ルーク編 その②

#1

 思い返せば、理不尽に翻弄される人生だった。幼い記憶の中の親はクソ野郎で、庇護対象である実の子を冷たいアスファルトの上に捨てるようなやつだ。次に人生を教えてくれた兄貴は、ヘマをした瞬間にニューロンを焼かれて死んだ。その後頼ったチームのリーダーは、巨大な権力同士の衝突から僕とユガミを逃がすかのように犠牲になった。

 どこまで行っても檻の中。力がない者は淘汰されるやかましい地獄。その果ての果てで、ユガミは磔にされている。


 セルジオの持つタブレット端末は、恐らくユガミの拘束を操作する為のものだ。クーガーに銃を突きつけられた後に何かを言い放つ瞬間、ユガミの鎖が微かに弛んだ気がする。僕は奴らの話を耳に入れることなく、変わり果てた姿になったユガミを凝視した。瞼に溜まった雫が重力に従い、長い睫毛に沿うように滴り落ちる。天使も涙を流すのか、と思った。

 数度、瞬く。それが重い前髪に隠れた桜色の瞳だということに気付いたのは、数秒経った後だ。


「……おはよ、ルーくん」


 声色も態度も何も変わらない、ユガミの姿がそこにあった。セルジオに言わせれば〈覚醒前〉で、羽化する直前のさなぎのような状態なのだろう。ツートンカラーの髪はアルビノめいた白に染まり、彼女の面影は顔立ちと瞳の色だけになった。

 ユガミは周囲を見渡し、悪戯っぽく笑う。自分の身に何が起こったのか、自分が置かれている状況は何なのか。それを瞬時に理解したようだ。

 ユガミが目を瞑って念じると、掌を貫く杭は徐々に外れていった。彼女の身体を拘束する鎖は腐食し、枯れ枝めいた乾いた音と共に折れた。ユガミが自由を得た瞬間、それに気付いたのは僕だけだと思う。遠くで聞こえる誰かを罵るような声と哄笑を無視し、彼女を受け止める。質量は軽く、冷たい肌が死を連想させた。


「逃げよう、ユガミ」

「……了解!」


 セルジオはユガミを利用していて、ロイとクーガーは殺そうとしている。入り組んだ思惑の中で、それだけは紛う事なき事実だ。僕はどちらにも従うつもりはない。アイツらが望み、危険視しているのはユガミの能力で、ユガミそのものではない。それがユガミの自由を奪うなら、僕は両方の思惑を否定するだけだ。

 セルジオが一瞬だけ僕たちに視線をり、。なぜ黙認したかを確認する余裕はない。ただ、これが好機であることは確かだ。着ていたコートをユガミに羽織らせ、静かに喧騒から離れる。周りの心理的動揺が生み出した一瞬の隙だった。

 逃げる瞬間、ロイと視線がぶつかる。その眼は僕たちを見ていたが、そこに感情は向けられていない。目の前の状況を受け入れるのに苦心しているのか、掌が切れそうなほどにロザリオを強く握っている。僕とユガミが部屋を出るのも気付いていない。その機に乗じる!


 白いリノリウムの廊下を駆け、出口までの入り組んだ道筋を辿る。クーガーに追われる前に、早く脱出しなければならない。あの男は危険だ。あれほど強かった老龍を倒している可能性が高いのだから。

 耳を澄ます。足音は後ろからではなく、前から聞こえた。僕は咄嗟に変装用のガスマスクを被り、ユガミを庇うように後ろに押し遣る。


「そこを動くな!」

「……〈蝾〉ロンの残党か?」


 立派な装備に身を包んだ特殊部隊の一団が僕たちを取り囲む。何丁もの銃口が視界を覆った。ヤクザなんかよりヤバい連中なことは、ソイツらの腕章に刻まれた菊と十字架のマークで察しがつく。シンリエと聖教会の連中だ。

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