楽園から来たのは——(中編)

日本を出発してから約十四時間後。

移動中は沢山の映画を見たり、椅子の心地よさに眠ってしまったり、機内食を食べすぎて苦しくなったりもしたが、茜たちが乗った飛行機はイギリスのロンドンに無事到着。


「——機内食をたくさん食べてたみたいだけど、大丈夫かい?調子が悪いなら、ちょっと休んで、みんなとは別にタクシーで行こうか」

「ううん。いっぱい食べたからちょっと苦しいけど……走ったりしなければ大丈夫」「荷物を運ぶのに時間もかかるし、車までゆっくり行こう」


茜はおじさんと一緒に飛行機を降り、ゆっくりと空港内を歩き出口を目指す。

その途中、後ろから大型のカートに荷物を積んだ職員たちが茜たちを抜かして行ってしまった。


(あれだけ食べすぎるなよって言ったのに……)


彼女の腕に抱かれた毛玉は、抜かされる様子を見て呆れたように息を吐く。

……いや、むしろ少し怒っているようにも見えるが、その理由は明確だ。

映画を見ながら次々と機内食を食べていく茜に対して、毛玉は何度も注意したというのに、映画に夢中で話を聞かなかったからだろう。




そして茜たちが空港の外に止まっていた大型の車にたどり着いたのは、ちょうど荷物の詰め込みが終わったところだった。


「もう出発の準備が終わってるみたいだし、先に乗っちゃおう」

「私はみんなが乗るのを待ってからでいいよ」

「君は調子が悪いんだから。ささ、乗った乗った」


おじさんに促されて車に乗り込み、座ったのは二人掛けの窓側の席。

抱えていた毛玉は膝の上に乗り外を見ている。

その間におじさんを含めた職員たち全員が乗って出発の準備は完了した。


「気分が悪くなったら無理しないですぐに言ってね」

「おじさんありがと。それよりも、これから行くところとか知りたいな」


隣に座ったのはおじさんで、その手にはいくつもの薬が入った箱を持っている。

特に薬が必要なほど気分が悪いわけではなかったけれど、茜はこれから行く所について知りたかった。


「そういえば全然話してなかったね。これから行く所はサフォーク州にある村に行くんだ」

「……そこで変異生物とかが見つかったわけじゃないよね?」


この前行ったカナダで凶暴な巨大ミミズに追いかけられたばかりだから、もしあんなのと遭遇でもしたらすぐに帰国を決めていただろう。

変異生物がいるとしたら、毛玉のような可愛げのあるやつだといいな、と思っていた。そして話ができればさらにいい、と。


「異常現象の報告は来てなかったから安心していいよ。今回の調査は村人から話を聞くのがメインだからね」

「話を聞くだけなら、あんなに沢山の機械とかいらないじゃん」


話しを聞きに行くだけなら、こんな大荷物で来る必要が無いように思えた。

でも、そんな無駄な事をするとは考えにくいし、他にもなんらかの理由があるのだろう。


「今のところ使うかどうかは分からないけど、あの機械は洞窟の調査に使うかもしれなくってね」

「洞窟……?おじさんたちは洞窟の調査もするつもりなの?」


まさか、おじさんの口から洞窟の調査、なんて言葉が出てきたことに驚いていた。

ついさっきまでは話を聞くだけだって言ってたが、話を聞いた結果その洞窟の調査をするという事だろうか。


「今回の調査に行く理由はね、その洞窟の先に楽園があるかもしれないって言う伝承とかがあって、それが本当かどうかを調べに行くんだ」

「えぇ……じゃあ、おじさんたちって本当かどうかも分からない噂を調べるためにわざわざ行くの?」

「話を聞いただけだと信じられないかもしれないけど、この話が嘘だって言いきれないんだ」


さっきまでは話を聞くだけ。その次は洞窟の調査。そして今回調査に来た目的は楽園って場所があるのかどうか。

しかも、その楽園は伝承とか噂程度のもののようだ。

それくらいの事なら、旅行に行くような感じでもいいんじゃないかと茜は思ったりしたが……どうやら嘘じゃないらしい。


「その調査の話って私も教えてもらえるの?」


嘘じゃないって言いきれる、その楽園の話が茜は気になった。

今回の調査には全く関わってないから、教えてもらえるのかは分からないけど、とりあえず聞いてみる。


「それくらいなら全然いいよ。えっと、調査は明日からだから……話せるのは早くても明日の昼くらいかな」

「えっ!そんな簡単に話しちゃっていいの?私、今回は関係ないのに」

「大丈夫だよ。別に隠すほどの事でもないし」


