犬のマルチ

毛玉とマルチの二匹を抱きかかえて歩くこと数分、村のほうから誰かが歩いてくるのが見えた。


「あれ?おじさんだ。おーい!」


手は塞がっているから大声でおじさんへと呼びかける。

どうやらあっちは茜に気が付いたようで、大きく手を振っているのが分かった。

彼らの元へ走り出そうとしたが、疲れと両腕に抱えている毛玉とマルチの重さで走れず早歩きが精いっぱいだった。


「おじさんも来てたんだ」

「そりゃあ君たちが心配だったからね」

「心配してたっていう割に、ずいぶん遅かったじゃん……」

「ごめんね。村の人たちに助けてもらおうと声かけてたんだよ。……今回は研究機材は持ってきたけど、身を守る物は一切持ってこなかったからさ」


おじさんの後ろを見ると、少し遅れて十数人の村人たちがその手に大小様々な種類の銃を持ってついてきていた。

その中には今日話を聞いたペットの飼い主の姿もあった。

きっと彼らも茜のことを心配していたのだろう。茜の無事が分かるとすごく喜んでいる。




「もうちょっとで晩ご飯だから、土とかで汚れた毛玉とマルチは洗っちゃわないと」

(ササッと終わらせてくれよ)

「毛玉が暴れなければねー」

(ボクってそんなに汚れてます?)

「洞窟の中にいたから汚れてると思うけどね。ほら、一緒に洗うからシャワールームに行くよ」


「――うん。綺麗になったかな。あとは乾かすだけだから」

(もう洗い終わったのか?)

「そうだよ。汚れてたけどすぐに落ちたからね」


まず最初に洗ったのは毛玉から。

汚れているとはいえ、汚れの大半は土埃によるものだったから、シャワーで洗い流すだけで済んだ。


「よし終わりっ!毛玉はあっちで待ってて。……それじゃあ次はマルチの番だよ」

(はーい!)

「念のため聞くけど……マルチの毛って元からその色なの?」

(そうですよ。ボクのいた国では人も犬もみんな緑色だったんです)


マルチの汚れが毛玉と同じく土埃だけならシャワーだけでいいのだが、マルチの毛の色は緑色をしていた。

今まで一度も緑色の毛をした犬を見たことがないから、茜の目には汚れているようにしか見えなかったけれど、どうやら違うらしい。


「――マルチの毛の色ってほんとに緑だったんだね」


シャワーで洗い流すだけでなく、シャンプーもしてすっかり綺麗になったマルチ。

しかしその毛の色は緑色のままだったので、マルチの言っていたことが本当だったとわかった茜は目を丸くした。


(やっぱり信じてなかったんですねっ)


さっき説明した時に信じてもらえなかったからなのか、むすっとした顔をしている。どうやら拗ねているみたいだ。

そんなマルチを見た茜は笑いながら優しく拭いていく。




晩ご飯の時間になり、毛玉とマルチを連れて食堂へと向かった。


「よっ、よく食べるね……そんなにお腹が減ってたの?」


マルチは用意されたご飯をすごい勢いで食べ進め、誰よりも速く食べ終わっていた。

しかしそれだけでは足りなかったようで、おかわりもしたが食べる勢いは変わらず、すぐに食べきってしまった。

それを横で見ていた毛玉は食べることも忘れていたようだ。


(そりゃあ減ってますよ!洞窟の中だと食べられる物も少なかったですから……。それに美味しいのでいくらでも食べられそうです!)


まだ食べる余裕があるのか……と、口には出さなかったが、信じられないと言わんばかりにマルチの小さな体をジロジロと見ていた。

するとマルチも茜の方――主に茜が持っているフォークや口元を見ている。


(さっきからすごくいい匂いがしてるんですけど……茜さんは何を食べてるんですか?)

