過去の日記と地下世界と
「……もし、
「……」
母さんは、まるで私が知っているかのように聞いてきたけれど、いまいちピンとこない。地下に居る者たちの事は、母さんの日記には地下には広大な空間があって、そこには人間以外の知的生命体が存在しているって事が書いてあったはず。
しっかり読んだわけじゃないからすぐに返事ができなかった。……どうやらその事は母さんもお見通しのようで、テレビの画面を見ながらやれやれと言うようにため息をついている。
「はぁ……その様子だと私の手帳あんまり読んでないわね?」
「いや、一応読んだよ。あとあれは手帳って言うより日記の方がいいと思う」
「私としては手帳でも日記でもどっちでもいいわ。それより読んだって言ってるけれど、目を通したくらいの事でしょう?」
……母さんにはしっかり読んでない事がバレていた。
「最近は忙しかったし——」
「私はあの子が生まれる前から読んでおきなさいって言ってたはずよ」
「そ、その頃は黒渦を継承してたから、そんな暇なくて……」
「確かに継承していたけれど、あまり使う事無かったじゃないの。だからあの子に継承するのが早かったんだから、時間は十分にあったはずよ。忘れた……なんて事は言わないでしょうね?」
ダメだ……母さん全部覚えてる……最近物忘れって言うのか、昔の事覚えてなかったりすることがあるんだけど、まだまだ記憶力は衰えてなさそうだ。
「なんだ。昔の事まで覚えてるんじゃ、まだまだ記憶力は衰えてないみたいだね」
「急にどうしたの?私の記憶力なんて気にして」
「いや……この前、母さんの手帳を借りた時だったかな?母さんがその手帳を使ってた時期の事を覚えて無さそうだったから」
「望の言う通りかもしれないわ。私が星典を造った時期の事をあんまり覚えていないのよね」
「え?その年代だけ覚えてないの?まさか地下で頭をいじられてるんじゃ……」
母さんの言う通りなら、星典を造った年は10代後半だったはず。その辺りの記憶が曖昧って事は、どう考えても地下で改ざんされたとしか思えない。
「あのね望。その時の私は黒渦を継承していたし、何かあったら黒渦を使っているはずよ。私が覚えている限りだと、危害を加えられるような事は何もなかったわね」
「確かにそうかもしれないけどさ……それに何も無かったって言うけど、それも改ざんされた可能性だってないとは言えないし……」
「そんなに気になるのなら、その時に書いた手帳を読むことね。ちょうどいい機会だし、今ここで読んでいってもいいわよ?」
母さんからの提案があったが、これは提案というよりも、今まで読むって言ってきて結局読んでこなかったから、今ここで読んでいけって事だろう。
私の返事を待っている母さんの目は「もちろん読んでいくわよね?」と圧を感じるが考えすぎだろうか。
でも、その提案自体はとてもありがたいものだった。今の所私がやる仕事もないし、読んでいて分からない内容があったらすぐ母さんに聞けるから、読んでいってもいいかもしれない。
「せっかくだし、読んでいこうかな。……そういえば読む順番とかあったりする?」
「あなたねぇ……私がその時期の事をあんまり覚えてないって、話したばかりじゃないの。それに全部覚えてもらう事になるのだから、どれから読んでもいいんじゃないかしら」
「こ、これを全部頭に入れなくちゃいけないなんて……」
「前々から言っていたのに読んでこなかった望が悪いわ。諦めなさい」
もしかしたら暗記する量が減らないかなんて少しばかり期待しながら、普段よりも大げさに驚いたような反応をしてみたけれど、相手にすらされなかった。
確かに今からこれを全部覚えるのは時間がかかるだけで、そんなに難しくは無さそうではある。でもこれから忙しくなるのに、やらなきゃいけない事がさらに増えるのは流石にキツい。
どれから読んでも変わらないって言ってたけれど、古い物から読んでいけば把握しやすそうではある。
とりあえず一番古そうな見た目のものを手に取り、パラパラと捲って内容を確認していく。……どうやら当たりのようだ。
今日の朝起きてすぐに、兄さんが死んだって知らされた。
家の中はバタバタと慌ただしく、亡くなった原因を中々聞くことができなかったんだけど、どうやら黒渦の負荷に耐えられなかったのが主な原因ってお手伝いさんが話してくれた。
そういえば次期当主になるからって事で父さんも修行に力を入れていたし、兄さんも体が弱かったのに期待されてたから無理しちゃってたのかも。
