

 リコリスは場におよそ似つかわしくない微笑びしょうを浮かべ、

「何のつもりだ」

 片やライナスは苛立った様子で言葉を投げた。

『あなたには理解の及ばない事よ?』

「まだそれを言うか!」

 ライナスはリコリスが動き出すよりも前に、黒剣を彼女の心臓に深々と突き立てる。

 だが、心付いた時にはその姿は目の前から失せていた。

「リコリスよ。亡霊なきものとなってもなお、お前はこの俺を苦しめるか」

 深く溜め息を吐くと扉を開けた。

 恋愛小説ひしめく本棚。

 化粧品ばかり置かれた鏡面台。

 紫色のドレスが整然と並ぶ収納庫。

 彼はそれらに一切目も暮れず机上きじょうにあるものを見つけた。

「何故だ……」

 仏頂面のライナスの隣でリコリスが微笑んでいる。

 風化した額縁には出会った頃唯一撮った写真が飾られていた。

 それが倒れた途端、机からはアメジストの指輪が床に転がっていく。

『不死者は大事な者の存在を認識した時、再生能力を喪失する』

 そのページが開かれたままの本を、ライナスは一瞥いちべつすると部屋を後にした。


「お前はうに気付いていたのだろう。俺が化け物だと言う事に」

 夕食後、ライナスは洗い終えた食器を渡す。

「昔から見た目が変わらないのは不思議だったよ。でも、それが私のパパなんだよね?」

 隣で受け取ったリコはいつにも増して明るく微笑んでいる。

「ああ。お前はいつまでも俺の自慢の娘だ」

 ライナスはリコの頭を優しく撫でた。

 翌日、リコへの贈り物を求め街に出たその帰り。

 正面から何者かが真っ直ぐ向かってくる。

「やっと見つけたぜ。覚悟しやがれ、親父の仇!」

 その男はアラトゥスで戦ったもの達と同じ服装をしていた。

「貴様、まさかあの時の……!」

 互いに武器を構えまるで波のように受けては返す。

 激しい打ち合いの末、ライナスが黒剣をぐと男は断末魔を上げて絶命した。

 だがそれと時を同じくしてライナスも致命傷を負う。

 折れた黒剣の破片が放物線を描き、深々と地面に突き刺さる。

 持っていた花束は散り散りになってしまい、拾い上げる事はもう敵わない。

「なるほど、もはや再生はしないか」

 彼は血の跡を点々と残しながら死に物狂いで屋敷に戻った。

「どうしたのその怪我!」

 出迎えて早々リコの顔は青ざめた。

「少し横になりたいんだ」

「早くお医者様に診てもらおう。ね?」

 体を揺らすリコを制し、

「いいんだ。これは誰にも治せはしない」

 ライナスは大広間のソファに転がり込んだ。

 リコはただただ彼の手を握り締める。

「リコ、誕生日おめでとう」

 まさぐった衣嚢いのうからは花弁が一片ひとひら落ち、ライナスは息も絶え絶えに何かを握らせた。

「ありがとう」

 リコは涙を浮かべ震える声で頷いた。

「さて、頃合だ」

「だめだよ、パパ」

 何かを察しリコはかぶりを振る。

「長らく待たせたな。そちらでも派手にり合うとしようか」

 ライナスは天に向けて穏やかな言葉を放ち、

「お前だけは幸せになってくれないか」

 リコの頭を優しく撫で覗き込む。

「……最後に顔をよく見せるんだ」

「お願い、私を置いていかないで」

 ライナスの頬には一粒二粒とリコの涙が落ちる。

「先の事はすべて手配してある。別段俺が居なくとも」

「そうじゃないの。これが『悲しい』なんだよ」

 リコは頭を振って答えた。

「そうか、あの時感じたのはあるいは……」

 ライナスのまぶたは閉じていく。

「だめ!」

「看取られるというのも、存外ぞんがい悪くはないな」

 口元が緩む。

 目尻から雫が伝う。

 糸が切れたように握った手が離れる。

 泣きじゃくるリコを残したまま、ライナスは千年余りの生涯を閉じた。


「あのね、私。お友達がいっぱいできたよ。それからいい先生にも出会えたよ。あとこれは誰にも秘密なんだけど、好きな人もできたんだ」

 あれから一年が経つ。

 リコの屋敷の周囲は色取り取りの花が咲き誇る景勝地けいしょうちとなった。

 これまで植物が育たず殺風景だった屋敷内は花で彩られ、訪れる親しい面々の目を楽しませている。

 敷地内の霊園に一人。

 リコはライナスの墓前に佇み、彼の知らない話を聞かせるのが日課となった。

「そうそう。夢の中にパパの事が大好きなお姉ちゃんが出てきてね、私にありがとうって言うの。でも、これだけはお揃いのものだから返して欲しいんだって」

 リコは手向けられた花々の真ん中辺りを空け、死に際に受け取ったアメジストの指輪を大事そうに置くと立ち上がった。

「私、パパの言ったとおり幸せになったよ。またお話しようね!」

 彼女はまるでライナスがすぐそこに居るかのように手を振り、元気よく駆け出していく。

 直後、その背中を押すように一陣の風が吹いた。

 雲一つない青空のもと、日の光を受けて彼の墓はいつまでも輝いていた。

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指輪 ひなみ @hinami_yut

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