躍動
人がギリギリ立っていられる幅をご存知だろうか?
およそ靴のサイズ程で肩幅まで足を広げられる場所なら、大抵の人は安定して立っていられるだろう。もちろん地面の上での話だが。
中津新平太が立っていたのは地上4階建てのビルの、30センチほど張り出した段差で、下に向かって若干の下り傾斜がある。
両足は揃えて閉じ、革命こと四足歩行シューズを装着した前足は捻った体の窓枠の下側をしっかりと掴んでいた。柵の低い段に前足をのせたヤギのようだった。無論のことビルの外の話だ。
日も沈み、春の訪れも遠い大阪の夕方を、ビル風に耐えながら感情を感じさせない瞳で部屋の中をぼんやりと覗いている。
(株)松本商事社長の松本広志と、コンサルタントの梅田静香が薄暗い部屋の中でお互いに笑っている。底のない悪意に満ちた表情で。
中津は相変わらず感情のない瞳でしばらく眺めると、ふいっと踵を返してビルの外壁を、階段を降りるかのように降っていった。
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谷町の朝は早い。
別に誰に言われたでもないが、新人の頃から朝はなるべく早く来るようにしており、昨年経理の係長、大西さんが定年退職して以来、ついに谷町が1番に会社にいるようになった。
社長や塚本さんにもそこは一目置かれ、中津は不思議がっていた。
中身はZ世代ど真ん中なのに、変にジジくさいギャップがある。
そもそも谷町は意地になっていたのだ。
どうして俺が評価されないんだ?全員頭悪すぎ!効率悪すぎ!
そうして谷町は仕事の結果でのアピールが全然できず、なぜか朝早く行くことで、自分の居場所とキャラを守っていたのだ。
社会に揉まれて、学生気分が抜けた頃には早起きの朝の、静かな会社の居心地の良さだけが残った。
「大西さんはもうランニングしてる頃かな〜」
会社のケトルでマグカップに来客用のドリップコーヒーを淹れながら、朝の話し相手だった大西係長を懐かしみ、自分しかいないオフィスで独りごちる。
ガタッと掃除道具を入れている倉庫から物音がした。
ビクッとなりコーヒーをこぼしそうになった。来客用のソファからゆっくりと体を起こし、音の方向を見る。
俺が1番に出社したはず・・・?
そうだ!セキュリティーも俺が解除したし・・・不審者?
谷町は独り言を言いながらゆっくりと薄暗い倉庫のドアを開ける。
奥にうずくまったような影がもぞっと動いた。谷町は震える声で、
「だれかいますかぁ・・?」
と声をかける。細い声で返答があった。
『たに・・まち・・』
自分の名前を呼ばれた。
そろそろと近づくとそこには、昨日のスーツをボロボロにした中津が革命を身につけたまま擦り傷だらけでこっちを見ていた。
「中津さん!? 大丈夫ですか!!」
音の主は中津だった。
見てくれはスーツのまま無人島に漂流して一週間たったといったところだ。
唯一違うのは革が馴染んだ革命がその前足に装着されている点だった。
『谷町・・・分かったぞ・・・社長の、梅田の狙いはおれの母乳だ・・・』
そう言うと中津は気を失い、がっくりと気を失った。
谷町は中津に駆け寄り、呼吸を確かめ安静に横たえた後、救急車を手配し病院に付き添うことにした。丁度出社してきた総務部長に事情を伝え、会社を後にした。
「あ、コーヒーそのままだ。」
落ち着くとどうでもいいことを思い出す。他に何か忘れてる気がする谷町であった。
続く
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