私は今の所、兄さんが死んだって実感はないけど、こんな急に死んじゃって父さんと母さん大丈夫か心配だな。
兄さんのお葬式が終わった。
棺桶の中に横たわっていた兄さんの顔は、まるで眠っているかと勘違いするくらいに安らかな顔をしていた。
朝、起こしに行ったお手伝いさんによると、兄さんはいつも通りに眠っているように見えたらしく、揺すろうと兄さんの体に触った時に、亡くなっているって気付いたらしい。
兄さんがいなくなっちゃって、なんだか家の中が前より少しだけ静かになった気がする……寂しいな……。
私が黒渦を継承する事になった。
それはあまりに突然の事で、すぐには理解できなかったけど、父さんも母さんも本気で言っているみたいだった。
適性が無いって言われてたから「親戚に継承させた方がいいんじゃない?」って言っても「お前しかいない」としか父さんは言わなかった。
それだけしか理由が無いのなら継承する気は無かったけれど「あの子は体が弱かったでしょう?黒渦の負荷に耐えられなかった時は、あなたに継承してほしいって言っていたんですよ」なんて母さんが言うから、やるしかない。
……だって兄さんが指名してくれたんだから。
継承はあっさり終わった。
特別な儀式とかをやるわけでも無く、父さんがお経のようなものを唱えているのを私はただ座って聞いているだけで終わってしまった。
兄さんの時もこんな感じだったのかは知らないけれど、その日は兄さんの目は開かないように包帯が巻かれていたのに、私には問題が無いからなのかそういった物は一切巻くことは無く、目を開けるなとも言われなかった。
これが適性が無いって事なのだろう。でも、制限なく普通に生活できるのはありがたい。もし私にも適性があったら大変そうだし、私に適性がなくてよかった。
修行が始まった。
静かな部屋で瞑想をするだけだったので、思っていたほど厳しいものではなかった。
でも、いずれは滝行をすることになるのだろう。寒そうだし、風邪をひきそうだからあんまりやりたくないな。
継承してから今日で一週間が経った。
修行の内容は変わらず瞑想だけ。あまりにも退屈だったので、今日は家を抜け出すことにした。
瞑想をしている時は部屋に私以外に誰もいないから抜け出すのに苦労は無かった。
向かった先は、兄さんと行った事がある喫茶店。
注文したのはクリームソーダ。私も好きだけど、それ以上に兄さんが好きだったな。
家から近いところにあったし、すぐに迎えが来るだろうと思っていたから、ゆっくりと飲んでいるとすぐに誰かが入店してきた。
迎えに来たんだろうと思って入口の方を見ると、そこに居たのはこの辺りでは見たことの無い人。白くて長い髪のまるで西洋のお人形さんのような人だった。
私はその人に見惚れていたけれど、この喫茶店の店長さんは特に気にする様子はなかった。おそらく何度か訪れていたんだろう。
その人が座ったのは私の隣の机。座る際に私を見ると、何かに驚いたように目を見開いたように見えた。
それが妙に気になって聞こうとしたけれど、その前に迎えが来て帰ることになった。
また会う機会があれば聞いてみたい。
今日は前に喫茶店で見た人に話を聞くことができた。
この前家を抜け出してから修行の時間が少し短くなって自由な時間が増えて、その時間を使ってあの喫茶店に行ったりしている。
それでも以前見たお人形さんみたいな人に会う事は無かった。
その人を見つけたのは帰り道。家と喫茶店の途中にある書店にいた。
本を見ていたから中々話しかけられなかったけれど、その人の横顔をじっと見つめていた私に気付いていたのか相手から話しかけてきてくれた。
驚いたのは黒渦を知っていたこと。そして黒渦を私が使えない事をなぜかこの人は知っていた。
当てずっぽうで言ったからなのかは不明だが、その事が本当だと知った彼(性別が分からなかったため彼とする)は困ったかのように眉をひそめていた。
少し考えるように目を閉じた後、彼は「その眼、使えるようになりたい?」って聞いてきた。
私はそれに即答した。だって親戚が黒渦を継がせろってうるさかったし、私の事を出来損ないなんて言ってたし、父さんと母さんの事そして兄さんの事も悪く言っていたから私が黒渦を使えるようになれば、親戚たちも黙るだろう。
使えるようになるために何をするのかと身構えていたら、ただ彼と握手をするだけで終わってしまった。
なんだか狐につままれたような気分だったけれども、握手をしただけで本当に黒渦が使えるようになるのかな?
