第8話 初めてのお使い

 ボルグたちが俺の貯金を奪ってから十日が経った。

 奪ったことを何とも思っていないのか、話題にすらしない。


 文句を言ったところで無駄だろう。


 今更だが、こいつらには愛想が尽きた。


 それなのにまだ俺がここにいる理由は二つある。


 一つはもちろん、タオグナの存在だ。

 

 もし、あの子を一人でここに残したら、さらに悲惨な仕打ちを受けるだろう。

 タオグナを残していくわけにはいかない。


 そして、もう一つはボルグたちの結末を見る為だ。

 新法は五日前に施行された。


 新法に効力があるなら、ボルグたちに何かしらの制裁があるはずだ。


 その為にも、新法がボルグの言うような形だけのものでないことを祈る。


「おい、どうして葡萄酒がないんだ?」


 夕食の準備をしていたら、ボルグが文句を言ってきた。


 別に葡萄酒を買い忘れたわけじゃない。


 今日はクエストが無かったので、ボルグ、エナ、リリアンの三人は昼間から酒を飲んでいた。

 それで葡萄酒を全て空けてしまったのだ。


「君たちが飲んだせいだろ。他の酒で我慢してくれよ」


「嫌だね。今日はとことん葡萄酒が飲みたいんだ。買ってくればいいだろ。店はまだやっている時間だ」


 また勝手なことを……


「別に構わないけど、じゃあ、夕食は遅くなるからな」


「は? お前が買いに行く必要は無いだろ」


 なんだ、自分で買ってくるつもりだったのか。

 普段、買いに行かされるから、当然、俺が行くと思っていた。


「犬に葡萄酒を買いに行かせよう」


「は?」


「だから、あの犬に葡萄酒を買いに行かせる、って言ったんだよ。お前が躾したおかげで人間の言葉をしゃべるようになったし、買い物くらいできるだろ」


 俺は厨房から飛び出した。


「タオグナは一人で街を歩いたことがないんだぞ!?」


 それに奴隷の首輪をした者が一人で出歩くのは何かと危険である。


「お前が自分で行けばどうだ? 最近、太り過ぎだぞ?」


 最近、クエストはタオグナ頼りになっている。

 そのせいでボルグ、エナ、リリアンは動かなくなり、見た目で分かるほど太った。


「うるせーな! お前は早くあの犬に買い物をするように言ってこい!」


「……分かったよ」


 こういう時に反抗できない自分が情けない。


 俺は自分の部屋に向かった。


「タオグナ、入っても良いかな?」


 俺が言うと中でドタバタとタオグナが動いた。


「ここ、ウェーリー、部屋、許可、いらない。…………どうした?」


 多分、暗い表情になっていた。

 

 タオグナが心配そうに俺の顔を覗き込む。


「実はね……」


 俺はタオグナに買い物のことを説明した。


「分かった。行く」


「ありがとうね。ちょっと待って」


 俺は屋敷から酒屋までの道を書いた。


「…………」


 タオグナは地図をジッと見て難しい顔をした。


「大丈夫そうかい?」


「だ、大丈夫、分からない時、人、聞く」

 

「気を付けて行ってくるんだよ」


 俺が言うとタオグナは窓から出て行った。


 タオグナは俺の部屋以外に入ることを許されていない。

 彼女を見送った俺は厨房に戻って、夕食の準備の続きをする。





 「おい、あの犬はどこまで行ったんだ?」


 夕食の時、ボルグはとても不機嫌だった。

 俺が三人の部屋の掃除に行こうとしたら、呼び止められる。


「初めてのお使いだったんだ。迷っているのかもしれない。俺が探しに行ってくるよ」


「もう葡萄酒はいい。先に部屋の掃除をしてからにしろ」


 ボルグは乱暴に言い捨てた。


 別にお前に頼まれた葡萄酒なんてどうだっていい。


 タオグナが心配なんだよ。


 だけど、ここで逆らったら、酷いことになる。


 俺が素直に三人の掃除に行こうとした時だった。


「明日はトロールを狩りに行くぞ」


「えっ?」


 ボルグがエナとリリアンに言ったのが聞こえた。


「なんだ?」とボルグが言う。


「トロールってそんな大型の魔物、どこかのパーティと合同でクエストをやるのか?」


 俺たち五人だけだと危ないかもしれない。


「そんなわけあるか。人数が増えたら報酬が減るだろ」


「でも、俺たちだけでトロールは危険すぎる」


 トロールはゴブリンなんかの比じゃない。

 大きさ、力、速度、どれをとっても人間にとっては脅威だ。


 毎年のように冒険者が犠牲者になっている。


「別にいいだろ。あの犬を前線に立たせて、その隙に遠くから攻撃すりゃ、どうにかなる」


 トロールを相手にしようとしているのにボルグの作戦はずさんだった。


「やめるべきだ! いくら、タオグナだって、トロールの攻撃が直撃したら、ただじゃ済まないぞ!?」


「駄目になったら、新しい奴隷を買ってくればいいだろ」


「は?」


「トロールを狩れば、それなりの金が手に入る。それであの犬より戦闘能力の高い種族を買ってくればいい。あんな弱そうな犬でもそこそこ強かったんだ。今度は男の戦狼人族が良いな」


「本気で言っているのか?」


 俺の言葉に対して、ボルグは「当然だろ」と答えた。


 怒鳴りたい気持ちを抑えつけて、「そうか」と返す。


「じゃあ、掃除に行ってくる」


「……そうか」


 ボルグは俺がすんなりと退いたのが意外そうだった。


 ここで何かを言っても無駄なのは分かり切っている。


 奴隷の人権に関する新法が施工されて、五日が経つ。

 しかし、今のところ、何も起こらない。


 ボルグの言っていたように、形ばかりの新法なのかは分からないが、どちらにせよ、もう待てない。



 〝駄目になったら、新しい奴隷を買ってくればいいだろ〟



  ボルグにそんなことを言われて、もう猶予は無いと思った。

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