第9話 狭間のロンド 2

 ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。


 規則正しく響き渡る音で俺は目を覚ました。


 そういえば、誰かに呼ばれた気がして隣を見たが、大きい黒リュックと飲みかけのラムネと書かれたビンだけで、誰もいない。


「え?」


 そんな状況に驚いた俺は思わず立ち上がり、辺りを見渡した。そこはどこかノスタルジックな雰囲気を感じさせ、年季の入った琥珀色の木目調の壁が目に飛び込んで来る。


――ここどこ? 列車っぽく見える。


 一定方向に並んでいる椅子が写真や動画で見かける列車の特徴と似ている。俺が知っている知識と同じく、景色が少しずつ変わっていった。ただ、窓といったものはなく、直接、風が入り、規則正しくガタン、ゴトンと音を立てていた。


 俺はそんな状況に混乱している。なぜ列車に乗っているか、訳わからないままなのだ。もしかしたら、さっき見た変な夢のせいなのかもしれない。暗闇に俺はいた。それは、奥行きがない不思議な場所で……。そういえば最近、根詰めてたっけな。そう、久々な作業だったから、色々と試行錯誤していた。俺の………。


 そんなことを思い巡らすと、近くから予告なく固く割れるような音が聞こえる。



 カラン、カラン、カラン、カラン。



 予想外の音に驚いた俺は、音がした方向を見た。すると、さっき見たときにはいなかった少年がうずくまるように隣の席の床に座り、飲みかけのラムネのビンを両手で持って振り回していたのだ。


「なあなあ、このラムネってやつ、不思議だね。玉んから泡が出ているよ」


 俺は突如現れた少年に衝撃を受けた。こんな少年、知らない。しかも、馴れ馴れしく話しかけてきやがる。もちろん、こんな少年に優しく子守りをするつもりなど、ない。一刻も早く立ち去って欲しい。当然、厳しく対応だ。


「坊主、何やってんだ! ママのところに帰りなさい」

「ママ? ママ、いないよ」

「ママがいないなら、パパは?」

「いないよ」


 俺の意に添わず、この少年に苛立いらだちを感じずにはいられない。


 そんな俺の苛立いらだちをよそに少年の姿勢は変わらず床に座り込み、面白そうに時々カラン、カランと鳴らし、ラムネのビンを見つめている。


――やっぱり、無理だ。何としてでも追い返そう。


 少年のマイペースさについていく気にもなれず、少年が出ていける理由を見つけ出そうと画策かくさくする。


「だったらお家の人は? 誰かと一緒に来たんだろ?」

「お家? …………ラムネ君、何言っているの?」

「うぇ、……ら、ラムネ君⁉︎ …………もしかして俺のこと?」


 突拍子とっぴょうしもない少年の発言に俺は狼狽うろたえた。


 そんな俺の態度に少年は不思議そうに見つめている。よく見ると両手がお留守で、持っているラムネのビンが落としそうだ。俺は床に落として割れたビンの欠片を拾うとか、漏れ出た液体を拭いたりという世話はしたくない。


――こうなれば、強行突破だ。


「なら、これは俺のだな」


 ラムネ君と呼ばれたことを良いことに、俺は少年が持っているラムネのビンを無理やり取り上げたのだ。


 当然、少年は不満げな顔で「あ゛〜」とわめいていた。そんな表情する少年に俺はイタズラ心が動き、少年の手が届かないであろう高さでラムネのビンをカラカラと鳴らしてみた。すると、思わぬ言葉が飛び出した。


「子どもだ、おじさん…………。あ、いっけない」


 俺は非常に腹が立った。子どもに子どもって言われ、瞬間的に頭をひっぱ叩こうとしたけど、寸前に止めた。それ以上に少年の表情が変に気になったのだ。それは怒られるという怯えではなく、何か変なことを言ったと慌てて口を両手で塞いでいるのだ。そんな様子に俺はおかしなものを感じ、少し前のことを思い起こし、ピンとくる言葉があった。そして、少年の顔にグッと近づき、そのことを聞いた。


「坊主。なんで、おじさん、いけないんだ?」


 当たりらしく少年の口を塞いだ両手は外れ、目線を俺に向けた。けど、言っていいのか迷っているらしく、すぐ目線を床に向けた。これでは答えそうにないと思った俺は、持っているラムネのビンを少年の近くでまたカラカラと鳴らした。すると、少年は手を伸ばし、ラムネのビンを取ろうとする。当然、俺は少年に渡すつもりはなく、少年の手に届かないほどの高さまで上げた。釣られるように見上げた少年は、むくれていた。


「その顔は俺のこと、子どもって思ってんだろ。俺、大人だからそんなん気にしない。何だったら、おじさんって呼んでもいいぞ」

「それはいけないって、お母さんが。だって、お母さんが人のことをおじさん、おばさんと言っていけませんって」

「え、お母さん? さっき、ママはいないって言っていなかった?」


 またも少年が間髪をいれず言った言葉についていけず、混乱した。お母さんとママ、どこが違うんだと考え込んでしまったからだ。そんな様子を見た少年は面白そうに見つめた。


「あ! ラムネ君。やっぱり子どもだ。大人は感情を滅多に見せないって、お父さんが言っていた」

「あ~、そうかい。勝手に言ってろ。俺は一生、子どものままさ」

「ふ〜ん」


 胡散うさん臭そうに俺を見つめる少年に、どこか俺は心地よさに感じ始めた。何度もやり取りしていくうち、予想外のことを言う少年に面白さを感じたのだ。


「そんな大人、見たことがない」

「坊主、知ってっか。男ってのは一生、少年の心を持ち続けるんだぞ」

「……言い訳? この前、お父さんがそんなことを言ったら、お母さんがそんな言い訳、許しませんって言ってた」


 俺は思わず笑ってしまった。少年の家庭の事情が透けて見えるようで、おかしかったのだ。


 そんな俺に不思議そうに少年は見つめていた。


「言い訳か。坊主ん家のママ、言うね」

「ママ? ママじゃないよ、お母さん。僕、お母さんから、これからはお父さん、お母さんと呼ぶようにって」

「ああ、そう」


 ひねくれ素直な少年。変なところで素直に受け取る少年に気に入りつつある俺は、残してきた二人の子どものことを思った。こんな感じに成長しているのだろうか、と。押し付ける形に出て行った俺にとって、子どもは罪悪感の塊だ。


 この少年とはそんな罪滅ぼしとは程遠いかもしれないが、この中だけの関係でも悪くないと思い、さっき座った窓際に座り直すと、ラムネのビンを席の端に置き、隣にある大きい黒リュックを俺の足元に置くと、少年は当然のようにさっと座った。そんな図々しい少年に、俺は密かに苦笑した。

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