前足のスキャン

 社長の新年の挨拶が終わった後は、年始式は滞りなく閉幕した。ゾロゾロと出口に向かう中、営業部の後輩である谷町たにまちが中津を見つけて駆け寄ってきた。


「中津さん、社長のやつウケました。冗談ですよね。」

平静を装っているが、どこか泣きそうな谷町があった。私も塚本さんが近くにいたら谷町と同じことを聞くだろう。


「なんかよく分からんかったけど。どうやって営業するんだろ、これからは四足歩行の時代ですよ、とか!言えねー。」

軽口を叩き合いながら笑う。しかしやけに混雑している。

出口の向こう側で人が溜まっているのだろうか。


天満てんまシューズセンターの社長なら買ってくれそうですけどね!僕売る自信ありますわ。」

 軽口を叩き合いながら谷町の成長を思う。こいつが入社した時はいかにも遊んでそうな、チャラい学生気分の抜けきってないやつという印象だった。マンモス大学の経営学部出身で、夢やこころざしなんて持ち合わせないが、世界を知った気になってスマホを見ながら生返事なまへんじをする。初めての後輩で問題児だった。


 谷町の初めての担当得意先は私が元担当で、長年可愛がってくれた天満シューズセンターを引き継いでもらった。天満社長はザ・大阪人という感じで人当たりはいいが、いつもどこか値踏みされているように感じ、気が抜けない。そんなタイプだ。

 一度、谷町のミスで取引が無くなるところだった。その時私が先頭に立って謝罪に向かい、谷町と一緒に何度も謝りに行った。なんとか今も付き合いが続いているが、谷町はその時から少しずつ変わり始めた思う。


「だったら谷町も明日から四足歩行シューズ履いて出社しろよ!」

 ちなみに天満社長は新人イビリが大好きで、実は私も新人のころ全く同じ状況に陥ったとき、塚本さんにたくさん世話になった。

 天満シューズセンターは営業部の登竜門のようになっていると、後から塚本さんに種明かしされていて、あの時の自分をかえりみた。その時、谷町のことを打てば響くやつだと見直したのは秘密だ。



 谷町と話しながらやっと出口を抜けると、見たこともない女性が立っていて、出ていく社員全員の手形をタブレットに当てていた。渋滞していた理由はこれか、と合点いく。

 出口に設置された長机にタブレットを置き、出ていく人に説明をしてタブレットに手のひらを押し付けるように案内している。年齢不詳の美人とまではいかないがやけに色っぽい雰囲気がある。前髪を全て後ろに撫でつけアップにし、細身にタイトな黒のパンツスーツ、この会社では見たこともない、アメリカドラマの弁護士事務所で働いているようなたたずまいだ。

この会社の人間ではなさそうだ。私たちの番が回ってきた。


「おねーさん何やってるんですか?」

 谷町が営業でつちかった人なつっこい当たりで話しかける。

ちらりと胸の社員証を確認した。 と書かれている。


なんだ?


「はい。皆様の手形をいただき、四足歩行シューズのサイズを測らせていただいております。」

バカ丁寧な言葉遣いから完全にバカな言葉、そして先ほどの犬走りの社長、一瞬目眩がし周囲を見回すと塚本さんが見えた。

 『すまん、、、』

声は聞こえないが顔が言っていた。あの話は本当だったんだと。


「こちらのタブレットに3ケタの社員番号をご入力いただきますと手の形のピクトグラムが表示されますので、そちらに手のひらを指の先まで押し付けていただければ完了と大変簡単になっております!」

 おそらく何度もいったであろう、AIのような口調で一息に言う。


 谷町と顔を見合わせる。もう後ろには誰もいない。

狐にでもつままれた気分だ。

俺たちは覚悟も決めきれず、事務的に手のひらをスキャンした。


「ありがとうございました。すぐにテストサンプルが届きますのでしばらくお待ちください」

 そう言って梅田静香は深々と頭を下げ、俺たちは昼飯を食べに無言で会社を出た。



「どうせ誰もやる奴なんていないだろ。書類とかどうやって運ぶんだよ。」

「そっすよね!俺社長の前だけ犬になってクーンクーンしてきますわ!」

 サクッといつもの喫茶店で定食を食べ、いつもの調子で社に戻る。

そうだ。きっと空腹で変にナーバスになってたんだ。


 席に着こうと、椅子に伸びた手が思わず止まった。


 机の上にもう四足歩行シューズが置いてあった。

薄いガサガサのビニールに入ったアイスホッケーのグローブのような野暮ったい手袋は白黄青のガンダムカラー。ゴムのソール部分の手のひらはグレーでブロック状になっており、

手の甲は白の革張りに黄文字でと刺繍されていた。

PCの画面に社内SNSの通知が届く。


テスト開始です。下記のフォーマットに毎日就業までに日報を提出お願いいたします。

企画部 海老江



続く

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