まさか話を聞くことができると思っていなかったからか、許可が出たことに聞いた茜自身が一番驚いていた。

彼女の膝に乗っている毛玉はうるさいと言わんばかりに尻尾を茜へとたたきつけている。


「ふふっ。ちょっと、どうしたの?」


しかしその力は軽く、茜にとってはただくすぐったいだけだった。

だが、毛玉に聞いても黙ったままだったので、機嫌が悪いのだと察し、背中を軽く撫でる。

……すると少し機嫌がよくなったのか、尻尾で叩かれることはなくなった。




空港を出発して二時間ほど経った午後六時ごろに目的地の村に到着。

この村は高速道路沿いにあって、人も多いのか家も沢山あり、周囲には広大な畑や森が広がっていた。

車は村の大通りを通り、大きな建物——この村の民宿の駐車場に止まった。


「ここって私たちが泊まるところ?」


道路沿いに大きい看板が立っていたのだが、書いてある文字が英語だったため何が書いてあるのか全然わからずおじさんに聞いた。


「そうだよ。泊まるのは、今日から調査が終わるまでの一週間。君は二、三日程度だけどね」


泊まるところなのかどうかなんて適当に聞いたのに、どうやら正解だったらしい。

おじさんの返答に茜は驚いていたが、それは当てずっぽうで言ったことが正解したからではなく、思っていたよりも立派な建物だったからだ。


「……それとこれから晩御飯なんだけど、食べられそう?」

「そんなにお腹減ってないしやめとく」


晩御飯を食べられないほどお腹がいっぱいってわけではなかったけれど、つい数時間前までお腹がいっぱいだったし、食べたらまた気分が悪くなるかも……と考えたら、あんまり食べる気が起きなかった。


「それなら今日は早めに休んだ方がいい。移動時間が長かったからね。飛行機の中で寝たとしても疲れているだろうし」


一人一部屋用意されており、茜も例外ではなかった。

さすがに毛玉一匹のために一部屋用意できず、茜と同じ部屋で寝泊まりする事に。


(なんか狭いな……なあ茜、ホテルってこんなもんなのか?)


そう聞かれて部屋の中を見回すが……部屋に入って右に洗面所とトイレとシャワールームが一緒になったユニットバス。

大きなベッドが部屋の大部分を占め、部屋の隅には小さなテレビ台とテレビが置いてあった。

部屋にある物と言ったらそれくらいだろうか……あとは大きな窓があるだけ。

そして部屋の中は綺麗に掃除されているみたいで、汚れているところも見当たらないし、埃っぽくも無い。


「ホテルだって色々あるし、私にはわかんないよ。……でもベッドも大きいし、テレビもあるし十分じゃない?」


その説明を聞いた後すぐにベッドにあがって横になる毛玉。

何も言わないから茜の説明で納得できたのかはわからないが、文句の一つも言わないからある程度は納得のいく説明だったのかもしれない。


「いよっ……と!」


靴を脱いでベッドに飛び込むと、ふかふかな布団と外で干した匂い——お日様の香りに彼女は優しく包まれた。

ここに来るまであまり疲れを感じていなかった彼女だが、ベッドに横になってから急に眠くなり、あっという間に眠ってしまった。




——そして次の日の朝。


「ねえおじさん。そういえば今日、私たちって何してればいいの?」


おじさんたちと宿の食堂で朝ご飯を食べながら、今日の予定を話していた。

茜以外の人たちは調査って目的があるけど、茜は毛玉の付き添いで来ただけだから、これといった予定があるわけでもなく、やりたい事も特にない。


「う~ん。毛玉がいるけど君一人を置いて行くのも心配だし……調査で村を歩き回るんだけど、一緒に来るかい?」


もしここが日本だったら、一人でも問題なかっただろう。

しかしここはイギリスだから英語が話せない茜を一人にするわけにもいかない。

彼ができたのは、ただ一緒に来るかという提案だけ。


「……やっぱり私に手伝ってほしいんじゃないの?」


その提案を出したおじさんに疑いの目を向ける。


「いやいや違うよ。できれば目の届く範囲に居てほしいからさ。それにお店がある通りで聞き込みをするから、見て回れるでしょ?」


さっきの提案は手伝ってほしいわけではなく、一緒に行動しないかってだけらしい。

しかもこれから聞き込みに行く所にはお店があるみたいだから、そこを見て回るのもよさそうだ。

……毛玉が行く気になったらの話だが。


「おじさんはこう言ってるけど、毛玉はそれでいい?」

(うん。外に行けるならなんでもいいぞ)


