楽園から来たのは——(前編)

夏休みも残り一週間ほどとなった頃。茜が久しぶりに研究所へと行くと、おじさんを含めた複数の研究員たちが集まって何かを話している所に遭遇した。どうやらどこかへ行く準備をしているらしい。


「おじさんたちまたどっかに行くの?……まさかまた海外?」

「そうだよ。今度はイギリスに行く予定なんだ」

「この前も海外に行ったばっかなのに、また海外に行くなんておじさんたちも大変だね」


少し前、茜は間中最中と一緒にカナダに行って変異生命体を捕まえたばかりだし、セブンと悪魔たちだってアメリカの研究所で変異物を回収したばかりだ。

それなのにまた海外に行くなんて大変だと思いつつ、羨ましくもあった。

夏休みがまだあれば、彼女は行きたいとお願いしてただろうが、残念な事に休みはあと一週間程度。

茜はこの前、サファリパークにも行くことができたし、夏休みの宿題も全部終わらせてあるから、あとはのんびり過ごすつもりだった。


「……そういえばセブンとか最中ちゃんとか一緒に行かないの?」


研究員たちが集まっているのを見て気付いた事が一つ。

それは最中、セブン、悪魔の超能力者がいない事。もし彼らが今回の調査に同行するのであればここに居るはずなのだが、茜が見た限りいるようには見えなかった。


「ああ今回はただ話を聞くだけだから研究員だけで問題ない——」

「ちょっと先輩!この子さっきからすごいアピール?っぽいのしてくるんですけど、どうしたらいいんですか!?——痛たたたっ!そんなに引っ搔かなくてもいいじゃんか……」


彼らのもとに一人の職員が近づいてきた。

その手には何かを抱えていたが、その独特なフォルムと引っ掻く姿を見て、茜はそれが何なのかすぐに分かった。


「——なんだ毛玉じゃないか……って何でここまで連れだしてるんだ!?」


毛玉を連れてきた後輩職員に珍しくおじさんが大きな声を出していた。そんな姿を茜は見たことが無かったから驚きで目を見開いている。

なぜなら毛玉は超能力者として研究所ここに居るから、本来は研究棟から出てはいけないのだ。それはメインホールも例外ではない。


まどかに言わなかったのか?」

「だって圓さん研究で忙しいからって話聞いてくれないんですよ?それに先輩に言えって圓さんが言ったから先輩のとこまで来たんですって」

「あいつ……ごめんちょっと圓と話してくるからちょっと待っててくれる?あと時間があったら毛玉から話しを聞いてほしいな」

「今日は何もする予定無かったから聞いておくね」


おじさんは毛玉の事で話に行くみたいだから、茜は職員から毛玉を受け取り抱きかかえる。

すると毛玉もようやく茜に気が付いたのか、茜に向かって何かを言っているようだ。


「まだ聞こえてないし、ちょっと待って……はい言いたい事があるんでしょ」

(茜じゃないか!あいつらに言ってやってくれないか?)

「言うって何を言うのさ。イギリスは危ないから行っちゃダメって事?」


毛玉は大きな鳴き声をあげていたものだから、茜はてっきりイギリスに行くなとかだと思っていた。

しかし毛玉が言いたかったのは——。


(今度こいつら出かけるんだろ?最中とかセブンとかだってお出かけしたんだし、オレだってお出かけしたい!)

「えぇ……」


この前毛玉を除いた超能力者たち全員が研究所の外に出たから、お出かけしたいという単純な理由だった。それが面白かったのかくすくすと笑っていると、おじさんが戻って来たのだが、笑っている茜を見て、彼がいない間に何があったのかよくわかってない顔をしていた


(何笑ってるんだ!こっちは真面目に言ってるのに)

「どうしたの?毛玉が何か面白い事を言ったのかい?」

「ううん、気にしないで。毛玉も一緒にイギリスに行きたいんだって」

「なるほど。だからあんなに鳴いてたのか……」


おじさんがチラリと毛玉の方を見ると、毛玉はその通りだとでも言うように首を縦に振って猛アピール。

そんな毛玉の姿をみたおじさんは悩んでいるのか目を閉じて腕を組み、考え込んでいた。


「う~ん……毛玉を連れて行くとすると、お世話をする人が必要になるしなあ……今回行くメンバーにそんな余裕無いんだよね。だから今の所無理としか言えないね」


茜がそのおじさんの返事を聞いた時、毛玉が騒ぎだすだろうと彼女は思っていた

しかし返事を聞いた毛玉は鳴き声を発する事も動くことも一切せずただ物悲しそうに彼の顔を見ていた。

毛玉が彼の顔を見る事数十秒。ついにおじさんが話し始めた。どうやら毛玉の視線に耐えられなかったようだ。


「そんなに行きたいって言うのなら条件が一つある」

(なんだ?その条件って!)


