第2話 戻らない幸せ


「……ただいまー」


「あら、お帰りなさい」


「彩音、お帰り!」


……良かった。

やっぱり、あれは幻覚だったんじゃないのか?


そう思えるほどに、何も変わらなかった。


「そうだ!今日、皆の分のアイス買ってきたから食べて!」


「では、有難くいただこうじゃないか」


「私も、今日は皆にお小遣いをあげるわ」


お姉ちゃんはアイスを、お母さんはお小遣いをくれた。


「ねえ、体調とか大丈夫?」


「急にどうしたの?特に何もないわよ」


「そっか……」


「それじゃ、もう寝なさい。きっと疲れがたまってるんだわ」


「うん……ありがとう」


不自然なくらいの優しさに、私は違和感を覚えた。


寝て起きたらきっと、今までの日常に。

……無理だとは思うけれど、信じるしかない。


ベッドに入ってから一時間程。


不安からなかなか寝付けなかった。


ふと耳を澄ますと、階段を上る音が聞こえた。

その足音は次第に、私の部屋の前で止まる。

……こんな時間に何の用だろうか。


ドアノブに手をかける音がする。


「……っ!?」


咄嵯に布団を被る。


もしも、予想通りになってしまったら。


私は家族を殺せるのだろうか?


「彩音……ごめんね。お母さん、お父さんとお姉ちゃんを殺しちゃった。仕方がなかったの……」


「……」


「ごめんね……ごめんね……すぐ殺してあげるからね……なるべく痛くしないからね……」


声を押し殺して泣いている。

本当にお母さんなの……?


耳を澄ましても、いつもの声しか聞こえない。

信じたいけど、まだ信じられないよ……。


「さようなら……」


さよならってどういう意味?

まさか……本当に私を殺すの?


……嫌だ。


今までの人生を終わらせるのも、ここで終わるのも嫌だ。

紫雲と約束したんだよ……。

元に戻る方法を見つけるって。


犠牲者が出るのは、仕方が無いんだ。


「……待って!!」


思い切って飛び起きる。

そして声の主の手を掴んだ。


「……っ!どうして起きてるの!?」


「お願い!話をしようよ!」


「駄目よ!もう戻れないの!!」


お母さんは、ナイフをこちらに向けている。

でも不思議と恐怖はなかった。


それはきっと……音で感情を読み取ったからだ。


「……かかってきなよ」


動き出したお母さんの足元を狙い、転倒させる。

床に落ちたナイフを拾い、お母さんへと向けた。


「彩音……?何をしているの……?ナイフを返しなさい……返しなさいよ!!」


「……」


私は無言のまま、刃先を心臓へ突き刺した。

肉を貫く感触。

そして、生温かい血が手にかかる。


「ああああっ!!!」


お母さんは悲鳴を上げながら、胸を押さえて倒れた。


「はぁ……はぁ……彩音……どうして……」


「……分からない」


「そっか……そうだよね……」


「……」


「ごめんね……やっぱり私、進むべき道を間違えたんだわ」


声はどんどんか細くなっていく。


「愛してるよ、彩……」


その言葉を最後に、呼吸の音が聞こえなくなった。


ああ……私は人を殺したんだ。


涙が溢れてくる。

悲しいというより、寂しい気持ちが強かった。


「……私も、もう後戻りは出来ない」


これからもきっと、同じ様なことが起きる。

その時は……また殺さなきゃいけない。


血で染まったナイフを握りしめたまま、私は公園に向かった。


「紫雲、今から公園に来れる?」


「丁度今、俺も公園に着いた」


……紫雲の家でも何かあったのだろう。


彼の手にも、ナイフが握ってあった。


「……静間」


「……何?」


「……いや、何でもない」


言いたいことは分かる。


『お前がやったのか?』


多分彼は、そう聞きたかったんだと思う。


「……座るか」


「……うん」


私達は、ブランコに座った。


「……静間、その……大丈夫か?」


「私は大丈夫。そっちこそ、大丈夫なわけ?」


「俺は平気だよ」


……嘘だ。

本当は辛くて苦しいはず。


「……私、人を殺しちゃったよ。自分のお母さんを」


「……!」


「あの時、止めてたら死なずに済んだのかな?」


「それは違う!悪いのは……襲ってきた方だ」


「それでも……殺したことには変わりない」


「……っ」


「もう元には戻らないんだ……」


もし私が人を殺さなかったら。

未来はもっと明るかったのかもしれない。


「……静間。五感に異変はあったか?」


「え?」


「だから、人を殺したら五感を取り戻せるんだろ?」


「そういえばそうだった。でも、変化は特に……。いや、ある!」


お母さんの事に気を取られていたけれど、聴力が以前より上がっている。

以前聞き取れた距離は半径1㎞。


でも今は……。

半径5㎞くらいの音が、耳に入ってくる。


より精密に、細かく。


「本当か!?」


「うん。これは凄く大きな変化だと思う」


「……良かったな。これで一歩前進したじゃん」


「ありがとう。でも……これだと、”五感を取り戻す”というより、一つの感覚を強化しているみたい」


「確かに……まあ、今回は例外だっただけかもな。お母さんも聴力が優れていたとか」


「そうだね。そこら辺の謎は、これから見つけていこう」


「ああ」


「因みに紫雲は?」


「ん~……俺も眼が前より良くなった気がする。確信は持てねーけどな」


そう言って彼は笑う。


今の私には笑う余裕なんてないのに……。

凄いよ、紫雲は。


すると、ある音が耳に入る。

この音……近くに人がいるな。


「どーも~」


「!?誰だ!?」


「水無瀬瞬。静間さんは昼休みぶりだね!」


「……そうだね。びっくりしたよ!」


「昼休み……って事は同じ学校か……。俺は紫雲夏目」


「紫雲君よろしくね!」


「よろしく。……と言いたいところだが、まずは質問に答えてもらいたい」


「いいよ。何でも聞いて!」


「……水無瀬瞬。お前は俺達の味方か?それとも敵か?」

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