自由に行動したいとか言うと思っていたから、あっさりとその提案を受け入れたことが意外だった。


「毛玉も行くって言ってるし、私も行くよ」

「よし。じゃあ朝ご飯を食べたらすぐ出発だ」


急いで残りのご飯を食べて部屋に戻り、自分のリュックを背負って、毛玉を抱えて部屋を飛び出した。

宿の玄関に着いた時には、おじさんともう一人の職員だけがいた。どうやら他の職員たちはもう調査に出発したようだ。


「先輩、茜ちゃん来ましたよ」

「他に誰もいないけど、遅れちゃった?」

「いや、予定の時間よりちょっと早いから、全然待ってないよ。じゃあ行こう」


外に出て、抱えていた毛玉を地面に降ろす。


「勝手に行かないでよね」

(わかってるよ。オレはそんなに子供じゃないぞ)

「そうは言うけど初めてくる場所だし、気になる物があるかもしれないじゃん」


ふらふらとどこかに行きそうな毛玉に注意をするとムッとしていたが、続けて理由も言うと思い当たる節があったのか、大人しく茜の横を歩いている。




「この辺で聞き込みするから、周りを好きに見てていいよ。欲しい物とかあったら代わりに買うから言ってね」


おじさんたちが向かったのは宿から歩いて数分のところだった。

周りにはパン屋や喫茶店、花やガーデニング用品を扱う園芸店などがあり、見て回れそうなところが色々ある。


「じゃあ私はパン屋さんとかお花屋さんでも見てようかな。毛玉も一緒に来るでしょ?」

(オレはあの喫茶店が気になるんだけどなあ)

「朝ご飯食べたばっかじゃん……」


朝食を食べたばかりだというのに、もう食べ物の事を考えている毛玉に呆れながら園芸店へと足を運ぶ。


「やっぱり日本で見たことない花とか植物とか色々あるね。なんだかバラが多い気がするけど、有名なのかな?」


園芸店の屋外に沢山並べられているバラを眺める茜だったが、横にいる毛玉の様子が気になってチラリと横を見る。

ここに来る前は喫茶店に行きたそうだったから、ふらっとそっちの方へ行ってないか心配になったのと、退屈そうにしていないか気になっていたからだ。

しかし茜の予想とは違って、毛玉はきょろきょろと辺りを見回していた。


「どうしたの?何か気になるものでもあった?」

(……誰かがオレたちのことを見てた気がしたんだ)

「それっておじさんたちじゃないの?だってほら、あそこにいるし」


毛玉にも見やすいように抱っこして、おじさんたちがいる方に体を向ける。

だが、彼女たちを見ていた視線とは何かが違ったのか、それでもまだ毛玉は周りをきょろきょろと見回していた。


(ここは人が多いから出た方がいいかもしれないぞ)

「そんなに心配する事かなぁ?……まあ、毛玉がそこまで言うなら移動しよっかな」


視線を感じると言われても、ここは日本人があんまり来ないから珍しいだけなんじゃないかと思ったが、毛玉があまりに真剣だったため仕方なく園芸店から他のところに行くことにした。


「——そうそう!このパン屋さん見たかったんだよね」


次に足を運んだのは近くにあったパン屋。

ここは外からパンを作っている様子を見られるみたいで、窓ガラスの近くまで行って次々とパンが焼きあがっていくのを見つめていた。


「どれも美味しそうだねー」

(こんなに美味そうなのに、客が一人もいないじゃないか)

「いるわけないじゃん。だってまだ開店前なんだし」


パン屋の扉にはクローズと書かれた掛け看板が吊るされていた。

あまり英語のわからない茜であったが、オープンとクローズくらいは理解している。

そんな会話をしている間にも次々とパンが焼きあがっていく。


「うわー!あれって食パンかな?ふわっとしてて美味しそうだよ。あとで買ってもらおっかな」


パン屋の窓ガラスにへばりつくように焼きあがって行くパンを見つめる茜だが、そんな彼女を店のパン職人や、行き交う人々が物珍しそうに見ていた。


(ん?……気のせいか。おい、いつまで見てるんだ。あっちは終わったみたいだぞ)

「おじさんたちもう聞き込み終わったの?」


視線をパン屋からおじさんたちがいた方へ移すと、この辺での調査は終わったのか一緒に調査をしていた後輩の職員と二人で話をしているのが見えた。

そして視線を移した際に、周囲の人たちが茜を見ていたことにようやく気がついたのか、恥ずかしさから顔を赤らめながら速足でその場から移動する。


「まさかあんなに目立ってたなんて……」

(あれだけ見てたら注目されるに決まってるだろ)

