#4

 コウロ地区を一周する地下鉄は相も変わらないダイヤで周回を続けている。鉄火の一員だった頃はホームの隅から漠然と眺めていた車体を、今の僕は客として乗車していた。

 この街に昼夜の概念はない。昼前であろうとも、疲れ切った表情のサラリーマンや酒気混じりの息を吐く大学生が座席に座り込む。僕は周囲の人間とユガミの間で壁になり、彼女の存在を人目につかないようにした。いつ追っ手が来ても対応できるように、全てに目を光らせる。


「ルーくん。顔、こわいよ」

「仕方ないだろ。誰が敵か判らないんだ。警戒しないと……」

「あたしが居れば大丈夫だって!」

「……なるべく目立たないでくれ」


 ユガミは不服そうに肩をすくめると、僕の頬を指先で撫ぜる。触れる肌は冷たく、そこにあるはずの生命を感じない。今残っているのは、彼女の自我の残滓なのかもしれない。

 電光掲示板に表示されるフアロンモン駅の文字列を確認し、僕たちは連れ立って地下鉄を降りる。ホームはオリエンタルな赤い照明が並び、壁には火龍のグラフィティが躍る。ここが火龙門フアロンモンと呼ばれる所以になった巨大な朱の門は、改札を越えた先にあった。


「あの時ちゃんと回れなかったのが悔しくてさ〜。ほら、フカヒレラーメンの屋台あるよ!」

「走るなって!」


 腕を掴み、歩調を合わせる。僕は周囲の様子を油断なく伺いながら、並ぶ屋台に目を輝かせるユガミの横顔を見つめる。やはり彼女はただの願望器ではない。そう思った。

 スチロール製の丼に入ったフカヒレラーメンを受け取り、ユガミは満面の笑みだ。僕は店主に紙幣を渡し、自分のラーメンを手に取った。テラス席めいた箱椅子と小さな机に荷物を置き、向かい合う形で着座する。食べ歩きが前提の屋台店のため、一杯の値段はリーズナブルだ。


「見て、すごくない!? ぷるぷるしてて、透き通ってて、スープに輝きを与えてる。こんなにでっかいフカヒレを食べたら、人間なら肌とかぷるっぷるになるんじゃない!?」

「コラーゲンを経口摂取して得られる栄養素、微々たるものらしいぞ」

「感覚の話だよ。ほら、肌とかも気の持ちようって言うじゃん……」

「都合良くない?」


 ユガミはプラフォークでフカヒレを摘み上げ、舌で転がすように咀嚼する。美味しいかを聞くのはやめた。今の彼女に味覚を感じるシステムはなく、本来なら経口摂取も必要としないらしい。それでも彼女が美味とされる料理に舌鼓を打つ理由は、本人に言わせれば“礼儀”らしい。

 かたや僕は、それより安いラーメンを無心で食べる。とにかく警戒を怠ってはいけない。周囲に目を配りながら麺を啜る僕を見て、ユガミはどこか悪戯っぽく笑った。


「ルーくん、こっち向いて」

「ん、ッ……!?」


 僕の口に容赦なくフカヒレが突っ込まれる。困惑する僕を見てケタケタと笑うユガミは、僕の肩を優しく叩きながら口を開く。


「せっかくのデートだよ!? もっと楽しそうにしなって!」

「いや、これ……いいの?」

「おいしい?」

「……美味しい」

「美味しいもの食べると眉間のシワってなくなるんじゃないの、人間って?」


 思わず表情を緩める。それでよし、と呟いてユガミはまた笑った。


 その後も小籠包や餡まんを買い、食べ歩きをするユガミを眺めていた。歩いているうちに興味を示したのは土産物屋で、彼女は店頭に並んだよく分からない覆面やキーホルダーを吟味する。


「ユエピンちゃんとフアロン、どっちがいいと思う?」

「……何と何?」


 ユエピンちゃんは月餅を模した1頭身のマスコットで、フアロンは子供が雑に描いたような龍を模したキャラクターだ。正直どちらも人気があるとは思えないが、ユガミはそこが気に入ったらしい。

 僕はフアロンのキーホルダーを手に取り、それを眺める。鼻から炎を吹き出す青い体の生物だ。チープな質感の理由が不出来からくるものなのかキャラクターデザインかは判断がつかないが、一見するとカバやバクにも見える珍妙なフォルムは妙に面白い。


「こっちにしたら?」

「なるほど、お目が高い! じゃあ、これはルーくんの分ね」


 ユガミは既に別カラーのフアロンを手に取っていた。僕の分は青で、ユガミはピンクだ。

 仕方ないな。僕は財布を出し、ふたつ並んだキーホルダーを購入する。満足げに笑う彼女の横顔が眩しかった。


「いいじゃん! 似合ってる似合ってる」

「いつまで付けてたらいい?」

「あたしが満足するまで!」


 目の前で揺れる不細工なマスコットを互いの鞄に付け、僕たちは次の目的地に向かおうとする。気を抜いていたのは確かだ。その一瞬の油断が、背後で跡をつける何者かの存在を隠していた。

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