#9

 夢を見た。堕天の夢だ。積み重なった無数の記憶が形作る、連続写真のような夢だ。

 高層ビル群は地に向かって伸び、眼下に見える空は緑色だ。重力は反転し、世界はうねり、黒い太陽が僕たちを飲み込もうとしている。まるで記憶の中の“怪物”だ。

 ユガミの光輪は輝き、地から空へ飛び降りていく。その手を握って共に堕ちる自分の姿を、僕は俯瞰視点で見つめている。その表情は晴れやかだ。虚無と無意味を振り払うように、共に飛べば終わっていく人生にも意味があると思えた。

 彼女の身体が霧散し、光の粒子に変わっていく。黒い太陽が消え去り、僕たちは無限に落下を繰り返す。僕とユガミは、“天に堕ちていく”。


 遠くから聴こえる足音で目を覚ます。即座に覚醒し、眼鏡を掛けて息を潜めた。侵入者は数名、歩様から軽装で粗野な男の集団であることはわかる。


「……獄門會か」


 僕はユガミを揺すり起こすと、ぐずる彼女に小声で敵の接近を伝える。寝ぼけ眼でファイティングポーズを取る彼女を制し、僕は小さく祈った。

 求めよ、さらば与えられん。ユガミの因果律操作によって虚空から現れる物体を袖の中に隠し、耳を澄ませる。足音が近く、早く対処しなければいけない。それでも、この武器を使うのは最終手段だ。故に選ぶルートは一つしかない!


「人が居た痕跡がある。そう遠くまで逃げてないはずだ。探すぞ」

組長オヤジかたきで、俺たちをコケにした相手だろ? 俺、生きて帰せる気がしねェよ……」

「馬鹿野郎。ユガミは生け捕りで、求めてるやつに売り渡すんだよ。あのアマの金魚のフンみたいなガキはどうしようと勝手だがな……」


 小さく息を吐く。既に僕とユガミは立体駐車場の外、路地裏の雑踏に倒れ伏している。視線の先への短距離瞬間移動程度なら、最低限のフィードバックで十分可能だ。

 ユガミの双眸そうぼうは紅く輝き、一息つくと再び桜色に戻る。覚醒の時が近いのか、彼女の笑みはどこか誇らしげだった。


「このまま行こうか、ユガミ」

「アイツらくらいなら別にブッ殺してもよかったじゃん! どうせ追ってくるよ?」

「……やっぱり、君に手を汚させたくないんだよ。僕が信じる神さまには、血に染まらないでほしいんだ」


 これは、きっと甘い考えだ。ユガミは呆れたように笑うと、僕の手を強く握った。


「キミが望むなら、そうあるしかないね!」


 ともあれ、追手の存在は確かだ。例の特殊部隊だけでなく獄門會も変わらず僕たちを追っているなら、なおさら早急に目的地まで辿り着く必要がある。僕はゆっくりと起き上がると、彼女の言う目的地の方角に視線を向ける。


「……君たち、ここで何やってる?」


 瞬間、朗らかな笑みでこちらに近づく男の姿が視界に映る。僕は反射的に身を固めた。警察だ。


「迷子かい? それとも家出かな? ここはこの辺りでも特に治安が悪いエリアだ。未成年が来るところじゃないよ。親御さんの連絡先は?」

「あっ、えっと……」


 ストリートで暮らしていた時から、僕は国家権力というものを信用していない。奴らは本当に立場が弱い存在に対しては傲慢だ。守ってほしい時に、守ってくれないのだから。


「とにかく早く帰りなさい。いや、やっぱり保護だ。お腹は空いてないかな? 詰所にお菓子がある。まずはそこで話を……」


 確かに腹は空いていた。ここで保護を受け入れれば、あのヤクザは僕たちに手出しができないかもしれない。ここで、僕はこの男を、あるいは国家権力を、信用すべきなのか?

 脳裏に浮かんだのは鉄火のリーダーの顔だ。あの人は、何を言っていたっけ。


「まったく、治安維持も簡単じゃないんだよ。特に最近は指名手配犯が警察の手を焼いててね、上は懸賞金まで出そうとしてる」


 警官の男は笑みを崩すことなく、僕に一枚のポスターを見せる。

 そこに写っていたのは、不鮮明だが特徴的な光輪ヘイローと白髪、よく見知った姿。


「ルーくん、危な」

「遅いよ、“実存体ちゃん”」


 僕に拳銃を突きつけ、警官はニヤニヤと嗤った。

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