「私が食べてるのはステーキだよ。見せてあげるからちょっと待ってて」


皿にあるステーキを一口大に切り分けたのをマルチに見せる。

そして茜がステーキを切り分けているときも、マルチが期待のこもったような目で見ていることに気づくことはなかった。


「これがステーキだよ。美味しそうでしょ?」

(…………)


茜の問いにマルチは何も答えなかった――いや、答えなかったというよりかは、ステーキに夢中で茜の声が聞こえていなかったというべきだろうか。


「……すっごい食べたそうに見てるけど、食べたいの?」


あれだけ食べたからお腹はいっぱいだろうに、あまりにも食べたそうな顔をしていたので、つい聞いてしまった。

ステーキを見せた時のマルチの顔を見たとき、何の反応もしないことに食べ過ぎで調子でも悪くなったのかと心配したけれども、マルチの目を見たらそうでないことがすぐにわかった。

マルチの目はキラキラとしていて、茜の持ったフォークに刺さっているステーキにくぎ付けだったからだ。


(えっ!いいんですか!?)

(あれだけ食ったのに、まだ食べる気なのか……)

「でも、いっぱい食べてたから少しだけだよ?」


すこしとは言え、あれだけ食べたのにまだ食べようとするマルチに毛玉は驚くことはなく、ただ呆れたような目つきをしている。

その間にマルチの口のサイズに合わせた大きさに切ったステーキを皿に置いた。


「はい。食べても――うわっ!誰も取らないから、もう少し落ちついて!」


そしてその皿をマルチの方へと移動させようとしたのだが、それよりも速くマルチが皿に頭を突っ込んで食べている。


「みんな食べ終わったみたいだし、そろそろ戻ろっか」


茜が椅子から立ち上がり、それに続いて床で寝転んでいた毛玉も起き上がった。

だがマルチだけは床に伏せたままで、起き上がることも立ち上がりもしない。


「マルチ大丈夫?食べ過ぎで気分が悪くなっちゃった?」


微動だにしないマルチを心配した茜は床に膝をついて話しかけた。


(た、食べ過ぎて動けないだけです……)

(食いすぎるなよって注意してたのに、あれだけ食べてんだから動けないに決まってるだろ……で、どうすんだ茜。こいつ動けないみたいだけど)

「どうすんだって言われても、部屋に連れて帰るに決まってるじゃん。……ちょっと重そうだけど、抱っこするしかないよね」


たくさん食べてちょっと重くなったマルチを優しく抱えて部屋へと戻った。




「そういえば、私たちと一緒に来るってすぐに決めちゃったけど、マルチはそれでよかったの?」


茜と毛玉が日本へと帰る日の朝、自分のリュックに荷物を詰めながらマルチに質問をした。

マルチの今後のことを決めるときイギリスに残るのか、地下にある国に戻るのか、それとも茜たちと一緒に来るのかといった選択肢を提示されたマルチは迷わずに茜たちと行くことを選んだ。

その決断があまりにも早かったから、本当にそれでいいのかと茜は確認したかった。


(ボクはそれで大丈夫です。それに、元居た国には戻るつもりはなかったので)

「ふーん……マルチがいいって言うなら別にいいけどね。――これで準備も終わったし、そろそろ出発するよ。毛玉もベッドに寝っ転がってないで行くよ」


飛行機までの道中、車に乗っていたのは茜と毛玉とおじさんと運転手、そして新たに加わったマルチだけ。

そのため来た時と比べて車内は静かだった。


「えっと、マルチはこれから研究所うちに来るんだよね?」

「そうだけど……やっぱり勝手に決めたのはダメだった?」


おじさんがマルチの話をし始めたとき、茜はひやひやしていた。

マルチが研究所へ行くことをおじさんがいない場で勝手に決めたからだ。


「いや、別にダメとかはないよ。ただいくつか聞きたいことがあるんだ」

「マルチに聞きたいこと?」

「そうだよ。マルチが普通の犬なら緑色の毛をした犬って説明をするだけでいいんだけど、マルチと初めて会った日――岩の巨人と戦った日にマルチが超能力みたいなのを使っていたって聞いてるからね」


おじさんが聞きたかったのはマルチが使った超能力についてらしい。

そして彼はマルチの目を見てこういった。


「これからマルチにはいくつかの質問をしたいんだけどいいかな?」

(ボクに聞きたいことですか?なんでも聞いてください!)