今日の修行をする前に、黒渦が使えるようになったかもしれないと父さんに言って、本当かどうかを確かめてもらう事になった。
昨日の握手の事なんて忘れかけていたし、父さんの私を見る目がなんだかいつにもなく優しい目をしていたのは少し気になったけれど。
庭に出て父さんに見てもらう時には、父さんと母さん以外にも人がいた。
黒渦を使えない私から移せと口うるさい親戚たちが今日も来ていたのか、絶対に成功するはずがないと馬鹿にした表情を浮かべながら私の事を見ていて不快だった。
そして父さんは「ここの地面を黒渦でくり抜いてみろ」と言うだけで、他には何も言わなかった。母さんは心配そうに私を見ていたのは、兄さんの事を思い出していたのかもしれない。
結果だけを書くと黒渦のお披露目は成功に終わった。
父さんは今までで一番だと驚いていたし、母さんは無事に終わって安堵していた。
親戚たちが立っている所へ視線をやると、逃げるように家を出て行った。
……そんなに私の眼が怖かったのかな?
私が次の当主になることが決まった。
今まで自由な時間が多かったのに、修行に加えて勉強とやらないといけない事が増えた。親戚たちが静かになったのは良い事なんだけど全然嬉しくない。
でも最近は物覚えがいいから、勉強の方は苦労はしないはず。
そして修行の時間も増えるかと思っていたんだけど、以前よりも時間が減っていた。
父さんに聞いたところ、もう十分らしく、あとは実戦で腕を磨いた方がいいらしい。
実践って聞いた時は何のことか分からなかったが、おそらく黒渦の消失能力を使って何かをするんだろう。
今日は黒渦を使った実践をしてきた。
実践というのは、私が宿しているこの黒渦の能力を悪用しようとしている奴らの排除することだった。
そしてそいつらの数が多くて私ひとりじゃ手が回らない。
その間に仲間を増やされたらさらに時間がかかって、別の奴が仲間を増やすの繰り返しになるかもしれない。
他にも何人か戦えるような人が居たら仲間を増やす前に排除できるんだけど、何かいい案はないかな。
久しぶりに自由な時間ができたから、お昼前にいつもの喫茶店へ行った。
最近はほぼ毎日実戦に行くことがあったし、行かなくても勉強だってしないといけないし、それも終わったら疲れて休憩する事が多いから、出かける余裕があるのは久しぶりだった。
喫茶店に入ると、一番奥の席には私が黒渦を使えるようにしてくれた彼がいた。
向かいの席に座って、何で黒渦の事を知っていたのか、何で握手しただけで使えるようになったのかを聞いたけれど、どれも適当にはぐらかされてしまって、結局何一つ聞き出すことはできなかった。
だけど、私は最近疲れがたまっていたからなのか、それを晴らすように色々と話していた。
彼は本を読んでいたから聞いていないと思って、つい仲間を増やしたいなんて言ったら「君は仲間を増やしたいのか」って本を読みながら言うものだから、驚いてむせてしまった。
読んでいた本を机に置いて私の目をじっと見つめると、「君なら大丈夫そうだ」と言った後「この後暇なら案内したい所があるんだ」と提案をされた。
今日は暇だったから行くことにしたのだが、喫茶店の外に出た後どこに行くのかと彼が動くのを待っていたらこの前と同じように手を差し出された。
こんなところで手を差し出す意味が分からなかったけれど、何かしらの意図があっての事だと思ったからその手を握った。
そうしたら不思議な事に白く眩しい光が私を包み込んだ。それと同時に僅かに体が浮いている感覚もあった。
だが、光に包まれていたのは数十秒のわずかな時間。
風になびかれるように消えていく光の向こうに見えたのは、喫茶店の前の道ではなかった。
私の目の前に広がったのはそびえ立つ山々。いくつかの山からは煙が上っているが火山なのだろうか。そして周囲に広がる広大な森林に、顔を横に動かすと広大な海まで見えた。
あの一瞬で国外に移動してしまったのかと思ったけれど、どこか変だった。
その漠然とした違和感の原因はすぐにわかった。
空だ。
いつも見上げている空とは、なにもかもが違った。
空に天井があったのだ。そして太陽に似た明るく輝く物体も浮かんでいたが、いつも見る太陽とは違って、手の届きそうなくらい近い場所にそれはあった。
ここはどこなのかと彼に聞くと、「ここは地下にある巨大空間さ。地下世界と言った方がわかりやすいかな」と言うだけだった。
私が地下世界という言葉を理解するまでは時間がかかったという事だけ書いておく。
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