もったいぶったように話すおじさんに続きを言うように促す毛玉。

だが残念な事に毛玉の言葉が理解できるのは茜だけで、おじさんには猫の鳴き声にしか聞こえてない。


「毛玉も速く続きを言ってくれってさ」

「まあそうだろうね……手短に言うと、その条件は君が一緒に来る事」

「え?私も行くの?」

(茜頼む。一緒にお出かけしてくれー!)


おじさんから提示された条件なんて毛玉に対して言うのだろうと抱いていた毛玉の様子を見ていたのだが、まさか茜自身が一緒に行くことだとは思ってもみなかった。

そして外出できる条件が茜が同行する事だと分かった途端、毛玉は先ほどとは違って甘えるような鳴き声を出して茜におねだりをし始めた。

毛玉の急な態度の変わりように、彼女はこんな事もできるようになったのかと驚きを隠せない。


「私あと一週間で学校が始まるのに、それまでに帰ってこられるの?……そもそも最中ちゃんとかセブンに悪魔もいるのになんで私なのさ」


茜が疑問だったのが、条件で出されたのが彼女の名前だけだった事。

お世話できそうな人は彼女以外にもいるはずだ。

例えば手が空いている研究員だって一人はいるはずだし、毛玉と同じ超能力者じゃないとダメだとしても茜以外に最中とセブンと悪魔の三人がいる。

それなのに茜を指名するという事は、他の三人ではできない事——彼女だけが毛玉と話すことができるから、彼女を選んだのではないだろうか。


「最中たちは何かあった時のために待機させてるんだよ。この前の巨大ミミズみたいなのが現れたら大変でしょ?」

「そっか。あんなのが他の研究所にいるかもしれないんだ……それなら行けないのも分かるけど——」


その説明で茜以外の超能力者たちが行かない——いや、行けない理由を彼女は理解した。

戦闘能力を持たない茜が残ったところで何の役にも立たないことくらい、本人だって分かっているからだ。


「それに研究員たちは忙しくて、これ以上調査に行くメンバーを増やすことができなくてね……あと調査の日程は一週間を予定してるけど、君は学校もあるから二日か三日で帰れるようにしよう。これでどうかな?」

「まあ……二日くらいで帰ってこられるなら行ってもいいよ」


ここまで話を聞いて行くのを断れるほど彼女は冷酷な人間ではなかった。


(やった!お出かけだ!!)


茜がイギリスへ行くことを決めると、喜びの鳴き声を出しながら茜の腕から飛び出して研究所内へと駆けて行く。

あまりに突然の事だったので声をかける余裕も無く、茜は走り去る毛玉の姿を呆然としながら見つめる事しか出来なかったが、おじさんたちは少し遅れて毛玉を追いかける。

まだ詳しい説明を聞いていないのにもかかわらず行ってしまったから、一旦寮うちに帰ろうかなんて考えもしたけれど、おじさんの事だから少ししたら戻って来るだろうという結論に至り、この場で待つことにした。