マルチはおじさんに向かって元気よく返事をしたけれど、残念ながらおじさんにはそれが良いのか悪いのか分からず茜を見る。


「マルチはいいって言ってるよ」

「それならよかった。じゃあ早速始めよう」




おじさんがまず最初に聞いたのはマルチの超能力のことではなく、マルチがどこから来たのかだった。


(ボクはここの下にある国から来たんです。でも追い出されたって言う方が正しいかもしれないですけど……)


(岩の巨人ですか?あれは黄金図書館への通路に配置されてるゴーレムですね。地上に出る道を間違えちゃって追われてたんです)


冒険ものの本や映画をよく見る茜にとって、黄金図書館という言葉にはとても興味をひかれた。

けれども、おじさんは黄金図書館をマルチに追及することはなく、驚くといったような反応を見せることもなく、手元の手帳に書き込んでいる。


――そしてマルチへの質問は飛行機に乗ってからも続いた。


(ボクが使ってた超能力……ですか?えっと、ゴーレムに使ったやつは……物を持ち上げたり、体を重くしたりできるんです)


絶えず続く質問の通訳に疲れた茜はこっくりこっくりと舟をこぎ始め、数分後には眠ってしまった。

一部始終を見ていた毛玉は反省しろと言わんばかりに、おじさんの足を何度も小突いている。そしておじさんも質問をしすぎたと自覚があるようだ。




「ん……私、寝ちゃってたんだ。どのくらい寝てたんだろ」

(――起きたのか。結構寝てたぞ)

「ほんとだ。もうちょっとで日本に着くんだね」


目を覚ました茜は隣の席にいた毛玉の話を聞いた後、正面にあるモニターで残りの時間を見ると、到着まで残り約三時間ほど。

外の景色でも見ようかと窓の方を見ると、マルチが窓の外を見ていた。


「ずいぶん熱心に外を見てるね。やっぱり地下とは全然違う?」

(そりゃもう全然違います!ボクが居た国だとこんなに明るくはないんです。地上だとお日様が沈むくらい――夕方くらいの明るさがずっと続いてるんですよ)

「ずっと……ってことは昼間はあんまり明るくないんだね。それに夜は寝づらそう」


窓の外を見ながら地下と地上の違についてマルチと話をしていると、飛行機は着陸態勢に入った。


「やっぱりマルチは目立ってるね」

「そりゃあ毛が緑色だし、目立つのは仕方ないよ。……まあみんなマルチのことをぬいぐるみって思っているみたいだけど」


自分の荷物をおじさんに運んでもらっている茜の両腕には、毛玉とマルチが抱えられていた。

イギリスと日本、両方の空港ですれ違う人たちはみんなマルチの毛の色に驚いていたけれど、何秒かマルチをじっと見た後ぬいぐるみだと勘違いしていたようだ。

……だが仮に、ぬいぐるみだと勘違いしていたとしても、間近で見られたら本物の犬だとすぐにわかってしまう可能性があるため、急ぎ足で空港から出て迎えの車へと乗りこむ。


「そういえば最中ちゃんたちってマルチのこともう知ってるの?」

「うーん、どうだろう。一応マルチのことは報告したけど、みんなに伝わってるかは分からないな」

「もし何も知らなかったら、最中ちゃんたち驚くだろうなぁ……。どんな反応するのかちょっと楽しみかも」


研究所へ向かって高速道路を走る車の窓から静かに外を眺めながら、マルチを見て驚く最中たちを想像する茜であった。

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