20230227
今は朝7時40分を少し過ぎたところだ。今朝は天気がよく、この分だと花粉も多く飛ぶのかもしれないと思わさせられる。僕はマーヴィン・ゲイの音楽を聴くことで朝の自分の調子を整える。この時間を僕は苦手に思っている。まだ1日が始まったばかりでどう転ぶかわからないので、不安ばかりが膨らんでしまうからだ。焦ることはないと思い、日課となっているシャワーを済ませて昨日着た服を洗濯機にかける。その後、朝食を摂りWhatsAppをチェックして僕が眠っている間に誰かニュースやmemesを投稿していないか確かめる。今日はどんな1日にしようか……読む本はどうしようかとあれこれ考える。マーヴィン・ゲイは「何が起きているんだ?」と歌っている。「ホワッツ・ゴーイング・オン?」
自分の中にあるものを外に書き出すこと。それをこの日記(?)では続けたいと思っている。でも、朝の時間帯になると逆に僕は驚くほど自分の中に何もないことに気付かされる。眠っている間に考えが頭の中で消化されてしまったのだろうか。今は本当に空っぽだ。朝の爽やかな目覚めから、例えば僕は池澤夏樹『マシアス・ギリの失脚』という作品が同じく朝を始まりに据えて語られることを思い出しそれについて書きたいと思う。でも、頭の中にその物語の記憶はかけらもない。本は実家に置いてきたので参照するわけにもいかない。かくして僕は千日手の状態に陥り諦めることとなる。音楽をジョージ・ベンソンに変えて、さらに何か出てこないか自分の中を探る。でも出て来ない。
そうしたすっからかんの状態からこそ出てくるものがあるのかもしれないと、深く深く自分自身を絞ってみる。ふと、音楽をピチカート・ファイヴに変えてみる。「陽の当たる大通り」なんてどうだろう。どこかダスティ・スプリングフィールドを思わせる(と感じるのは僕だけだろうか)優美なメロディに載せて野宮真貴が歌う。「死ぬ前にたった一度だけでいい 思い切り笑ってみたい 陽の当たる大通りを 口笛吹いて 歩いていく」。いい曲だ。こんな曲を聴くと頭の中に初期のゴダールの映画のような、男と女が居る風景が思い浮かぶ。またゴダールの映画に親しむのもいいかな、と思う。『女と男のいる舗道』なんてどうだろう。あるいは今日外に持って出る本は小西康陽『わたくしのビートルズ』などいいかもしれない、と思う。
僕の中にある記憶や着想は、外側にあるさまざまなアイテムと深く関わっている。例えば戯れにSpotifyで流す音楽(それは今日のようにソウル・ミュージックであったりシティ・ポップであったりする)。逆に言えばそうして外側に存在しないものと僕の心の中の思いはリンクすることがないので、何も出てこない。そんなことを思うと僕は改めて自分の不思議について考えさせられる。僕の外側にある現実は、当たり前だが誰かが作り出す現実でありある意味では僕の都合を無視して進む現実でもある。その現実の中に僕は自分の身を投じて、いわば村上春樹言うところの「コミットメント」を行う……そんなことを僕はこうして文章にしたためる。さて、今日はどんな1日が待っているのだろう?
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