——すると数分後、茜の予想通り彼は戻って来た。息を切らしていることから、戻ってくるときも走って来たのだろう。


「ごめんごめん。説明がまだだったのに行っちゃって……」

「全然大丈夫だよ。それにそんなに急いで戻ってこなくてもよかったのに」

「君なら待ってるって思って急いで来たんだ。まだ何にも説明してないから、説明しなくちゃいけないんだけど——」

「いつ行くかだけ知っておきたいな。私だって行く準備をしないといけないし……それにおじさんだって忙しいでしょ?」

「それじゃあお言葉に甘えてもう行くよ。出発は明日の朝だから寝坊しないでね」


日付を言った後、おじさんはまた走って行ってしまったが、疲れからかさっきよりも足の動きがスムーズじゃない。


「大変そうだなぁ……って、早く帰って私も準備しなきゃ」


寮へと戻った茜は大きめのカバンに必要な物をササッと詰めていく。

先日カナダへ行ったばかりだったから、ある程度持って行く物は決まっていた。

カナダの時とは違って、今回は事件の調査に行くのではなく、毛玉の付き添いとして行くのだから実質旅行と言ってもいい。

だからその日は緊張で眠れないなんてことは無く、布団に入ってすぐに眠る事が出来た。




——そして次の日の朝。出かける準備をしているとインターホンが鳴った。


「お、迎えが来たっぽいな。茜ちゃん準備が終わってたら先に車に行ってていいよ」

「うん分かった。先に行ってるね」


昨日の夜しっかりと眠ることができた茜は、今朝はいつもより早く起きる事が出来ていた。

一緒に行く研究者のお姉さんにそう言われ、玄関のドアを開ける。


「やあ、おはよう」

「あ、おはようおじさん」

「えっと……出発する準備はもう出来てるみたいだね」

「うん。準備はバッチリだよ。だって荷物はこれとこれだけだから」


茜が指さしたのは、昨日のうちに玄関に置いた着替えなどを入れた大きなカバンと、貴重品やお土産を入れる用のリュックサック。


「じゃあ、この大きいカバン積んでおくよ」

「いいよ別に。そんなに重くないし私でもできるから」

「荷物を載せるところに機材とかあるから任せてほしいんだよね。あと、車の中で待ってる毛玉の相手をしてあげて」


調査用の機材があると言われたら載せるわけにもいかない。勝手にやったら壊しちゃうかもしれないからだ。

そういう事なら仕方が無いと、リュックを背負って車へと乗りこむ。


(おはよう茜!)

「おはよー。朝から元気だね」

(あたりまえだ!待ちに待ったお出かけなんだぞ)

「絶対疲れると思うんだけどなぁ……」


乗り込んですぐに彼女を出迎えてくれたのは、元気いっぱいの毛玉だった。

研究所に来てから初めてのお出かけにテンションが上がっているのを見た茜は、心配そうに呟いた。

この先長い時間飛行機に乗るというのに、今からこんな調子だと後々寝る事になるだろう。


おじさんを含めた職員たちは荷物を次々と車へ詰め込み、手が空いた職員たちが車に乗り込み始めた。いよいよ出発のようだ。

膝の上の毛玉を撫でながら、その様子を見ていた茜は毛玉に声をかけたのだが、返事が無い。気になって下を見ると——。


「そろそろ出発みたいだよ——って寝てるし……しょうがないから寝かせとこ」


もう疲れたのかとも思ったが、楽しみで眠れなかったのかもしれない。それにずっと撫でていたから心地よくなったのだろう。


「……でも暇になっちゃったな」


よく話すおじさんは職員たちとこれからの事を話しているし、同じ寮に住むお姉さんも同じように話をしている。

そのため茜の話し相手は毛玉しかいないのだが、その毛玉は現在眠っているため茜は誰とも話すことなく、ただ窓の外の景色を見ているだけ。

そしてしばらくの間ぼーっと外を眺めていた茜は、車が高速道路に乗ってすぐに眠ってしまい、空港に到着するまで彼女が目を覚ます事は無かった。


「——起きて。空港に着いたよ」


聞きなれた声と荷物を積み下ろす音、そして離着陸する飛行機のエンジン音で茜は目を覚ました。


「う~ん……もう着いたの?」

(早く起きろ茜。これから飛行機に乗るんだ!)

「分かった分かった!すぐ降りるって」


既に起きていた毛玉に前足でペチペチと顔を叩かれたので、リュックを持って車を降りる。


「忘れ物が無いなら、皆より先に飛行機に乗っちゃおうか」

「なら私のカバンも持ってかないと」

「君のカバンは他の荷物と一緒にまとめて飛行機に載せるから、君が持って行く必要は無いよ」


自分のカバンを取りに行こうとしたら、おじさんが言うにはまとめて持って行くから大丈夫なようだ。

荷物を運ぶ用のカートに積んでいる職員たちにひと言お礼を言ってから毛玉と一緒に飛行機へ向かうおじさんについてく。


「——ああいい忘れてた。毛玉がどっかに行かないように、抱きかかえてくれるかい?」

(オレはちゃんとついて行くことくらいできるぞ)


