第8話 狭間のロンド 1

 ここは夕暮れの赤々とした日差しが入るマンションの一室。ここの住民、アリスは燃えるように頭を回転させている。なぜ燃えるように頭を回転させているかというと、ついさっきまでの出来事を報告書にまとめているからだ。


 今もアリスはスクリーンに向かい、ウンウンとうなっている。


 このような報告書はAIで簡単に完成できるのだが、そうならない事情が出たからだ。それは、AIで『整合せず』という判定が出たためである。この理由は、通常のデジタル変換の報告書のみをAIで学習したためであり、これ以外は論外なのだ。何しろ、アリスが体験したのは、心停止の患者(死体)であるアオキ・ヒュウガをデジタル変換した後に依頼主の意思で消去したことであり、今までのオーテッドの活動内でもないに等しい。もちろん、無理矢理作ることも可能なのだが、どこかが中途半端な報告書ができてしまうのだ。


 このような報告書の場合、複数往復する可能性がある。後日対応の可能性の見極めであったり、オーテッドの組織内で共有する参考資料を作るためだ。


 ただ、アリスにとってこんな付き合いは嫌なので、一回で終わるような文章をひねり出そうとしている。


 そんな様子をハジメは、いつもいる水色のソファークッションから冷ややかな目で見ていた。


――どうやっても一度で終わらないぞ。さっさと書いて送り、返って来た内容を見て悩んだ方がよっぽど建設的だろ。


 とハジメは思っていた。というより、思っているだけにした、の方がより正しい状態といえる。そんな状態になった理由は、数分前にさかのぼる。


 ハジメは「どうやっても一度で終わらないぞ。さっさと書いて送り、返って来た内容を見て悩んだ方がよっぽど建設的だろ」とアリスに言ったら、「それでも一回で終わらせたいの」と怒られたからである。


 そんなことがあり、ハジメは黙ることにしたのだ。


 アリスは未だにウンウンとうなり続けており、ときおり端末の隣に置いてあるクッキーの袋に手を伸ばしている。


 今は報告書よりクッキーを食べる方が進んでいる。そんなことでハジメは突っ込むことはしない。このあと、数分前と同じく怒られる予測がハジメでもできるほど、様子が変わっていないだからだ。


 ずっと黙っているより何か有意義なことをしようとハジメは考えていたとき、『やることリスト』として記録したものを思い出した。


――アオキ・ヒュウガの記憶見直し。


 これをやることリストとして記録したことには理由がある。それは、三日かけてデジタル変換をやったときに漏れ出た記憶の一部を見たからである。その記憶は背後に何かあると思わせる内容であったからだ。


 そして、ハジメはアリスの様子を改めて見た。ウンウンとうなり続けたまま、終わる気配すらない。それならば、その記憶をもう一度呼び出して整理したほうがいいと判断し、準備を始めた。これは近い未来、アオキ・ヒュウガという人物に深く関わるとハジメは予想しての行動ともいえる。


 そして、ハジメは漏れ出た記憶を呼び起こし、整理していく。


~ ~ ~


――動けない。見えない。ここどこ?


 俺は色んなことを思いつくが、すべて消えていく。それは、目の前にいる俺と同じ見た目からの声が半拍早く話すからだ。「動くな。見るな。知るな」と。


 そんなもう一人の俺の存在に俺は気持ち悪さを感じ、その人に向けて叫んだ。


「だったら何なんだ? お前は誰だ?」


 もう一人の俺は聞こえていないのかさっきと変わらないまま立ち続け、俺の声は何処かへ吸い込まれるように消えた。その状況に俺は不思議なものを感じ、辺りを見回した。


 周りは何もなく暗闇。こんな場所、俺は知らない。物などなく、奥行きを感じさせないとは……。ましてや、行くまでの記憶などなく、気がついたらここなんて、ありえん。絶対、何かあったに違いない。それを探るため、その前にあったことを思い起こす。


 確か、珍しい炎が見られる場所に向けて移動して、足を踏み外し……、もしかして、谷底かここ?


 そう思った俺は首を左右に振ろうとするが、さっきと変わらず暗闇のままだった。


――ありえん。


 そう思ったとき、微かな声が俺の耳に入る。


「ヒュウガ。ヒュウガ」

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