「わかってたなら、もっと早く言ってほしかったよ……」


もうちょっと早く毛玉が注意してくれれば、こんなに目立つことは無かったのかもしれないのに、と落ち込む茜であった。


「もう聞き込み終わったの?ずいぶん早かったんだね」


茜がおじさんたちの元に戻った時もまだ話をしていた。

二人の手には聞き込んだ内容が書かれたと思われるメモを持っていることから、聞きたい事を聞くことができたのかもしれない。


「そうなんだよ。ここでは楽園の話は有名みたいで、聞く人みんな知ってたから話はスムーズに進んだし、聞きたかったことは全部聞けたからね」

「へえー。じゃあ、あとは洞窟の調査をするだけなんだ」

「他のチームがどれだけ情報を集められたかによるけどね。それ次第では洞窟調査は早くても明日から始められそうかな」


村の人たちに聞き込みをすると聞いた時は、絶対時間がかかるだろうと茜は思っていたのだが、想像以上に早く終わって、しかも明日から洞窟調査が始まるかもしれないって聞いた時には、少し期待していた。

もしかしたら日本に帰国する前に例の洞窟を見に行けるかもしれないからだ。


「そろそろお昼だし、そこの喫茶店に入ろうか」

「もうそんな時間なんだ。全然気づかなかった……そういえばその喫茶店は毛玉も行きたがってたんだよ、ね?」


最初は村の喫茶店に行きたがっていた毛玉が何の反応もしなかったのが気になって聞いてみたのに、毛玉は返事もしなかった。


「……気になってたみたいなんだけど、興味なくなっちゃったのかな。そういえば一緒にいた後輩さんは?」

「あぁ、あいつは他のチームの状況を見に行っちゃった」

「おじさんたちで話したい事とかあったんじゃない?」

「君が来るまでに全部済ませたから全然問題ないよ。それよりも早く行こう。お昼時は人が多くなるみたいだから」

「——ちょっと待ってよおじさん!毛玉も行かないと置いてかれちゃうよ」


おじさんだって他のチームの人と話した方がよかったんじゃないかとか、毛玉は何にも言わないし、さっきから周りを見てばかりって事とか、考えたい事はあったけど、今は早歩きで行ってしまうおじさんに追いつくことで精いっぱいだった。

それに毛玉も話は聞いていたようで、ちゃんと茜の横を歩いている。




「お昼だから人がいると思ってたけど、全然いないね」


幸運なことに、茜たちが喫茶店に到着した時は店には客が一人もいなかった。


「お店の外に席もあったし、毛玉もいるからそっちに座るのかなって思ってたんだけど、お店の中でも大丈夫なの?」

「犬を連れてくる人もいるみたいだから大丈夫なんだって」

「へー……でも犬を連れてる人なんて見なかったなぁ」

(犬はオレも見てないぞ)


メニュー表を見ながら話を聞いていたが、犬と一緒に喫茶店に入れるほど犬を飼っている人が多いのだろう。

だが宿を出てから園芸店、そしてパン屋に行ったけれど、茜は犬なんて見ていない。

……少なくとも園芸店周辺ではの話だが、注意深く周りを見ていた毛玉も見ていないと言っていることから、ここに来るまで一匹もいなかったのだろう。


特にこの話は続くことは無く、注文した物を食べながら、たわいもない会話をしていた。

ちなみに頼んだ物は茜とおじさんはそれぞれ地元で採れた野菜を使ったサンドイッチにジュースとコーヒー。毛玉は近隣の牧場の牛乳を飲んでいる。


お昼時だから地元の人たちも次々やって来て、店内もにぎわってきた。だが犬を連れてくる人は一人もいない。


そして三人組の客が来店した時の事だった。

夢中で牛乳を飲んでいた毛玉がパッと顔を上ると、飲むのをやめて茜の膝へと飛び乗った。


「わ!びっくりした。どうしたの?まだ牛乳残ってるけど……美味しくなかった?」


それまで美味しそうに飲んでいたと思ったら、いきなり移動してきたことに驚く茜。

床に置かれた皿にはまだ牛乳が残っているのを見て、美味しくなくなったのかとも考えた。

だが、その茜の質問に毛玉が返したのは思ってもみないことだった。


(——あいつらだ。すっとオレたちを見てたヤツは)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る