空港の中に入る前に言ったおじさんの発言が気に障ったのか、不機嫌そうな毛玉を抱きかかえ、空港へと入る。


「そういえば、飛行機には私たち以外にも乗る人が居るんじゃないの?毛玉も一緒に乗せても大丈夫なの?」


茜が思い出したのは、飛行機に乗るとき動物は専用のケージに入れる必要があるのと、人が乗る場所とは別の所に載せる事。

そして心配なのは、毛玉を入れるケージが無いから空港から追い出されるのではないかというのと、もしケージに入れたとしても長時間の移動に毛玉が耐えられるのか。

腕の中にいる毛玉がさらに不機嫌になるのを感じて、この調子だと耐えられなさそうだなと思う茜。


「そこは問題ないよ。これから乗るのは専用の飛行機だからね」

「専用の飛行機なんてあったんだ……」


茜が研究所専用の飛行機の事をしているかのようにおじさんは話しているけれど、茜は飛行機の話なんて聞いたことが無かった。

おじさんも茜の反応が鈍い事に気付いて、茜が専用の飛行機を知らない事を察した。


「そういえば、あの時専用機を使ったのはセブンたちか。じゃあこの前カナダに行くときは一般の飛行機で行ったんだね」

「そうだよ。私と最中ちゃんと研究員さんとか以外にもお客さんいたし」


茜と話をしている時に彼は思いだした。

茜たちがカナダへ行ったのと同じ日にセブンたちがアメリカへ行った事。

そして専用機に乗ったのはセブンたちだという事を。


「これが専用機だよ」

「へー。今からこれに乗るんだ。それにしても大きな飛行機だね」


空港の窓から見えた飛行機がこれから乗る専用機のようだ。

その飛行機の大きさは茜が思っていたよりも大きく、窓に近寄って飛行機を見ている。

そして、彼女の腕に中にいる毛玉も目を大きく開いて飛行機を見つめていた。

さっきまで不機嫌だったからか話すことは無かったが、初めて飛行機を見たから驚いているのかもしれない。


「そりゃあ変異物を運ぶ事もあるからね。ある程度は大きくないと……こんなところで長話もなんだし、荷物を運び次第出発だから早く乗ろう」


茜も毛玉も窓ガラスに張り付くように飛行機を見ていたが、おじさんに促されて飛行機へと乗り込む。


「すごい……椅子がソファみたいだし、それにテレビの画面も大きいんだね。私は知らないんだけど、これがファーストクラスってやつなの?」

「まあそうだね。椅子とかは同じようなのが多いんじゃないかな。でもファーストクラスは食事が豪華だったりするけど、こっちは普通だから期待しないでね」


おじさんはあんまり期待しないように言うけれど、以前乗った飛行機よりもいい食べ物が出てくるだろうと茜は期待はしていた。

しかし茜が一番興味があったのは、このふかふかなソファのような椅子に座り、大きなテレビで映画を見る事だろう。


「ねえおじさん。座るところって決まってるの?」

「別に決まってないから好きなところに座っていいよ」

「じゃあ窓側にしようかな。毛玉はどうする?」

(茜と同じところがいい!)

「はいはい、分かったよ」


窓際の景色がよく見えそうな位置の座席に座り、膝の上に毛玉を乗せたが窓の外が見たかったのか窓側に設置されていたテーブルの上に座って外を見ている。

茜は目の前のテレビで映画でも見ようと思い、テレビの隣にあったリモコンを操作して映画の一覧を見ることにした。


(……かね!……おい茜!)

「どうしたの毛玉。お腹でも減った?」

(そんなわけないだろ。それよりも早くベルトしろって言われてるぞ)

「あっ、もう出発か。全然気がつかなかった」


茜は映画を選ぶのに夢中で職員たちが飛行機に乗り込んだ事にすら気付かず、出発の直前、毛玉に言われてようやく気がついた。

急いでシートベルトを締めて数分後に飛行機は出発。

離陸の際に隣で外を見ていた毛玉が興奮していたけれど、茜は気にせずリモコンの再生ボタンを押した。

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