僕らは五感の中で生きている。

時雨 奏来

第1話 不幸は突然に


ー五感を全て取り戻した奴だけが、この世界で生き残れるー


静間彩音(しずま あやね)、16歳。普通の高校生で何も取り柄が無い。

ただ一つ誇れる事は……人より耳が優れているという事。

半径一キロ以内なら針が落ちる音も聞こえる。



皆の呼吸が、声が、鼓動が。



今日も耳を通り抜けていく。


「お姉ちゃん! 私、行ってくるね!」


「うん、気を付けて」


玄関を開けて外に出ると、大きく深呼吸した。

昨日と同じ、澄んだ空気が肺に満ちる。


「静間、おはよ」


「紫雲おはよ!」


紫雲夏目(しうん なつめ)。たまたま同じクラスになって、隣になっただけ。……そう思いたい。


「静間どうした?」


「え?……いや別に……」


「ふーん……」


沈黙の中、通学路を歩く。紫雲となら沈黙も気まずくない。そしてチャイムが鳴り、授業が始まった。



***


「お弁当食べよー」


私は急ぎ足で屋上へ向かう。


全ての音が聞こえてしまうから、苦手なんだ。

大勢でいるのが。


本当は学校にも行きたくない。

こんなうるさい場所で集中できるはずがないし。

常に耳栓をしていないと疲れちゃう。


ため息をつき、卵焼きを一口。

……うん。美味しい。


食べ終わると、目を閉じて耳を澄ます。


風の音、鳥の声、グラウンドを走る生徒達。


色々な音がするけど、やっぱり一番好きなのは地球の囁き声だなぁ……。

静かにしていれば聞こえる、囁き声。

今日は歌まで聞こえる。


「あれっ、屋上に人がいるなんて珍しい」


「誰!?」


こんな姿を見られたくない。どうか、知り合いではありませんように……!


「水無瀬。水無瀬瞬(みなせ しゅん)だよ!君は静間さんだよね?」


「えっと……何で知ってるの?」


「何でって、美人で有名だから」


「へっ!?」


私が美人?ないない。誰かがいたずらで広めた噂だろう。


「可愛い反応するね!クールな印象があるし、ギャップじゃん」


「ギャップ……か。初めて言われたよ!」


「……ほら、そんな顔も出来るんだし」


自分の口角が上がっていることに気付いた。

……完全に無意識だ。


「あ、もう戻らないと。じゃあまたね!」


水無瀬くんは走り去って行った。不思議な子だったなぁ。

でも悪い気分じゃない。

教室に戻ると、紫雲に声をかけられた。


「静間、どこ行ってたんだよ」


「ごめんね、ちょっと色々あってさ」


「ふぅん……」


紫雲の鼓動はいつも早い。

そう、走っている時よりも早い。

一体何故なのか、私には分からない。


そして放課後になった。

家に近い公園で立ち止まる。


……よし、誰もいない。


私の耳に届くのは、虫達の奏でる音楽だけだ。

……心地よい音。

でも何か違う。

ブランコに揺られていると、後ろから声を掛けられた。


「よっ」


「紫雲!?何で此処に?」


「偶然通りかかっただけ。それより静間は何してんの?」


「特に何も!」


「そっか。俺も同じ」


そう言いながら、隣のブランコに腰掛ける。


「静間ってさ、よく目を閉じてるけど何かあんの?」


「えっと……」


本当の事を話していいのか迷った。

普通なら信じないだろうから。

だけど彼は違った。


「耳が良いとか?」


「どうして分かったの!?」


「まあ、大体の予想だよ。外れてたら謝る」


そう言って苦笑した。


「凄い!あっ……そうなんだよ」


「それがコンプレックスだったり?」


「うん……」


誰にも言ったことがないのに、あっさり見破られてしまった。

不思議と嫌な気持ちにはならない。


「俺も同じ様な悩み抱えてたから」


「えっ……」


「俺、眼が良いんだ」


「眼?」


「そう。遠くまで見えるんだ。時に感情まで」


それは同じ様で全く違っていた。

私の場合は半径一キロ以内で、声を聞くことが出来る。

紫雲は遠くのものだけではなく、感情まで見えてしまうのだ。


「それって、結構大変だよね……?」


「まあな。でも、静間なら大丈夫」


「?」


「静間の感情は、鮮やかで綺麗だから」


鼓動が少し早くなっていた。

鮮やかとか、綺麗とか。

紫雲には、どのような景色が見えているのだろうか?


「似た者同士は、何となく分かんだよ」


紫雲はニッと笑う。その笑顔を見て、私の鼓動も早くなった気がした。


「んじゃ俺、帰r……」


その時、世界が傾いた。

……地震?

いや違う。

地震ならもっと、奥深くから音が……


「静間、おい静間!」


「……」


「聞こえてるか?」


「……聞こえるよ」


「……静間?返事くらいしろっての……」


「え?」


返事はした。

でも何で……?

癖で閉じていた目を開ける。


……暗い。

目は開いている。


「紫雲、私……目が……」


「何だこれ……!?文字が目に浮かんで……」


紫雲にも異変が起きているみたいだ。

一体、どうなっているの!?


耳を澄ます。

周りの状況を知るために。


『お母さん、アイスクリームの味がしないよ~!』


『あれ?今香水つけたのに、匂いが分からないな……』


『目が見えない……って事はまだ夢の中か』


何だこれは……!

皆、自分の変化に戸惑っている?


『クフフフ……お前らはまだ、緊急事態だと認識していないようだな』


声が脳内に響く。

距離は……ここから約800m程。


『まあ、このままじゃつまんねぇから教えてやるよ。これからの新しい世界についてなぁ!』


新しい世界……?

この男は誰だ?


『人類は今、五感を4つ失ったんだ。そいつの優秀な感覚が一つだけ残されている』


……だから私は、音が聞こえるっていうの?


『もし五感を取り戻したいのなら。……人を殺すがいい!優れた奴の感覚を奪って、自分のものにするんだ!』


男は狂ったように笑う。


『そして五感を全て取り戻した奴だけが、この世界で生き残れる。話は以上だ』


それから声が聞こえなくなる。

もしもこの話が本当なら。

世界は、人は……どうなってしまうのか。


「静間、今の話聞いたか?」


「うん。もしも本当なら、大変なことになると思う」


「そうだな……」


紫雲は不安そうな表情をしている。

何となくだけど……音から、感じ取ることが出来た。


「五感を全て取り戻した奴だけが生き残れる……か。ぶっとんだ話だな」


「……紫雲はどうするの?私を殺す?」


「ばーか。殺すわけないじゃん」


紫雲は呆れた様子で答える。


「俺は静間を信じるから」


「えっ……?」


「静間なら、きっと元に戻る方法を見つけてくれる。そんな気がすんだよ」


こんな状況で、私を信じてくれるんだ……。

……なら。

期待に応えるしかないよね!


「私、元に戻す方法を見つけてみせる」


「おう!」


紫雲は力強くうなずいた。


「俺は静間に協力する。=仲間だ。何かあったら俺を頼れ」


「ありがとう!」


「ひとまず今日は、家に帰ろう。……万が一家族と何かあったら、別の場所を探す」


「うん……」


私達は家路についた。

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